第60話 帰路

「今がずっと続けばいいのにね」


 俺も同じ気持ちだった。とは言え、そろそろ帰らなければならない。温水シャワーの営業時間が差し迫っていたし、いくら真夏とはいえ夕方の海辺は少し肌寒かった。このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。


 動こうとしない一織の手を引いて、俺達はシャワーを浴びた。勿論別々にだ。水着から着替えて集合した時には空は暗くなっていて、星がまばらに見えた。


「何だか、夢から覚めた気分だよ」


 一織はどこか寂しそうに呟いた。一織の服はストリート系と言えばいいのか、大きめのシャツにカーゴパンツという出で立ちで、さっきまであんなに主張していた胸も今はすっかり隠れていた。そういう意味では俺は、逆に「夢でも見ているのか」という気分だった。


「大丈夫、夢じゃないから」

「夏樹はボクの彼氏だもんね?」

「うん。一織は俺の彼女だ」


 大切な事実確認を済ませ、俺達はどちらからともなく手を繋ぐ。一織とはこれまで何度も手を繋いできたけど、今までのはただ一織に手を引かれていただけだった。周囲の目を気にしてあたふたしていただけだった。


 今は違う。

 他でもない自分の意思で、俺は一織と手を繋いでいる。



 駅に到着し、ほどなくしてやってきた電車に乗り込む。車内はがらんとしていて、俺達の他には二、三人の乗客がいるだけだった。


 冷房の効いた車内で座っていると、やはり遊び疲れていたのか心地の良い睡魔が俺を襲い始める。今寝たら、きっと凄く気持ちいいんだろうな。甘い誘惑に負けて瞼を閉じようとしたその瞬間────こて、と肩に何かが触れ、俺はハッと目を覚ました。


「…………一織?」


 一織が俺の肩に寄り掛かって小さく寝息を立てていた。何とも珍しい光景に、俺は驚いて身じろぎしてしまいそうになるのを何とか堪える。

 人前では決して緩んだ姿を見せない一織がこんなに隙だらけな寝顔を晒すなんて、今までなら考えられなかった事だ。それだけ俺を信頼してくれているというのなら、こんなに嬉しい事はない。


 電車に揺られながら一織の寝顔を楽しんでいると、自分にとって大切な存在が一つ増えた事が実感として湧いてきた。それと同時に、同じだけの不安が心を襲っていた。それは一織を失う不安だった。


 …………前にテレビで見た事がある。

 初めての彼女とそのまま結婚する割合は、たったの一割程度らしい。


 という事は、十組のうち九組はいつか別れてしまうんだ。単純な計算で言えば俺達だってそうなる可能性の方が高いだろう。どんなカップルだって最初は一生を誓う程に相手の事が好きなはずで、それでも殆どが別れてしまう。俺達がそうならない保証なんてどこにもない気がした。

 俺はまだ恋愛の一合目に足を踏み入れた所だけど「大好きな相手だからいつまでも一緒にいられる」なんて甘い物ではない事は、何となく分かるんだ。


『彼女 いつまでも一緒 コツ』


 気が付けばそんな言葉で検索をかけていた。答えなんてない事は分かっていたけど、それでも何かが欲しかった。出てきたのは「思いやりを持とう」「お互いを尊重しよう」なんてありきたりの言葉だけで、やっぱり俺の不安は和らいでいかなかった。


「────夏樹は可愛いね」

「うわっ!?」


 びっくりしてスマホを落としそうになる。いつの間にか一織は起きていて、俺の肩に頭を乗せたままスマホを覗いていた。


「不安かい?」

「不安というか…………ずっと一緒にいたいなって」

「ボクも同じ気持ちだよ。それならきっと大丈夫じゃないのかな」


 それだけ言って、一織はまた目を閉じた。


「…………」


 これから俺達には色々な事が待っていると思う。喧嘩する事だって絶対あるだろう。それを乗り越えられるのかは、俺達次第なんだ。10%しか一緒にいられないなんてデータじゃない。


 心を埋め尽くしていた不安はいつの間にかなくなっていた。俺はスマホをポケットにしまうと、ゆっくりと目を閉じた。


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もしかしたら次回更新にちょっとお時間を頂くかもしれません。未定なので、明日更新するかもしれません。

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