第42話 夏樹、頑張ります

「具体的に何があったんですか?」

「…………ちょっとそれは言えない。喧嘩したとかじゃないのは言えるんだけど」


 立華さんが夢に出て来て、恥ずかしくて目が合わせられなくなった────そう伝えたら古林さんはどういう反応をするんだろう。「馬鹿ですか、センパイ」そんな言葉が飛んできそうな気がする。でもこっちも真剣だった。


「ギスギスしてる訳じゃないんですね?」

「うん。多分向こうは何とも思ってないと思う。俺が勝手に気にしてるだけでさ」


 古林さんのママチャリはどこかおかしいのか、タイヤが回転する度にキィキィと耳の奥に響く音を立てる。それが暗い夜道に悪い意味でマッチしていて軽くホラーだった。古林さんは平気なんだろうか。


「確かに一織様は普通でしたもんね」


 古林さんは小さくそう零すと「んー」と考え込む素振りをした。片手で器用に自転車を支えて、もう片手を顎に当てている。


 俺は手持ち無沙汰になって古林さんのママチャリに視線を落とした。擦れるような音の正体を知りたかったんだ。その結果分かった事は、古林さんはサドルをめちゃくちゃ上げているという事だけだった。


 これ、足着くんだろうか。サドルの位置が腰より遥かに高い気がするんだけど。


「────もしかして」


 言葉とは裏腹に、以前から用意していたような口調で古林さんは言った。俺はママチャリから目を切って古林さんに視線を向ける。


「センパイって…………一織様の事、好きなんですか?」

「なっ──!?」


 俺は吹き出してしまう。


「そっ、そんな訳────」


 ────ないじゃないか!


 そう続くはずだった俺の口はそこで止まってしまった。そんな訳あるかもしれなかったからだ。否定しきれない事を、頭ではなく心が知っていた。


「別に恥ずかしがる事ないですよ? 私だって一織様好きだって公言してるじゃないですか」


 それはちょっとズルい物言いじゃないか。雀桜生が「一織様が好き」と言うのと、蒼鷹生の俺が「立華さんが好き」と言うのでは、大分意味合いが変わってくる気がする。


 まあ、言うんだけどさ。


「…………正直、分からないんだ。憧れてるのは間違いない。でもそれが好きかと言われるとまた違う気もしてさ」


 どうして俺は出会って一か月の後輩にこんな心の内を赤裸々に打ち明けているんだろう。別に特別仲が良い訳でもないのに。


 唯一の救いは、古林さんが茶化さないで真剣に聞いてくれている事だった。俺はまだ古林さんの事をそこまで深く知っている訳ではないけど、間違いなく良い子なんだろうな。一緒に働いていてもそれは感じていた。


「なるほどですねえ。センパイも一織様の沼にハマりましたか」

「…………あれ、怒らないの? 俺って確か立華さんと仲が良いから嫌われてるんじゃなかったっけ」

「そうですよ。でもそれとこれとは別問題なので。同担に目くじら立てていたら雀桜ではやっていけませんし」

「確かにそうかも」


 なにせ全校生徒が恋敵だ。改めて思うと凄い学校だな。


「それにセンパイと一織様がどうこうなるとも思えませんからね。仮にセンパイが一織様の事が好きでも、私は全然心配してませんよ」


 そう言って、古林さんはニヤッとしたいたずらな笑みを俺に向けた。

 …………こういう所が古林さんが皆から愛される理由なんだよな。毒の吐き方が可愛いというか、嫌味がないというか。


「それは間違いないなあ。そもそも好きか分からないんだけどね」

「そんな事言って、一織様のメイド服姿をいやらしい目で見てるんじゃないですか?」

「見てるけど。でもいやらしい目じゃないよ。先輩として動きを把握してるだけだから」

「うわーー、なんですかそれ。変態さんじゃないですか!」

「変態じゃないからね。因みに古林さんの事も見てる」

「ひえええええ!? まさかセンパイがそんな変態さんだったなんて……」


 古林さんはわざわざママチャリをその場に止めてまで、両手で身体を抱き締めるジェスチャーをしてきた。でも本気で怖がっている訳じゃないのは見れば分かった。


「皆の動きを見てないとフォロー出来ないでしょ? 教育係としてはいつになっても心配なんだよ」

「確かにセンパイには沢山助けられてますけどね。そこはありがとうございます」


 律儀に頭を下げてくる。


「あ、でも今日は私がセンパイを助けましたよ! 見るに堪えないポンコツ具合でしたからね」


 にしし、と笑いながら古林さんがママチャリを発進させる。キィキィ、カラカラと愉快な音が再び夜空に響いた。


「今日は本当に助かったよ。何かお礼が出来たらいいんだけど」

「別にいらないですよ。いつもお世話になってるので、そのお返しと思って頂ければ。強いて言うなら早く復活してくれるのが一番のお返しですかね」


 言って、古林さんはひょいとママチャリに跨った。やっぱり足が地面に着いていない。見ているこっちが不安になってくるな。


「原因も分かったので、私は帰ります。あんまり遅いと両親が心配するので」

「うん。ありがとね古林さん」

「いえいえ。ではまた明日です」


 軽快なペダル捌きで古林さんが去っていく。さっきまで鳴っていたキィキィという不快な音は、不思議と漕ぎ出したら鳴らなくなっていた。古林さんの背中はすぐに見えなくなる。


「なんか話したらすっきりしたな」


 特に何かを掴んだ訳じゃなかったけど大分気持ちが楽になった気がする。そのお陰か知らないが、さっきまで考えもしなかった事が頭に思い浮かんだ。


「…………立華さん、待ってみようかな」

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