第83話 やあ、よく来たね
一織のクラスである二年一組の前には行列が出来ていた。プラカードを持った生徒が数人、忙しそうに客を誘導している。
「凄い行列。一織ちゃん大人気じゃない」
母が誇らしそうに俺の背中を叩く。俺達が関係を周りに隠している事は伝えてあるから滅多な事は言わないと思うが、少しでも口を滑らせたら終わりだ。そして何を言うか分からない紅葉さんもいる。最悪の事態を想像してつい身体が強張った。
「一織はホント凄いんだよ。『王子様』だからな」
母にだけ聞こえるようにボソッと呟く。列を作っている全員が女性である事に今更驚きはない。一織ならそれくらいはするだろうという謎の自信があった。
「────でも、俺の前では子猫ちゃんだけどな」
「ちょっ!? 変な事言わないで下さいよ!」
紅葉さんがとんでもない事を言い出して、俺は咄嗟に周囲に視線を走らせる。周囲の喧騒に紛れて幸いな事に俺達の会話は誰の耳にも入っていなかったらしい。なぜそれが分かったかというと、もし聞こえていたら俺は今頃無事ではないからだ。
「娘をどうしたいんですか、紅葉さんは……」
「私は一織の幸せを祈っています。母親とはそういうものよ」
「うんうん、そうですよね。私も夏樹の幸せを祈ってるもの」
「そっか……まあ、ありがとう……?」
面と向かってそんな事を言われるのは恥ずかしくて、俺は母から顔を背けた。心がむずむずして何とも居心地が悪い。俺が唇を尖らせていると、紅葉さんがチラッと俺を見て微笑む。
「若いっていいわねえ」
心の中を見透かされた気がして、俺は顔を隠す様に一歩前に出る。すると、プラカードを持った子がこちらにやってきた。
「12時からのお客様ですか?」
「あ、そうです。三人なんですけど」
俺の言葉に、女の子がさっと視線を俺の背後に走らせた。ごく普通の見た目をしている母と、着物姿で抜群に周囲から浮いている紅葉さん。そして男子高校生の俺。一体何の集まりなんだと不審がってもおかしくない。
「わっ、分かりました。えっと、三名様ですね。もう少しで12時からの方をご案内出来ますので、列の後ろに並んでお待ち下さい」
案内に従って俺達は列の後ろに並んだ。教室の中で何をやっているのか分からないが、列はそこそこのスピードで進んでいるようだった。このペースならあと二十分くらいで俺達の番になりそうだ。
俺達の後ろにも続々と列が出来ていく。丁度一つ後ろに並んでいる雀桜生の二人組の会話が、ふと耳に入った。
「どうしよどうしよ、何着て貰う!?」
「私さぁ、ちょっとガチっぽくてキモいかもなんだけど……やっぱり制服かなって」
「えっ、待って、私も同じ事思ってた! 普段は恐れ多くて声なんてかけられないし、マジで今日しかないもんね!」
話しぶりから察するに二人は一年生のようだった。そしてどうやら一織が中で何をやっているのか知っているらしい。何を着て貰う、という事は衣装を使う出し物なのか。制服をチョイスするあたり、ただ着るだけという訳ではなくそこから先があるんだろう。一織の制服姿は見慣れているだろうし。
「一織様、三名様入りますね」
答えに辿り着くより先に俺達の番が来てしまった。入り口に立っている女子が教室のドアを勢いよく開ける。一体、何が待っているのやら。
俺達が中に入ると、後ろでドアが閉まるのが分かった。教室の中は白い布で前後半分に区切られていて、黒板の前に制服姿の一織が立っていた。
「やあ、よく来たね────え」
一織が俺を見て目を丸くする────正確には俺の背後にいる二人を見て。
「ご、ごめん一織……皆で来ちゃった」
「どうせ結婚する前に顔合わせをするでしょう。その予行演習だと思えばいいわ」
「ごめんねえ一織ちゃん。丁度ばったり会っちゃって」
三人揃って一織に謝る。呆気に取られた様子の一織の顔が、じんわりと赤く染まっていった。
「…………困ったな……いや、こういう時が来るのは覚悟していたんだけどね。まさかこんなタイミングだとは思っていなかったよ」
一織が教壇から降りてこちらにやってくる。何をする出し物なのかまだ分からない。教室全体が白い布で囲われていて、照明がいくつか配置されている。
「ねえ夏樹。ボクをびっくりさせて、次は何をさせるつもりなのかな。まさか誓いのキスをしろだなんて言うつもりじゃないだろうね?」
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三か月ぶりくらいにヒロインが登場しました。お待たせしてごめんなさい。
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