第79話 ここは敵地のど真ん中

 クレープの作り方を教えたあとも、俺は何故か『カフェ古林』の飛び入り店員として働いていた。古林さんが「もういいですよ」と言わなかったからタイミングを逃したというのが表向きの理由で、裏の理由は古林さん以外の子があまりにも接客業に不慣れで見ていられなかったからだ。


「センパイ、クレープ5個お持ち帰りです! いちスぺ2、チョコバナナ2,ブルーベリー1で!」

「了解。園崎さん、生地あと10枚お願い出来る? 綾野さんはバナナを切っておいてくれると助かる。もうすぐなくなりそうだったから」

「わっ、分かりました!」

「はーい」


 いつの間にか俺はキッチンリーダーのようなポジションに収まっていた。古林さんがホールリーダーをやっているので雰囲気はほぼサイベリアだ。忙しさもそのままで、正面玄関の近くにある『カフェ古林』はなかなかの盛況ぶりを見せている。


 最初こそ「不審者が働いている」と問題になるんじゃないかとビクビクしていたけど、どうやら俺の存在も普通に受け入れられているらしい。見回りに来た雀桜の先生すら俺と目が合っても何も言わなかった。もしかしたら過去にも蒼鷹生が飛び入り参加した事があるのかもしれないが、少なくともメイド服は着ていなかっただろう。


「ふぃ~、疲れましたねえ」


 開店から一時間ほどが経ち、やっと客足が落ち着いてくる。スポット的にノーゲストの時間が生まれると、古林さんがキッチンにやってきて苺の切れ端を口に放り込む。


「あっ、りりむズルい! 私も食べよーっと」


 綾野さんが対抗するようにバナナにチョコソースをかけ、食べる。園崎さんは二人を見て不安げな表情を浮かべている。


「園崎さんも食べたら? 疲れたでしょ」


 俺が苺を刺した爪楊枝を差し出すと、園崎さんは遠慮がちにそれを受け取る。おずおずと苺を齧ると小さく笑顔を浮かべた。つまみ食いの雰囲気を感じ取った他の子達も続々と集まってきて、俺は囲まれてしまう。


「思ったより忙しかったですねえ。センパイがいなかったらヤバかったかもしれません」


 古林さんがバナナに手を伸ばしながら言う。何個食べるつもりだろう。


「本当に助かりました。『カフェ古林』緊急閉店のピンチだったもんね」

「確かサイベリアで働いてる人ですよね? 私見た事あるかも」

「えっ、てことは一織様の……?」


 剣呑な雰囲気が教室を包む。


 ────そうだ、ここは他でもない雀桜高校。俺を嫌っている雀桜生の本拠地に他ならない。


 どうして俺は敵地のど真ん中でメイド服なんて着ているんだろう。急に我に返る。


「まあまあ、今はそういうの抜き! センパイのお陰で助かったんだから」


 俺が身体を強張らせると同時に、古林さんが大きな声で場を支配する。『カフェ古林』のマスターの言葉は絶大なようで、さっきまでの空気がふっと霧散していく。古林さんはクラスでも中心人物なんだろうな。


「確かにそうね。ごめんなさい、先輩。えっと……」

「山吹夏樹さん。ですよね?」

「うん。こちらこそ何かごめんね」

「なんでセンパイが謝るんですか! センパイは堂々としてればいいんですよっ」


 古林さんが三つ目のバナナを口に入れながらもごもごと言う。「流石に食べ過ぎだ」とツッコむと「沢山動いたから栄養補給しないといけないんです」とそれらしい反論が返ってきた。サイベリアで働いているだけあって、古林さんはまだまだ元気そうだ。他の子達は顔に疲労が浮かんでいる。部活をやっている子もいるだろうけど、店員として働くのは部活とはまた違う緊張感や疲労があるんだろう。


「俺、そろそろいいかな?」

「あっ、そうですね。すいませんセンパイ、本当に助かりました」

「気にしないで。クレープの作り方は紙に書くとかして引き継ぎをしっかりしておいてね」


 忠告をして空き教室に移動すると、何故か古林さんも付いてきた。着替えるからいられると困るんだけど向こうは気にする様子もない。仕方なくその場でメイド服を脱ぐと、古林さんは慌てて目を逸らす。


「そういえばさ、なんで『カフェ古林』って名前なの?」


 ずっと気になっていた事を訊いてみると、背後から「私も抵抗したんですけどねえ」と不満そうな声が聞こえてくる。


「私がサイベリアで働いている事は有名なので。カフェをやる事に決まったら、自動的にリーダーみたいになってしまったんです」

「実際リーダーみたいだったもんね」

「まあ、それはいいんですけどね。私もやるならきっちりやりたいタイプなので。ただ名前は普通のが良かったなあとは思いますけど」

「まあでも、名前が目に付いたお陰で古林さんを助けられたし。俺はいいと思うよ、『カフェ古林』」

「……センパイ、それ本気で言ってます?」


 着替え終わり振り返ると、古林さんがジトッとした目で俺を睨みつけていた。メイド服姿の小さい後輩に睨みつけられても全く怖くないし、何なら可愛くすらある。我が『サイベリア紫鳳中央店』の愛すべきマスコットキャラクターだ。


 メイド服を古林さんに預け、教室を出る。「ありがとうございましたー」という大きな声に手で応えて、俺はパンフレットを開いた。『立華一織』という店名が一際強く俺の目を惹き付ける。


 …………さっき、一瞬だけど教室に流れた不穏な空気。もし俺と一織が付き合っている事が雀桜生にバレたら、一体どうなってしまうんだろう。

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