第54話 海デートは濃い塩味

 今年の夏はとびきり暑く、俺は生まれて初めて日焼け止めを購入した。日焼け止めにはレベルがあるらしく、立華さんが「今年は30ではなく50の方がいいだろうね」とか何とか言いながら選んでくれたジェルタイプの日焼け止めを全身にたっぷりと塗りたくって、俺は外に出た。海に行くんだから、日焼け止めはいくら塗っても問題ないだろう。


 颯汰曰く『ビーチ合コン』と銘打たれた本日の集まりは、いつの間にか俺達の手を離れ夏休みの一大イベントと化していた。立華さんが雀桜で参加者を募ったところ、想像をはるかに超える人数が手を挙げたらしく、50人を超えた所から立華さんは数えるのを止めたらしい。果たしてその内の何割が水着の立華さん目当てなのか、考えるのは止めた方が良さそうだ。


 雀桜生が沢山来るとなれば、勿論蒼鷹生も黙ってはいない。

 『夏を制する者は部活を制す。だが、海を制する者は青春を制する』とは我らが蒼鷹高校校長の有難いお言葉だ。いつの間にか広まった噂を聞き付けた戦士たちが集結し、雀桜生に負けず劣らずの人数が今、海に向かっている。彼らの目には光り輝く青春しか映っていない。


 直射日光の殺人光線を耐え凌ぎ、冷房の効いた電車に乗り込む。30分ほど揺られれば海水浴場のある駅に到着する。そこには海があり、水着姿の立華さんがいる。考えるだけで血液が沸騰しそうだった。


 電車に揺られていると、顔馴染みこそいないものの「もしかして」という蒼鷹生並びに雀桜生が続々と乗り込んできた。近くの蒼鷹生の集団が、雀桜生を小さく指差し、何かを話し合っている。「あれってそうだよな?」「やべえ、可愛い」そんな言葉が俺の耳に零れ入ってくる。腰が浮くような、何となくそわそわとした空気が車内を包んでいた。



「お、この車両にいたか」


 慣れ親しんだ声が降ってきた。顔を上げると、バチバチに髪の毛をセットした颯汰が俺の横の席に身体を滑り込ませた。膝上10センチはある短パンにアロハシャツという出で立ちはいささか気合が入り過ぎているんじゃないかという気もしたが、もう手遅れなので言わない事にする。


「おはよう。アロハシャツなんて持ってたんだ」

「今日の為に買ったんだよ。夏樹はなんかいつも通りだな」


 何の変哲もない白シャツに短パンという平凡な服装の俺を見て、颯汰が苦言を呈してくる。


「どうせ向こうに行ったら脱ぐ訳だし。いいかなって」

「お前なあ、彼女と海デートなんだぞ? 気合入れないでどうするんだよ」


 俺と立華さんが付き合っているという噂は完全に事実として蒼鷹生の間で広まっていた。もしそれが雀桜生の間にも広まっていたとしたら、恐らく俺は無事に家に帰れないだろう。バレていない事を祈るしかない。


「だから颯汰は気合入ってるんだ。シラタキさん来るんだよね?」

「ま、まあな。別にまだ付き合ってるわけじゃねえけど」


 そう言って、颯汰は誇らしそうに鼻の穴を大きくした。今日の雰囲気次第では颯汰とシラタキさんは俺達の学年の初代雀鷹カップルになるかもしれない。そうなって欲しいと思う。


『23分着に乗ってる人いる?』

『乗ってる。多分三両目にいる』

『俺もワンチャンそっち行くわ』

『マジで緊張してきた』

『皆水着何色? 黄色ってダサいかな?』

『俺は無難に青。最悪海の家で買えばいいんじゃね』


 1組のグループルインが活発に動き始める。皆、そわそわしているのが短い文章からでも伝わってきた。


『サンオイル塗ってとか頼まれたらどうしよう』

『絶対ないだろw』

『何の心配してんだよwww』

『気合入り過ぎで草』


 ありえない心配をしてルインを沸かせているのは学級委員長の羽田だった。おかっぱ頭に黒縁眼鏡という「いかにも」な見た目をしているのにも関わらず成績は悪く、代わりにユーモアセンスに溢れているという面白い男だ。今日のビーチ合コンにも人一倍気合が入っているようで、虹色の水着を買ったとさっきルインで報告していた。


「サンオイルはやばいってw」


 隣で颯汰が噴き出した。俺もつい笑ってしまう。いくら何でも段階を飛ばし過ぎだ。彼氏でもない男にサンオイルを塗ってと頼む女子は恐らく存在しないだろう。


 ────笑っている場合ではないと後悔するのは、もう少し後の事だ。

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