第55話 水着の『王子様』
夏休み中の学生にとっては平日も休日もないが、多くの人にとってはそうではない。平日のせいか海水浴場は空いていて、家族連れは少なく、やはり同年代と思しき男女が客の大多数を占めているようだった。飲食店で働いているとすぐにそういう事を考えてしまう。きっと職業病だろう。
遠くの方に数件並んでいる海の家には既に列が出来ていて、周辺では浮き輪やパラソルを抱えた若者が楽しそうに歩いている。サンダルを袋に入れ裸足で一歩踏み出すと熱い砂が足裏を焼いた。懐かしい感覚に心が躍る。
「これ、特に集まったりしないよな?」
颯汰が呟く。
「しないんじゃないかな。もう皆遊んでるみたいだし」
本来なら男女数人ずつ集まってわいわい遊ぶ予定だったんだろうが、こうなってしまっては合コンもデートもないだろう。颯汰の夢見た砂浜デートは「同じ時間に同じ場所で遊ぼう」というふんわりとした会に変化していた。男同士、女同士で遊ぶも良し、男女混合で遊ぶも良し、あとは自由にやってくれって感じだ。
「颯汰はシラタキさんと遊ぶの?」
「ま、まあな。ちょっと連絡してみるわ」
颯太が照れ臭そうに鼻の下を擦る。颯汰の話を聞く限りどうもシラタキさんは立華さんが目当てのような気もするけど、全く気のない相手と二か月も連絡を取り合うのも考えにくい気もする。そう考えれば、実は普通に颯汰の事を気に入っている可能性もあるか。まあ俺が考えても仕方ない事かもしれない。大体、俺に恋愛の事なんて分からないし。
「夏樹は立華さんと過ごすんだろ?」
「どうなんだろう。特に約束はしてないんだけど」
もう着いてるのかな。もしかして連絡した方が良かったりするんだろうか。
「流石に彼女と別行動はありえねえって。いいから連絡してみろよ」
颯汰はそう言って、スマホを弄りながら歩き出した。きっとシラタキさんと合流するんだろう。男になろうとしている颯太の背中を、他のクラスメイト達が羨ましそうに見つめている。
◆
何をするにしろ休む所は合った方がいいだろうという考えの元、海の家でレジャーシートとパラソルを借りて設置していると、背後で歓声があがった。振り返るまでもなく立華さんが来たんだと分かったけど一応振り返ってみると、やはり遠くに立華さんの姿が見えた。どうして遠目でも立華さんだと分かったかというと、俺が選んだ水着を着ていたからだ。砂浜に散らばっていた女性陣が一瞬で集まってくる。
「…………流石にあれの中には割り込めないな」
俺はレジャーシートの上に寝そべりながら雀桜生の集団を眺める事にした。瞬く間に立華さんは大勢に囲まれ、身長の高い立華さんの頭がひょっこりと人波から顔を出している。
立華さんがわざと胸を小さく見せていたことは雀桜生も知らなかったのか、何となくどよめきのようなものがこっちまで伝わってくる。けれどそれもすぐに歓声に変わり、少しホッとした。立華さんの「女の子」な部分も雀桜生がしっかりと認めてくれたような、そんな事を勝手に思った。
立華さんを含む雀桜生の集団はそのまま波打ち際まで到達し、膝の辺りまで海に浸かった。「きゃー!」「冷たーい!」そんなざわめきが耳に届く。そのまま誰かが持っていたボールで遊ぶ流れになったらしく、謎の球技が始まった。
暫くの間その新種の球技を眺めていると、そこに蒼鷹生が混ざったり雀桜生が抜けたりを繰り返し、段々と人混みが軽減されていく。パラソルの下で休憩する人も現れ始め、立華さんの姿もしっかりと目で追えるようになってきた。
立華さんは人混みから解放されると、きょろきょろと辺りを見渡しながら砂浜を歩き始めた。それを目で追っていると、不意に目が合う。立華さんは真っすぐ俺の元までやってくると、レジャーシートの隣に腰を降ろした。
「おはよう、夏樹。ここにいたんだね」
咄嗟に声が出なかった。シミ一つない白くて柔らかそうな肌や、普段はスカートに隠されているすらっとした長い脚が無造作に目の前に放り出され、俺は目のやり場に困った。冷静に考えれば水着というのはほぼ下着姿だった。どこを見ても眩しくて、俺はそっと砂浜に視線を落とす。
「おはよう。相変わらず凄い人気だったね」
「ボクというより、ボクの胸が人気だった気がする。急に大きくなったものだから皆驚いていたよ」
「まあ、驚くよね」
一瞬だけ横目で確認すると、そこには確かな存在感を持った胸が黒い水着の下に収まっていた。セクシーなデザインの水着に全く負けておらず、逆にその魅力を存分に発揮していた。なんて水着を選んでしまったんだ俺は。
「いくら同性とはいえ、ああも胸ばかり注目されては流石に少し恥ずかしかったよ」
俺はビクッと身体を震わせて目を逸らした。立華さんが嫌がる事をしてしまっていた。ジロジロ見られていい気分になる人なんていない。そんなの当り前のことなのに。
「それで夏樹、ボクの水着姿はどう思う? 是非とも感想が聞きたい所だね」
────だから、そんな発言が立華さんから出た時は流石にびっくりした。
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