第39話 一織の告白
「…………送れったってなあ」
お風呂は入った。宿題もした。普段はやらない部屋の片付けすら終わってしまった。もう何にも逃げられなくなった俺はついに観念してスマホを手に取った。時刻は午前零時、もうすぐ寝る時間だった。
「…………俺と立華さんって普段何話してるんだっけ」
ルインの履歴を遡ってみると、日常の何気ない出来事やサイベリアの事など他愛もない話題が続いている。そしてそのどれもが立華さん主体で行われていた。こうして改めて見てみると、こりゃ文句の一つも言いたくなるわと思ってしまう。あまりにも俺の返事が淡泊過ぎた。
いや、別に立華さんに興味がないという訳じゃないんだ。寧ろその逆でもっと仲良くなりたいと思っている。だからこそ慎重になってしまうというか、どうしても緊張してしまうんだ。今となっては言い訳でしかないが。
『こんにちは』
五分ほど書いては消してを繰り返して、結局そんな始まり。でも直前まで送るつもりだった『やっほー! 起きてる??』よりはマシだと思う。あまりにも俺のキャラからかけ離れているし、深夜に相手するにはウザいテンションだ。
『やあ』
もしかして待ってくれていただろうか、すぐに返事がくる。普段からルインしているのに返事が来るだけで何故かドキッとした。自分から送るだけでこんな気持ちになるものなのか。
『こんにちはというよりこんばんはだね』
続けてメッセージがくる。確かにこんばんはにすべきだったかもしれない。そんな事にすら気が付かない程緊張していた。
『そうかも。なんか緊張してる』
『普段からやり取りしてるじゃないか』
『そうなんだけど、俺から送るのは初めてだから』
心が妙にむず痒い。画面をタッチする手がピリピリする。血液が指先に集まっているような感覚。
『少しはボクの気持ちが分かったかい?』
『いや立華さんは緊張とかしないタイプでしょ』
『分からないよ? 意外とドキドキしながら送っているかもね?』
そういう人は自分からドキドキしてるとは言わない気がしたけど、あえて指摘する事はしない。それより次の話題を探さないといけなかった。
俺が話題を考えていると────画面が急に切り替わる。なんと立華さんから電話がかかってきた。心の準備が出来ないまま、焦って通話ボタンを押してしまう。
「…………もしもし?」
「やあ夏樹。電話するのは初めてだね」
いつも通りの声に、少し緊張が和らぐ。少し掠れたようなハスキーボイスが耳に心地良かった。
「うん。どうしたの?」
「どうしたという事はないんだけどね。強いて言うなら夏樹の声が聞きたかったんだ」
「…………それはまた唐突だね」
ここで「俺も立華さんの声が聞きたかった」なんてお洒落に返せたらいいんだけど、勿論そんな勇気はない。こういうセリフは立華さんだから似合っているんであって、俺が言っても寒いだけなのは分かっている。
「夏樹は今何をしているんだい?」
「何もしてないよ。ベッドに寝っ転がってる」
「ボクと同じだね。あとはもう寝るだけという所かな」
「そんな感じ。今日も大変だったからすぐ寝ちゃいそうだよ」
立華さんの声を聞いているからか、強い眠気が襲ってきていた。目を閉じたら五分と掛からず寝てしまうだろう。寝落ちしないように気を付けなければ。
「最近の忙しさはやはり店長のユニフォームチェンジが功を奏しているんだろうね」
「ね。今日来た俺の友達も立華さんの事可愛いって言ってたよ」
「それは嬉しいね。可愛いだなんて言われ慣れてないから、新鮮な気分だよ」
スピーカーの向こうで立華さんが小さく笑った。それが何だか自嘲のように聞こえて、俺は咄嗟に口走ってしまう。
「俺はずっと立華さんは可愛いって思ってたよ」
言った瞬間、強い後悔が胸に押し寄せた。なんて事を言ってしまったんだ俺は。まさかこんな歯の浮くような台詞を言ってしまうとは。
「ありがとう。優しいね、夏樹は」
「嘘じゃないからね。立華さんは可愛いよ」
なのに口は畳み掛けてしまう。立華さんが俺に乗り移っているみたいだった。
「ふふっ、夏樹はボクをどうしたいんだい?」
「ごめん、変な事言ったよね」
「いや、凄く嬉しいよ。夏樹に可愛いって言われるのが一番嬉しい」
「…………そっか」
斜め上からのカウンターパンチに頭がクラクラした。しれっとこんな台詞が言えるなんて、やっぱり立華さんは役者が違う。
◆
それから俺達はヤマもオチもない雑談に花を咲かせた。三十分ほど話した所で、俺の眠気は限界に達しようとしていた。立華さんの声がどうにも心地良くて意識が落ちていく。
「────夏樹? 聞こえているかい?」
「夏樹? ……寝てしまったかな、これは」
「夏樹、本当に寝ているよね?」
「…………」
「さっきは可愛いって言ってくれてありがとね。本当に嬉しかった」
「────大好きだよ、夏樹」
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