第68話 立華紅葉

 一織から送られてきた住所はこの辺りでは歴史ある高級住宅街として知られている地域だった。利便性に優れているとは言えないがその代わりに閑静な雰囲気が漂っていて、豪邸や趣のある日本家屋が立ち並んでいる。車庫には当たり前のように高級外車が停められていて、歩いているだけなのに気が付けば背筋が伸びていた。


 一織、もしかしてお嬢様だったのか……?


 マップをこまめに確認しながらどの家にもついている立派な表札を確認していく。目的地と現在地の点が重なっているから近くまでは来ているはずなんだよな。ここじゃなければ隣の大きな日本家屋かと思いながら確認してみると、木で出来た大きな表札に毛筆で『立華』と書かれていた。


「こ、ここか……」


 パッと見の印象は「重要文化財か?」という雰囲気の家だった。それは流石に言い過ぎかもしれないが豪邸である事は間違いない。大きな庭は綺麗に手入れされていて、奥の方には小さな池も見えた。庭に池がある家なんて初めて見たかもしれない。


 門の傍にあるインターホンを押すと、少しして「はい?」という穏やかな女性の声が返ってくる。機械を通した声ではあるが一織ではない事は分かった。


「あ、えっと……一織さんの友人の山吹夏樹と申しますが」

「ああ、聞いていますよ。少し待っていて下さいね」


 インターホンが切れる。待っていると、玄関から着物姿の女性がこちらに向かって歩いてきた。長い黒髪が風を受けてはらりと宙に舞う。遠目にも綺麗な人なのが分かったし、門が開いて目の前にやってきてもその印象は変わらなかった。


 多分、一織のお母さんだよな。


「初めまして、夏樹さん。一織の母の紅葉もみじと申します」

「ご丁寧にありがとうございます。一織さんと仲良くさせて頂いています山吹夏樹と申します」


 練習していたので言葉はすらすらと出てきた。こういう時、接客業をやっていて良かったと思う。サイベリアで働いてから初対面の人と話す事で緊張するというのはあまりなくなった気がする。


「えっと、これ、つまらない物ですが」


 事前に用意していた菓子折りを差し出す。悩んだ末に二千円くらいのお煎餅にしたんだけど、こんな立派な日本家屋を前にするとどうにも頼りなく感じる。もっと高い物にしておけばよかった。


「あら、お若いのにしっかりしているんですね。ありがたく頂きますね」


 紅葉さんの反応で俺はほっと胸を撫でおろす。彼女の母親に嫌われる訳にはいかないし、一挙手一投足に気を付けなければ。


「あら、お煎餅かしら。美味しそうね」


 紅葉さんは目を細めて菓子折りを眺めると小さく笑う。その笑い方がちょっと一織に似ていて、親子だなあと思った。一織が髪を伸ばして年齢を重ねたらきっと紅葉さんのようになるんだろう。


「ねえ、夏樹さん」

「はい」


 紅葉さんは菓子折りから顔を上げると鋭い眼差しを俺に向ける。その妖艶な仕草に、俺の身体はそれだけで蛇に睨まれた蛙のように動かなくなってしまった。一織は周囲の視線を惹き付ける圧倒的なオーラを纏っているけど、紅葉さんもまた違う強烈なオーラを纏っていた。


 紅葉さんは俺の耳元にそっと顔を近付け────言った。


「…………もう一織とちゅーはしたの?」

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