お宅訪問
扉を抜けてすぐ、左手に調理場があり、正面に階段があった。白熊さんはその場で靴を脱ぎ、階段を昇り始めたから、僕も同じようにしてその背を追う。
体重を掛けるたびに軋む木製の階段は幅が狭く、落ちないか少し心配だ。一応手摺りがあるから、それに掴まりながら昇りきると、閉じられた襖が前方に見える。
白熊さんは僕をそこまで誘導すると、一気に襖を開けた。──煙草のにおいが鼻に届く。
あの家では誰も煙草を吸わない。それでも、歩いている時に吸っている人達の傍を通ることがあるんだ、このにおいが煙草由来のものだとすぐに分かった。
「入って」
促され、室内に足を踏み入れると、煙草のにおいは増し、窓から差し込む陽光のおかげで、明かりを点けなくても中の様子はよく見える。
真っ先に機材が目についた。
壁に面して設置されたローテーブル。その上に、大きな液晶モニターが二つある。一つは机上スタンドの上に、もう一つは傾斜台に、それぞれ置かれていた。どちらも電源は入っていない。傍には座椅子もあるけれど、あれに座って作業しているのか。
ローテーブルの両端には二段のカラーボックスがあり、どちらもみっしりと書籍が詰め込まれている。……いや違う、左側のカラーボックスの下段だけ、書籍じゃなくて数冊のスケッチブックが立て掛けられていた。
白熊さんはローテーブルに近付きながら、僕に指示を出す。
「取り敢えず、窓の辺りに座ってくれない?」
「……」
「あざらし君?」
「……あ、はい」
言われるがままに、指差された場所に正座した。さすがに人様の家で胡座はできない。できない、けど、畳の上だから少し胡座をかきたくなる。昔の我が家は畳の部屋があったな。他人の目なんて気にしないで、いつも胡座だった。懐かしい。
一応気遣ってくれたのか、白熊さんは座椅子から何かを手に取って、僕の元に来る。
「背中や尻に敷きすぎて、ぺちゃんこになってるやつで申し訳ないけど、良かったら使って」
座布団だった。
確かに、ぺちゃんこに潰れている。……いや、ぺちゃんこって。
ありがとうございますと礼を言って下に敷くと、畳の上に直に、よりは大分マシになった。
「それと、この子を持ってほしいんだよ」
白熊さんはローテーブルの方に行かず、反対の壁へと近付く。何とはなしに目で追ったら──無意識に声がもれた。
白熊。
五つ設置されたカラーボックスの本棚の傍に、無数の白熊達が密集して置かれている。
何かしらのキャラクターの白熊、リアル寄りの白熊、ぬいぐるみもフィギュアも関係なく、とにかくたくさんの白熊達がそこにいて、両手両足の指ではとても足りそうにない。
白熊さんはその中から一体の白熊のぬいぐるみを手に取って、僕の元に戻ってきた。
「窓の景色を眺めてる感じで持って」
僕にぬいぐるみを渡すと、白熊さんは窓を開けた。温もりを帯びた柔らかな風が顔を撫で、ちらりと、白熊さんの顔を見る。
蝶は隠れていた。
「……あざらし君?」
「……いえ」
言われた通りに、両手でぬいぐるみを持ち、外の景色を見下ろさせる。……これ、あの白熊だ。二度も落ちてきた白熊。
「その子はそのままで、あざらし君は一歩分後ろに……そうそう。ありがとう」
しばらくそのままでいてねと言って、白熊さんは視界から消えた。
そのままでって、どれくらいだろう。
「白熊さん」
「何?」
「……あの、これって」
「窓際でたそがれる白熊を描きたくなってさ。あざらし君がいてくれて助かるよ」
「……」
白熊さんはそれ以上何も言わなかった。
物音が部屋に響く。白熊さんがいる後ろから。しばらくするとまた違う音がする。サラサラサラって。……この音、鉛筆か。
「──絵、描くんですね」
「二足目のワラジ」
「ワラジ?」
「仕事として頼まれたり、イベントに出展することもあるから」
「へぇ……」
すごいな、と呟いたら、別に、なんて短い返答。仕事もらえるとか十分すごいと思うんだけど。
「今やってるのは、個人的に描きたいから描いてるだけ。色々済ませたらネットにあげるつもり」
「……どこで見られます? せっかくだから見てみたいです」
「
「黒花てふてふ……」
てふてふは下の名前とか顔に掛けてるのか。なら、黒花はどこから来ているんだろう。
訊いてみるか、いや踏み込みすぎか。
「……頭、ちょっと揺れてるね」
「すいません」
「いや別に。何か、気になることでもあるのかなって」
──俺の顔見てる時も、そんな感じだし。
ぽつりと白熊さんは、最後にそうもらした。
「……っ!」
思わず振り返ると、無表情の白熊さんと目が合った。いつも見てきた無表情だけれど、何を言われるか分からないから、つい身構えてしまう。
……そんなに、僕は見ていたのか。
いや、見てたなけっこう、じろじろと。
「気になる? ……これ」
白熊さんは持っていたスケッチブックと鉛筆を畳の上に置くと、隠した左目を手で押さえる。そして立ち上がると、僕の元まで近寄ってきた。
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