第62話 バカップルではない

 一織と付き合う事になった時、俺が想像したのは「王子様とその家臣」のような関係で、俺はきっとこの先ずっと、一織の一挙手一投足に肩を震わせ、顔を青くし、背筋を伸ばし、胸を高鳴らせるんだろうと思った。


 その予想は概ね的中していて、一織はお得意のわざとなんだか素なんだか分からないクサい台詞と、それに全く負けてない格好良くて可愛い表情で、俺の心を蹂躙した。一織と付き合う事になったあの時の俺より、今の俺の方が絶対に一織が好きだと断言出来る。


 そんな王子様は今、俺のベッドに座ってニヤニヤと笑みを浮かべて、真っすぐこちらを見つめている。


「さて、二度目のお家デートな訳だけども」


 俺の彼女は今日も格好良い。今日のデートは一織が「もっと俺と一緒にいたい」と言い出した事が発端な気がしているんだけど、絶対に自分からそれを言い出したりはしないという強い意志を感じる。どうあっても俺からくっつかせるつもりらしい。


「そうだね。来てくれて嬉しいよ」


 俺はローテーブルに麦茶とお菓子(母親に無理やり渡された妙に気合の入ったクッキーだ)を置いて、勉強机から椅子を引っ張りだした。くるっと回転させて背中を預ける。


「む」


 一織がボソッと漏らした。まるで俺が椅子に座る事を選択した事が気に食わないみたいだった。他に座る場所といったらもう、ベッドしかないんだけど。


「…………」

「…………」


 無言のやり取りを視線で交わす。「分かっているんだろう、隣に座りたまえよ」「いやいや、俺は椅子でいいよ」どうやら向こうも俺の意思を感じ取ったみたいで、頬を膨らませながら麦茶に口を付けた。因みにうちは一年中麦茶派だ。麦茶最高。


「…………むう」


 俺は一織の格好良い所が大好きなんだけど、同じくらい可愛い所も大好きだった。だからこうしてたまに困らせたくなってしまうんだ。今日は何となく、俺が精神的に優位に立っている気もするし。


 まあ、正直に言えば俺だって今すぐ一織とくっつきたかった。当り前だ。大好きな一織が部屋にいるんだから。でも一織がそう思っているように、俺だってどうしても一織からくっついてきて欲しかった。


 今すぐ隣に座りたい気持ちをぐっとこらえて、俺は涼しい顔で椅子を一回転させる。くるりと視界が流れて、戻ってきたら一織が不満そうに俺を睨んでいた。


「そうかそうか、つまりキミはそういう奴なんだな」

「エーミールやめて、面白いから」


 まさかの国語の教科書語録につい噴き出しそうになる。このネタはどの世代まで通じるんだろうか。店長とか分かるのかな。


「エーミールも出てしまうさ。彼氏が強情なんだからね」

「そうかなあ。強情なのは彼女の方だと思うけど」


 今すぐにでもくっつきたいのに、お互い張り付けられたように動かない二人。

 傍から見れば「何やってんだこいつら」と思うかもしれない。実際そんな感じでもある。でも、こういうやり取りが大切な気もしているんだよな。


「夏樹がどうしてもと言うから、遠路はるばる来たのだけどね」

「ぶっ!?」


 流石に無理があり過ぎる嘘に俺は噴き出した。エーミールは耐えられてもこれは無理だ。一織がくっつき足りないというから今日はお家デートになったのに。


「はあ……俺の負け負け。お尻も痛いしそっちに座ろうかな」


 どんだけ可愛けりゃ気が済むんだ、俺の彼女は。


 立ち上がると、一織の表情が僅かに明るくなる。そんなに期待の籠った視線を向けられちゃあ仕方ない。一織のすぐ隣に腰を降ろすと、腕がぎゅっと抱き締められた。


「ふふん、最初からそうしていればいいのにね。困った男だよ夏樹は」

「そんなくっつきながら言われても」


 威厳も何もない。サイベリアで働いている時とはまるで別人だった。今の一織には可愛さしか感じないし、けれどそのギャップが俺を掴んで離さない。


「一織、クッキー食べる?」

「勿論だよ。折角用意してくれたのだからね」


 そう言ってそっと口を尖らせる一織。クッキーを口元に持っていくと、一織が嬉しそうにそれを咥えた。


「…………うん、とても美味しいね。サイベリアのメニューにあったら人気になりそうだ」

「そんなになんだ。何か高いクッキーらしいけど」


 釣られて一つ食べてみると……上品な甘さと濃厚なバター、それとちょっとした塩味が口の中に広がった。


「確かに美味しいね。一織がくっついてるからかもしれないけど」

「それはあるだろうね。何といっても彼女が隣にいるのだから」

「じゃあ一織が美味しく感じたのは俺がいるから?」


 一織は答えなかった。その代わり、 頬をぴとっと俺の腕にくっつけてくる。その行為が言葉より雄弁に語っていた。


 俺達は暫くの間、ただただベッドの上でくっついていた。それだけで楽しかったし幸せだった。そうやってまったりした時間を過ごしていると、一織がポツリと呟いた。


「────そろそろ雀桜祭の季節だね」

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