第38話 一織、拗ねる

 今まで「立華さんに最も近い男」として雀桜生から警戒されていた俺だったが、メイド服着用の効果はあらぬところにも現れていた。


「夏樹ちゃーん、ちょっと来てー?」


 声のする方へ視線をやると、遠くの席の雀桜生グループが俺に向かって手を振っていた。あそこの席はもう食べ終わりだし多分大した用じゃないのは何となく分かったけど、呼ばれたら行かない訳にはいかない。


「…………お待たせ致しました。いかがなされましたか?」


 ────俺がメイド服を着るようになってから、雀桜生の中に俺を「夏樹ちゃん」と呼び女の子扱いしてくるグループが現れ始めた。彼女達によれば俺は「可愛い」らしい。


 まさかそんな訳はないと思い古林さんに改めて感想を訊いてみた所、古林さんはそれは見事なえずきで感想を表現してくれた。「女子高生なんて何でも可愛く見える年頃なんですよ」と妙に達観した事を言っていたのが印象的だった。


 なんにせよ雀桜生からの態度が軟化したのは良い事だ。もし店長がこれを狙っていたんだとするなら、俺は店長に感謝しないといけないだろう。まあそんな事はないだろうけど。


「えっとね…………突然なんだけど、夏樹ちゃんってルインやってる?」


 上目遣いにそう訊いてきたのは、黒髪ロングの髪が特徴的な雀桜生だった。サイベリアには何度も来てくれている子で、名前は知らないが顔は覚えている。いつも抹茶パフェを注文するので、その綺麗な髪も手伝って「和風な子だなあ」という印象を持っていた。


「ルインですか……?」


 予想していなかった言葉が飛び出したので、俺は訊き返してしまう。完全に業務の話だと思っていた。水持ってこいとか、紙ナプキンなくなったとか。


「うん。良かったら…………私と交換しない?」


 そう言って和風な彼女はスマホの画面を見せてくる。猫を飼っているのか、アイコンはいかにも日常を切り取りましたという雰囲気の猫の写真だった。俺が呆気に取られて動けないでいると、隣にいた子が助けるように口を挟んでくる。


「さーやはね、夏樹ちゃんのメイド服姿が好きなんだって! ねー?」


 この子はさーやという名前なのか。

 さーやさんはうっとりとした様子で俺を見上げると、赤く染めた頬にゆっくりと片手を添えた。その妙に艶めかしい仕草に──俺は何故か背筋が寒くなった。


「う、うん…………なんだかね、見ているとゾクゾクしてくるの……」


 …………ヤバい。


 馬鹿でも分かる、この子は絶対に関わったらヤバい。いくら俺が愛に飢えた蒼鷹高校の男だとはいえ、見えている地雷に足を踏み入れるのは流石に訳が違う。女子にルインを訊かれるなんて滅多にないチャンスだけど、ここは嘘をつく他ない気がした。


「…………ごめんなさい。俺、そういうのやってないんです」


 流石に嘘だと分かるだろうが、それでもいい。要は俺にその気がない事だけ伝わってくれればいいんだ。


「…………そっか。残念だけど仕方ないね」


 さーやさんの悲しそうな様子に少しだけ罪悪感が湧いたけど、俺は間違ってないはずだ。多分この人は関わったらダメな人だから。


「ごめんね、お仕事の邪魔しちゃって」

「いえ、大丈夫です。また何かあったら呼んで下さいね」


 一礼してテーブルを後にすると、案内の所から立華さんがこちらをじーっと見ている事に気が付く。一難去ってまた一難、という言葉が頭の中に浮かんだ。


「…………随分仲が良さそうに話していたじゃないか」


 常に王子様キャラを崩さない立華さんには珍しく、少し不機嫌そうだった。じとーっと湿度の高い視線を俺に突き刺してくる。仕事中にお客様と喋り過ぎたのかもしれない。


「いや、実はルインを訊かれてさ」

「ルインを? あの雀桜生にかい?」


 立華さんが意外そうに目を見開く。そりゃそういう反応にもなるよなあ、今までそんな事なかったのにメイド服を着た途端に連絡先を訊かれるんだから。


「あんまり大きい声じゃ言えないんだけど、俺のメイド服姿が好きなんだって」

「…………それはまた珍しい子だね。それで夏樹はどうしたんだい?」

「断ったよ。何か危ない雰囲気だったし」


 気持ちは嬉しかったけどね。ただ俺としてはやっぱり男としての俺を評価して欲しいというか何というか。いや、何を贅沢言ってるんだという話かもしれないけどさ。


「…………そうか。断ったのか」


 何故か立華さんはほっとしたような表情を浮かべていた。


「それに俺、ルインとかあんまり得意じゃないんだよね。連絡先を交換してもがっかりさせちゃいそうでさ」


 何話せばいいか分からなくて、イマイチ会話が続かないんだよな。だらだらやり取りするのが苦手というか。その点で言えばシラタキさんとずっとやり取りが続いている颯太は凄いと思う。


「そうだった。それについてはボクも夏樹に文句があるんだよ。夏樹、なんか返事がそっけないよね」

「…………え?」


 まさかの藪蛇。立華さんは俺のルインに不満があるらしかった。


「ボクは結構夏樹に連絡してるのに、夏樹からは全然連絡してくれないし」 


 立華さんが拗ねるように頬を膨らませる。メイド服も相まってめちゃくちゃ可愛かったけど、今日の立華さんはどうも様子がおかしい。


 いつもは男でも惚れてしまいそうなくらいカッコいいのに、今の立華さんはただの可愛い女の子だった。一人称がボクだから王子様モードだとは思うんだけど。


「それは……色々気にしちゃってさ。迷惑じゃないかなあとか」

「迷惑なら最初から連絡先を聞いたりしないよ。そう思わないかい?」


 ぐうの音も出ない反論に俺は黙るしかなかった。理は立華さんにあったし、どちらが正しいかなんて抜きにしても、立華さんを悲しませてしまった自分を責めたくなる。


 俺が何を言うべきか考えているとインカムからデシャップの呼び鈴が鳴り、俺達は同時に反応した。立華さんが手で俺を制して歩きだす。


「…………今晩は期待していいんだよね、夏樹?」


 振り向きざまに小声で囁く立華さんに、俺は首を縦に振る事しか出来なかった。

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