第1-1話/僕は彼女と死体遺棄をする

 多くの人が選ばない方の選択をし続けてきた。何事においても『その他』にくくられる少数の側でいることを望んだ。理由はひとつ、僕は世界に嫌われている。




 ――午後五時、夕景。


 すれ違う女の視線が明け透けにものを言う。全身に及ぶピアスとタトゥ、あるはずのものがない身体。警戒されるにはじゅうぶんな要素を僕は備えている。誤解される前に断っておくと、威嚇や攻撃性の表現ではない。ではなぜそういうことするの、という問いには簡潔かつ便利な答えを用意している。神の設計図を書きかえた、だ。これで大抵の人間は離れていく。



 岸壁のふちに立ち、海の動きを見極める。岩に打ち付ける波の飛沫は僕の身長を容易く跳び越え背後を濡らす。波が限界まで下がった瞬間に飛ぶべきだ。タイミングを誤れば、迫る波に押し戻されてしまう。

 何度か見送るうちに濡れそぼり、身体の芯が冷えた。日は沈みかかっている。



「ねえ、そこから飛ぶつもりなら、私を殺して」


 絶望の途中では振り向けない。

 

「ねえってば」


 鼻を鳴らして僕の顔をのぞき込んだのはさっきの女だ。ワイン色の血で濡れたワンピースに見覚えがあった。


「私、傷付いてるの」

「そう」

「お願い、殺して」

「なら先に僕を突き落としてくれよ」

「加害者にはなりたくないの」

「僕だってそうだよ」


 同じようなやり取りを繰り返すうちに夜になった。懐中電灯の光が僕たちをとらえると、巡回の警察官が現れ、パトカーに乗せられた。手負いの猫でも扱うような警察官相手に、女は僕と同居しているのだとしゃあしゃあと吐いた。

 女が指定したアパートまで送られると、婦警と女は車内、僕と初老の警察官は車の外に出て別々に聴取を受けた。念のためにすることだと言われたが、僕が女を脅していると思われたらしかった。見た目で損するのはこういうときだ。形式的な質問に答えると解放され、あかりのともらない赤色灯を見るともなく見送った。


「失礼な婦警だったわ。手首を見せろと言われたの」

「差別だ。僕は注射痕を確認させろと言われた。僕も自傷の心配をされたかった」

 

 この世界は絶対に間違っている。


「なんで僕を拾ったんだ」

「あなたが私をさらったのよ」


 被害者は加害者なくしては存在しえない。

 常に前者でありたいと願う僕らの相性は最悪だ。

 こいつ嫌いだ、と思った。



 ◆



「適当に座って」

「どこに……」


 女の部屋の中は台風が通過したような有様だった。ダイニングテーブルが引っくりかえり、家庭用か疑わしい大画面のテレビは液晶が砕け虹を描いている。何より目を引くのは豪快に倒れた本棚、の、前で倒れている男の死体。血の海で泳いでいる。


「この人、誰?」

「恋人」

「何したの?」

「何度目かの浮気」

「そうじゃなくてさ。君が殺したの?」

「やらされたの」


 目まいがした。女はキッチンでコーヒーを淹れている。死体を前に、不快な感覚に陥った。また一歩、死から遠ざかったような気がしたのだ。気分が悪くなり、鳥肌が立った。


「砂糖とミルクはいる?」

「ハチミツと豆乳あるかな」

「ない」

「じゃあブラックでいい」


 家具のいっさいが倒れてる部屋の中で、二つのイスだけが立っている。それに座り、女と向かい合ってコーヒーをすすった。テーブルがないからカップは膝の上に置くしかなく、くしゃみをしたら少しこぼした。


「あなた、びしょ濡れね」

「海に立ってたから」

「シャワーをどうぞ」


 女の視線を辿ると、男の血を吸ったバスタオルが床に落ちていた。あれを使うのは抵抗がある、そう言おうと口を開くと、さっと唇を盗まれ、ぽかんとしている間にバスルームに押し込まれた。投げやりにシャワーをかぶり、潮でべたつく身体を流していると、ふいに鉄の匂いを思いだし、しゃがみこんだ。降り注ぐ水は四十二度あるはずなのに震えがとまらず、自分の肩を抱いた。死にたかった。


 目まいがおさまると立ち上がり、バスルームを出た。脱衣所には真っ白なタオルが置いてある。タオルを身体に巻き、修羅の場に戻った。


「おかえり。うわ、タトゥすごいね」

「僕の服は?」

「洗濯中。ねえ、タオルの中、もっと見せて」


 いいとかよせとか言う前に、女は僕のタオルに手をかけて引っ張った。


「わお。おっぱい大きい。想像通り、着痩せするタイプ」

「タトゥが見たいんじゃなかったの?」 

「あなた、自意識過剰なのよ」

「なんか急に元気そうだね」

「ときどき、こう、ハイになるの」


 女は床に落ちていた男物のシャツを拾って差し出した。バスタオルを剥がされては受け取る他なく、他人の匂いのするそれを素肌に羽織った。


「ねえ、話戻るけど。死ぬ前に、あの男、片づけてくれないかな」

「もしかして自殺志願者に死体遺棄させるためにあの場にいたわけ?」

「ううん。私も死ぬつもりだったけど、あなたに出会ったから」

「死体は重くて動かせないよ」

「風呂場でバラすとか?」

「ごめん、それ僕にメリットあるのかな」

「思い出作り」

「嫌だ。これ以上、恥を重ねたくない」

「なら人助けだと思ってよ」

「頭おかしい」

「あなたもね」


 このクソみたいな世界に、いつも僕は抗えない。多分、きっと、空が白んだら、見知らぬ女と見知らぬ死体を遺棄しに行くのだろう。なぜ自分がこんな目に、と思いながら。


 ものが散乱する部屋の中、ちょうどよく足もとにアイスピックが転がっていた。バキバキに割れた姿見を覗き込み、身体に残された狭いスペースにあなを開けた。黙って見ていた女が自身の耳からピアスを抜き、僕に差し出した。ステンレスは女の体温をとどめていて、そのぬくみはひどく僕を落ち着かせた。ピンが刺さり、孔が埋まる。呼吸が楽になる。大丈夫、これでもう大丈夫。ピアスは世界に流されないためのくいだ。激流の中にいても、決して僕の手を離さない。ありのままでは生きられない不良品の僕は、こういうふうにして、今までどうにか生きてきた。だが、その孔は今、裂けつつある。


 女を見ると床にうずくまって泣いていた。部品を失い、バランスを崩したのかもしれない。女の設計図も間違っているようだが、もらった杭は返せない。


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