店主の左目の秘密
「今日さー、将棋サロンとか行ってみない?」
昼休み、いつものように屋上近くの階段で人鳥とおにぎりを食べていると、人鳥がそんなことを言ってきた。
「何で?」
「ほら、昨日帰る時に、顧問が用事あるから今日は休みって言ってたじゃん? じゃあ今日はどうしようかな、日頃の感謝を込めて、お前をどこかに連れていこうかな、とか考えたわけよ」
「それで何で将棋サロンなの?」
駒の動かし方なんてろくに知らない。僕にできるのはオセロくらいだ。
「隣の駅に新しくできたみたいでさ、ちょっと気になって」
「人鳥が行きたいだけでしょ」
「お前と将棋で遊びたいんだよー。いいじゃんちょっとやってみようよー。良さを知ったらハマるって!」
「……」
人鳥とは中学からの付き合いだ。
入学した時に同じクラスで、返却されたノートの取り違いがきっかけで話すようになって……二年の時に、すごい世話になった。
むしろ、日頃の感謝を込めて何かをすべきなのは僕の方だから、興味がなくとも、いやちょっと微妙にあるな、あるにはあるから、一緒に行くべきなんだ、本当は。
「……ごめん、今日は用事あるから」
白熊さんとの約束がなければ、行ってたんだけど。
駄目かー、なんて残念そうにしながら、僕が渡したおにぎりを食べる人鳥。それが申し訳なくて俯いていたら、背中を軽く叩かれた。
「また別の日にしよう。毎日部活があるわけじゃないんだから」
「……ごめん」
また背中を叩かれたから、僕は顔を上げて、手の中のおにぎりを口に運んだ。
「それにしても珍しいな、海豹に用事があるなんて。おれ以外の友達でもできたのー? それとも彼女ー?」
「そんなんじゃないよ」
「まあ、できても文句はないけどさ。一度くらいは一緒にお昼とか食べてみたいけど。あ、彼女だったら遠慮するから安心してよ」
「……今の所、そんな予定ない」
「またまたー」
ちらりと、人鳥を見る。美味しそうにおにぎりを食べているのが、ちょっと嬉しい。
人鳥こそどうなのか。
僕以外の人ともよく話してて、遊びにも誘われている。僕も誘われるけど、きっと人鳥のおまけだ。一緒にいると時折女子の視線を感じるくらいには、人鳥はかっこいい奴だと思う。
逆に人鳥に彼女ができた日には、遠慮しないと駄目なんだろうな。
「そういや、小耳に挟んだんだけど」
「何?」
「──例のおにぎり屋の人、左目の辺りに酷い火傷があるんだって」
おにぎりが喉に詰まった。
人鳥が焦りながらもお茶を渡してくれたり背中を擦ってくれたからどうにかなった。なったけれど……火傷? 何それ。
白熊さんの左目には、綺麗な蝶がいるのに。
「だ……だれ、が」
「お前みたいにあの店通ってるっぽい奴が、友達に話してるのたまたま聞いたんだよ。前髪がずれて、赤いのが少し見えたんだって。あれは火傷だろうってさ」
「……」
火傷じゃない。蝶だ。紅い蝶なのに。
でも、それは言えない。
内緒にしといてと、頼まれたから。
「だからその、あんまり気にしない方がいいかもね」
「……」
「海豹?」
見てはいけないものかもしれない。……それでも、見たい。あの綺麗な紅い蝶を。一分にも満たない時間でしか目にできなかった、秘された蝶を、もう一度、ちゃんと見たい。
人鳥にも、誰にも言えないけれど。
「……何でもない、ありがとう」
礼を口にすると、人鳥の手は離れていき、それと同時に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いて、僕たちは慌てて教室に戻った。
◆◆◆
放課後になり、僕は真っ直ぐ白熊さんの店に向かう。人鳥とは教室で別れた。クラスメイトと楽しそうに話していたから、きっと遊びに出掛けるんだろう。
気持ち早足に行けば──昨日と違い、お店のシャッターは開いていて、ちょうど店の中から、レジ袋を手に持ったお婆さんが出てきていた。
営業してる。昨日はたまたま午後はお休みだったのか。
店の外からそっと中を覗けば、奥の白熊さんと目が合った。
「あざらし君、いらっしゃい」
「……こんにちわ」
店内に客の姿はなく、白熊さんは颯爽と僕の元まで来て、中に入ってよと促してきた。言われた通りにすれば、彼は僕に背を向けて、壁に向き合い何やら手を動かし始める。
間もなく、音を立ててシャッターが降りてきた。
「……え、お店は」
「もう閉店。俺の店だから、営業時間も俺が決めるよ」
白熊さんは振り返り、口元に笑みを浮かべて僕を見る。
「来てくれてありがとう。助かるよ」
「……どうも」
何となく気恥ずかしくなって目を逸らしそうになった。それを寸前で堪え、じっと白熊さんの顔を──隠された左目を見つめる。
何も見えない。
ありもしない火傷も、秘された蝶も、何も。
「僕、何をしたらいいですか」
訊ねれば、白熊さんは顔を僅かに右に傾け、左目を隠す前髪が少しずれた。それでも蝶はその姿を微塵も見せてくれない。
「簡単なことだよ、あざらし君。君はただ座っていればいい」
こっちにおいでと言い、白熊さんは奥に向かう。よく見れば、レジの傍に扉がある。居住スペースに繋がっているんじゃないか。そこに用があるのか。
扉が開けられる。
白熊さんは立ち止まり、僕を見ていたから、急いで彼の元に行った。
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