第56話 青春はそれを我慢できない
「え、見ていいの?」
「面白い事を言うね。この水着を選んだのは一体誰だったかな」
「それはそうだけど。今恥ずかしいって言ってたじゃん」
見たいか否かで言えば当然見たい気持ちはあるんだけど、流石にそれを聞いた直後ではまじまじと見つめ辛いというか。それと、少し怖い気持ちもあった。自分の中の立華さんへの気持ちが、決定的に変わってしまうような……そんな予感があった。
「それは────勿論恥ずかしいよ。いや……怖い、のかな」
「怖い?」
真夏の砂浜にはそぐわない感情に、俺は首を傾げる。立華さんがどんな顔をしているのか、下を向いている俺には分からない。
「夏樹の目に、ボクが魅力的に映ってない事が、怖い。これでも女の子だからね」
そんな事ない、と反射的に叫びそうになる。だけど何故か言葉が出なかった。熱い砂浜がレジャーシート越しに足裏を焼いて、俺は足を崩す。
「夏樹に『可愛い』って言って欲しいんだ、ボクは」
立華さんの言葉が、潮風に乗って俺の耳に届いた。砂浜の熱が身体を伝って頬を必死に熱している。波のさざめきを打ち消す様に、心臓が早鐘を打った。吐きそうな程に緊張していた。
「…………」
立華さんは今、勇気を出している。
『雀桜の王子様』の立華さんにだって当然怖いものはある。恥ずかしいものだってある。好きなものも嫌いなものも当然あるだろう。何だって平気なように見えるけど、何だって平気な訳じゃないんだ。雀桜の王子様は、ただの同い年の女の子なんだから。
立華さんは今、勇気を出している。
なら、男としてそれに応えない訳にはいかなかった。
「────一つだけ、先に言っておきたい事があるんだ」
「…………何だい?」
言うしかない。どうせ、遅かれ早かれなんだ。
山吹夏樹はきっと、立華一織の事を好きになってしまうだろう。
そう、俺の人生史に深く刻まれている気がした。
「…………水着の一織を見たら、俺は多分一織の事を好きになると思う。それでもいいのなら、見る」
朝ご飯を抜いてきて良かった。もし食べていたら俺は今この瞬間に全て戻していただろう。
告白した訳でもないのに、俺の心は悲鳴をあげていた。高嶺の花に手を伸ばしているのだと、叶わぬ恋だと知っているからかもしれない。
「…………そう、か」
何となく、立華さんの身体から力が抜けたような気がした。視界の端でそれが分かった。一度口にしてしまえばもう、水着姿を見るまでもなく俺は立華さんの事が好きになっていた。いや、元々そうだったのかもしれない。
どれくらいの時間が流れたのか、俺には分からなかった。ただ数度、爽やかな風が俺達の間を吹き抜けていった。立華さんの身体から海の匂いが流れてきて、これが青春の香りかと思った。聞いていたより、少しだけしょっぱい。
「────いいよ、夏樹。ボクの事を好きになっても」
立華さんの手が、そっと俺の手に重なった。
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