第1-2話
死体は徹夜で二分割にした。下はキャリーケース、上はバックパックに入れ、早朝、二人と計一体で出発した。重さが分散したとはいえ、キャリーを引く方が楽だろうと思ったが、女はバックパックの方を持ちたがった。
僕が玄関先に座り込んでブーツを編み上げていると、あくまで自然に、ふと思いついたような様子で部屋に戻り、見ればバックパックに割れたワインボトルを突っ込んでいた。
夜の気配を残した朝を歩く。女は跳ねるようにしてバックパックのポジションを直し、僕に向けた独り言を呟いた。
「やっぱり山、かな。獣が食べちゃうっていうよね」
「君が食べたらよかったんじゃない」
「今度から、そういうのは出かける前に言って。来た道は戻らない主義なの」
「素敵だね」
女の後に続き始発に乗り込んだ。適当なところででたらめに乗り換えていると思っていたが、どうやら都会と逆方向へ進んでいるらしい。向かいからやってくる通勤ラッシュの満員電車が、鋭い風の音を立ててスレスレですれ違う。平日の朝、多くの人が仕事へ向かう箱に乗り、僕は男の下半身を運んでいる。
最後に乗り換えた単線の電車は、僕たち以外に乗客はいないようだった。少なくともこの車両は貸し切り状態だが、女は立ったままでバックパックすらおろさない。
「座りなよ。荷物おろせば」
「電車では最初から座らないって決めてるの。老人に席を譲りたくないから」
「今、誰もいないじゃないか」
「次の駅で満員にならない保証はある?」
「僕の隣には、大抵は誰も座らないよ」
「気持ちの問題だから」
それならば尊重しよう。僕はキャリーケースを足に挟むようにして端の席に収まった。女はつり革にぶら下がり、退屈そうに外を眺めていた。結局車両に人は増えないまま、終点に着いた。終着駅の名は『海』だった。女は苦笑いをしたが、僕は悪くないと思った。
灰色の砂浜に湿気った花火や吸い殻が散らばっている。遠くからドブ色の海を眺めていると、正午を告げる鐘が鳴り響いた。女はどんどん海に近づいていく。慣れない電車で疲れた僕は、強烈な眠気と戦っていた。午前中いっぱい電車を乗り継ぎ続けた。ずいぶん遠いところまで来てしまった。
「ねえ!」
海に向かって歩いていた女が振り返り、声を張った。砂浜へおりるとキャリーケースのペダルに砂が噛み、ずるずると引きずるだけになった。物理的な重みより、精神的なそれが僕の足を重くする。女の顔は白かった。どちらが死人かわからない程に。
波打ちぎわに着くと僕はキャリーケースを開け、中身を取り出した。女は、上はバックパックごと流すと言ったが、その場で開けさせた。僕は男にしてやりたいことがあった。
「何をするの?」
「設計図を書きかえる」
男の身体は綺麗だった。ピアスやタトゥはひとつもない。僕は女にもらったピアスを耳から抜き、男の身体に押し込んだ。ピンの先端が肉に埋もれるとすぐに行き止まりになる。力を入れ、その先へ押し込むと、ブツッと皮を破る感覚を得た。やわらかい肉をぐうっと押し進め、出口側の皮もブチリと貫通させた。
「やだ、全然似合わないわ」
「この人は、
僕と女は、男を抱えて海に入った。首のあたりまで水に浸かると、女とうなずき合い、男の身体から手を離した。魚のように浮かぶものかと思っていたが、少しずつ沈みながら緩やかに沖へ流されていった。
そのうち僕の杭が、男を海の底へ打ち付けるだろう。
気泡に続き、ぷかりと何かが浮かんできた。女がバックパックに詰めたワインボトルだ。手を伸ばしたが届かず、女は気付かない。ボトルはどんどん流され、あっという間に見えなくなった。
「あなた、もういいわよ」
女は波に揺られて喋りにくそうにそう言った。僕も顔を上げ、口に飛び込む水をぷっと吐いた。
「いいって、何が?」
「自殺の続き。このまま死ねば」
「あの男と溶け合うのは嫌だ」
「なら戻りましょう」
太陽は真上にある。睡眠不足の上、水に体力を奪われ、熱い砂の上にどっと座り込んだ。女は髪を、僕は濡れたシャツを絞り、目で自動販売機を、頭では女にかける言葉を探した。
ひと一人飲み込んだ海は、何事もなかったかのようにそこにある。
「気が済んだ?」
「ええ」
「君の怒りは、どこへ行ったの?」
「ワインボトルを見たかしら」
「うん」
「あれが怒り。宛先不明の、私の逆鱗」
「流されてしまったよ」
「それでいいの」
女は足の砂を払うと、僕を見下ろして微笑んだ。
「ねえ。あなたは、怒り続けていて」
そう言い残して女は消え、僕はまたひとりになった。
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