第78話 カフェ古林、回り始める
そんな事出来る訳ないだろ。
──と言いたい所ではあったものの、それ以上にお客様を待たせてしまっているのがストレスで仕方なかった。これはもう接客業をしている者の職業病なのかもしれない。抗いようのない焦燥感が胸いっぱいに広がっていた。
さらに付け加えるなら、俺はメイド服には慣れている。残念なことにメイド服に袖を通すことに対するハードルは極限まで下がっていた。どうしてこんな事になってしまったんだろうか。今考える事べきないのは分かっていても、つい頭を抱えてしまいそうになる。古林さんが俺に向かって差し出している黒と白のフリフリが、俺にはどうしても遠い存在に思えないのだった。
「分かった。もう何でも着るからとりあえず店に戻ろう」
そんな訳で、俺はもう二度と着ないと思っていたあのツートンカラーを身に纏い店に舞い戻った。メイド服を着ているといっても首から上は完全に男でしかないから、俺を見た他の店員やお客様が、一瞬、びっくりしたような表情になる。
昔の俺なら心が折れそうになる状況だが、こんな視線を俺はサイベリアで数えきれない程浴びてきている。驚くほど動じない自分がいた。
「よし、じゃあ早速調理を始めよう。クレープだったよね」
「は、はいっ! よろしくお願いしますっ」
途中の水道で手は洗ってきた。除菌シートで手を拭きながらキッチンに入ると、古林さんを始めとした雀桜生が集まってくる。
「作り方を教えるからその通りにやってくれるかな。まずはボウルに卵を割ってかき混ぜてみて」
「わ、分かりました!」
店員の一人が慣れない手つきで卵を割る。
俺が作った方が速いけど、それじゃお客様は満足しないだろう。並んでいるお客様は可愛い女子高生が作った料理が食べたいのであって、メイド服を着た変態男子高校生の作った料理が食べたい訳ではない。
「混ぜ終わったら小麦粉を入れるんだけど……これは薄力粉か。パリパリ系のクレープになると思う」
「え、もちもち系じゃないんですか?」
古林さんが聞いてくる。
「もちもち系にしたいなら強力粉かな。確かたんぱく質の量が違うとかで分類が分かれてるはず。あ、薄力粉混ぜる時はふるいを使った方がいいかも」
「はえー、センパイ詳しいですねえ」
「俺、一応キッチンも出来るからね。サイベリアで作った事があるんだ」
昔、店長からサイベリアの全メニューの作り方を一通り教えて貰った事がある。今は全てを覚えている訳ではないけど、クレープは比較的簡単だったから頭の片隅に残っていた。
「あ、あの、混ぜ終わったかもです」
「よし、じゃあ後は牛乳とサラダ油を入れて混ぜたら生地は完成。冷やした方が生地が分厚くなるんだけど、今回はそんな暇もないしそのまま焼いちゃおう。古林さんフライパン準備出来る?」
「おっけーです!」
古林さんがテキパキとした手つきでフライパンをカセットコンロにセットする。サイベリアの荒波に揉まれているからか、他の子より格段に動きが俊敏だった。
「油は薄くでいいから、直接入れるんじゃなくてキッチンペーパーとかに染み込ませて塗った方がいいと思う」
「こんな感じですか?」
古林さんがフライパンに油を塗ると、フライパンの表面がうっすらと輝きだした。
「うん、それくらいでいいかな。そうしたら中火でフライパンを温めて、熱くなり過ぎないくらいの所で生地を入れてみよう」
「ゆっこ、生地係任せていい?」
「う、うん。頑張ってみる……!」
生地を混ぜていた子がおずおずと首を縦に振る。古林さんはキッチンスペースから出ると、くるっとこっちを振り向いた。
「じゃあセンパイ、私はドリンクの方に行ってくるのであとよろしくお願いします! ウェイティングの人のお持ち帰りのドリンクは先に出せると思うので、一通り聞いてきます!」
「確かにそれがいいね。じゃあ頑張って」
「はいっ!」
声と同時に古林さんが廊下に飛び出していく。流石、店名に自分の名前がついているだけの事はある。機転の利いたいい判断だ。
「お持ち帰りのお客様はいらっしゃいますかー? ドリンクでしたら先にお出し出来ますのでお聞きしますー!」
廊下から元気な声が響いてくる。一時はどうなる事かと思った『カフェ古林』だったけど、何とか無事に回り出した。そんな雰囲気が教室を包んでいく。
俺は胸に手を当ててホッと一息ついた。ひらひらとしたリボンが俺の手を出迎え、つい苦笑いしてしまう。本当、なんて格好をしているんだろう。
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