その名は……

 目的地に着くまでの間、人鳥が色んなことを喋りまくり(オムライスに掛けるソースは何がいいかとか、好きなパスタの話とか)、斑鳩さんがそれに対して返事をしていく。

 僕は二人の会話にたまに参加するくらいで、走行中のほとんどの時間、バックミラー越しに斑鳩さんの顔を覗いていた。

 人鳥の言葉に、時折はんっと鼻で笑っていたけれど、三白眼の鋭さが和らぐ様子はない。

 ……この後、何を言われるんだろう。三白眼を見つめながら、何度もそんな疑問を抱く。

 何か言われるようなことを、僕は、僕と白熊さんはしていたんだろうか。……そんなつもりは、ない、はずだけれど、端からは駄目なことなのか。

 無意識に太ももの辺りを握り締めていると、肩を揺さぶられた。そんなことができるのは、この場では一人だけ。


「ねえねえ先輩、生で剣道の練習見られんの、楽しみですねー」

「……そのさ、先輩っての、さっきから何?」

「先にバイト始めたの、あざらしからだろー? だからじゃーん」

「たまたま拾ってもらえただけだよ」


 人鳥の声を聞けて、少しだけ、肩の力が抜けた。太ももから手を離して、軽く突き飛ばすフリをする。シートベルトをきちんと締めているくせに、人鳥は大袈裟に仰け反ってみせた。

 暴れんなよ、と斑鳩さんに注意され、二人ではーいと答える。たくっ、なんて言っていたけれど、バックミラーに映る斑鳩さんの表情が少しだけ、和らいで見えたのは、さて、気のせいか。

 駐車場に車を停め、斑鳩さんが降りた後、人鳥に続いて僕も降りる。緑の匂いを纏った温かな風が、ふわりと頬を撫でた。

 五月は始まったばかりだけれど、人鳥も斑鳩さんも既に半袖。僕は薄手の長袖を着てきたことを後悔しながら袖を捲り、車から荷物を下ろしている斑鳩さんの元に行く。


「ブツは俺が運ぶ。ペンギンとあざらしは……まあ、ついてこい」


 台車に箱を積んでいきながら、なんてことない調子で斑鳩さんは言うけれど、箱は合計で七つもある。一人でその量を運ぶのは大変なはず。


「僕も運びます」


 僕がそう申し出ると、人鳥も後に続く。


「おれも運びますよー。力仕事やりたいです!」

「……いや、いつもこの量一人で運んでて慣れてっから、気にすんな。お前らはただついてきてくれればいい」

「えー」

「……」


 罪悪感。

 そんな言葉が脳裏に浮かび、それは黒いモヤとなって、徐々に全身へと行き渡っていく。

 きっと顔にも出ていたんだろう、斑鳩さんはこう続けた。


「現地ではたっぷりこき使うから、覚悟しておけ」

「はーい」

「……はい」


 その言葉で少しだけ、モヤが消えた。

 前を歩く斑鳩さんにひたすらついていく人鳥と僕。件の小学校は駐車場から五分もしない所にあり、正門から入ってすぐの場所に真新しい詰所が儲けられていて、中にいた五十路と思しき警備員さんが、僕らに気付くと手を振ってくれた。


「斑鳩さん所のボン! 今日もお手伝いかい?」

「そんな所です」


 肩を竦めて笑う斑鳩さんのその様は、ただの人当たりの良い若者に見える。そんな顔できるんだと、うっかりじろじろ見たら、一瞬だけ鋭い視線を向けられたから、すぐに目を逸らした。


「毎度悪いけど、規則だから、書類に記入していってね」

「もちろんです、お邪魔します」


 僕らも記入を求められ、バインダーを借りてその場で書いていく。その最中、警備員さんと斑鳩さんの会話が耳に入ってきた。


「それで、ボン、今日はどっちのお手伝いなの?」

「どっちと言いますと?」

「今日はね、剣道教室が体育館借りて稽古してんのと別件で、どっかの高校の部活が教室借りて合宿やってんの」

「剣道教室の方です。……教室で寝泊まりなんて、今時珍しいですね」

「ここが廃校になって数年。色んな団体に貸し出しをしてるからね、そういうこともあるんだろう」


 廃校? 顔を上げて周囲を見て初めて気付いたけれど、三ケ所ある校舎の昇降口の一つに『ひなげし乳幼児くらぶ』と、ピンクや黄色で彩られた看板が立て掛けてあった。

 その看板と詰所がある以外は、普通の小学校に見える。ヒビの入った色褪せたクリーム色の壁、三階建ての校舎、土のグラウンド。ポツンと置かれた朝礼台に、校長先生が乗ることはもうないのか。


「しかもね、ボン、その合宿する部活ってのが将棋部なんだよ。一泊二日だってさ。文化部でもそういうことするんだねえ」

「文芸部の合宿とかたまに聞きますけど、将棋部ですか」

「そうそう! おいちゃんも将棋好きだから混ざりたいけど、ここの警備あるからね」

「離れられませんね」


 和やかな空気の中、ちらりと人鳥を見れば、ちょうど書き終えた所だった。


「……そういえば、人鳥の将棋部、ゴールデンウィークに合宿するとか言ってなかった?」

「言ってたー。うちかもね」

「ここにいるの、まずかったりする?」

「大丈夫でしょ。別に強制じゃなかったし、参加しなかったくらいで態度変える人達じゃないよ」

「……なら、いいか」


 全員手続きを終えると、警備員さんに見送られながら、真っ直ぐに体育館へ向かう。近付くにつれて剣道特有の、竹刀を打ち合う音がよく聴こえるようになった。

 上手く撮れるかな、と少し不安を覚えながら、ポケットに手を添える。そこに、白熊さんから借りたカメラを入れていた。使い方は斑鳩さんに訊いてと言われたけれど……正直訊きづらい。

 体育館の出入口付近に辿り着くと、さてそこには、ふんわりとした雰囲気の、母さんよりも歳上のご婦人が立っていた。控えめに手を振ってくれている。


「今日はありがとうね、鹿。可愛い坊や達まで連れてきてくれたのね」

「いっ、いえ。好きでやってることなので」


 名前を気にしているらしい斑鳩さん。その声は少しだけ上擦っていた。

 何か言いたげな視線を横から感じるし、斑鳩さんの背中が微妙に殺気立ってきている。……どうか、今日が無事に終わりますように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る