第53話 放課後は薄い塩味
「これで詮索される事はなくなったね」
そう言って立華さんは笑った。勿論、俺は笑えなかった。笑う余裕なんて全くなかった。
「雨漏りに困ってるんだって? なら屋根を取ってあげるよ」と言われたような気分。明日から俺はクラスメイトからの質問の嵐に晒される事になるだろう。
「いいの? 一織はそれで」
とにもかくにも気になるのはそこだった。俺の彼女だなんて思われて立華さんは構わないんだろうか。自分を下げる訳じゃないけど、立華さんに俺という装飾は流石に不釣り合いだ。
「嫌がっているように見えるかい?」
全く見えないから困惑している。というか、考え直せと言いたかった。
立華さんはきっと恋愛に興味がないから軽い気持ちで行動しているんだろうけど、周囲の人間はそうは思わない。立華さんのファンの皆だって、彼氏が出来ただなんて聞いたらショックを受けるだろう。
「ダメだよ一織、もっと自分を大切にしないと。じゃないと本当に好きな人が出来た時に後悔するよ」
「これでも熟考を重ねたつもりなんだけどね。それとも夏樹はボクを幸せにする自信がないのかな」
「そういう話じゃないよ。蒼鷹の皆に、俺の彼女だって思われるんだよ? 本当にそれでもいいのって────」
口に何かが差し込まれて、俺は言葉に詰まってしまう。
熱くて、ホクホクしてて、絶妙な塩味と少しバジルが効いていて────サイベリアが誇る人気メニュー、フライドポテトだ。
丁度テーブルに運ばれてきたそれを、立華さんが俺に差し出していた。傍から見ればそれは、恋人たちがいちゃいちゃしているように見えるだろう。
「────構わない、って言っているんだよ。ボクは、夏樹の彼女だって思われても構わない」
いつになく真剣な表情だった。そのせいで、俺は立華さんの真意が掴めずにいた。いつものからかっている風の態度とは少し違ったんだ。
俺はゆっくりと、口の中のじゃがいもを咀嚼する。こんな状況でも美味しいんだから、やっぱりサイベリアのフライドポテトは絶品だ。普通なら味が分からなくなりそうなものなのに。
「うん、やっぱり美味しいね。夏樹ももう一本食べなよ」
そう言って立華さんは俺の口にポテトをもう一本差し込んできた。まるでタバコを吸っているみたいに、俺の口からポテトが飛び出している。面白いけど、やっぱり笑えない。
ちら、と奥のテーブルに視線をやれば、颯汰達がこっちを見てハッスルしていた。俺が彼女にあーんされていると思っているんだろう。雀桜生のテーブルの方は、怖くて振り返れなかった。
「逆に訊きたいんだけど、夏樹はボクが彼女だと思われて嫌じゃないのかい? 女らしいとはとても言えないボクだけど」
自虐している雰囲気ではなかった。ただ事実を事実として言っているような立華さんの態度に、俺はつい口を滑らせてしまう。
「そんなの嫌な訳ないよ。それに俺は一織の事を女らしくないとは思ってないし────もごっ!?」
いきなりポテトの塊を口につっこまれて、俺は引き攣りそうになる。目に涙を滲ませながらポテトを嚥下すると、立華さんがわざとらしくそっぽを向いて外の景色を眺めていた。大きなトラックが音を立てて目の前の道路を通過していく。
「…………どうしてボクは夏樹にだけこんなに弱いんだ」
立華さんが何か言ったような気がしたけど、トラックの騒音に掻き消されて自信はなかった。だから俺は聞き返す代わりにフライドポテトをケチャップの海に沈ませる。トマトの酸味が油っこさを完璧に打ち消して、ついつい手が進んでしまう。最初にフライドポテトとトマトケチャップを組み合わせた人は天才だと思う。
それから俺達は少し遅めのお昼ご飯を食べながら、雑談に花を咲かせた。
例えば蒼鷹は数学Bの範囲にベクトルが入っているけど雀桜はまだそこまで進んでいない事を羨ましがったり、でもその代わりに雀桜は数学Ⅱが二次方程式まで進んでいる事を知ってホッとしたり。
そういう事をリラックスしながら話していると、立華さんと彼氏彼女の関係になるというのは、俺が想像しているようなとんでもない事ではないのかもしれない、という思いが少しだけ俺の中に生まれてきた。
立華さんは『雀桜の王子様』と呼ばれている。実際俺もそうだと思う。誰もが振り向くスーパー王子様。
でも、今目の前にいる立華一織という女の子は、少し変わってはいるけど、どこにでもいる普通の女子高生だ。少なくとも俺にはそう思えた。
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