第35話 立華さんのメイド服

「────六月はユニフォームを男女逆にしてみようと思う」


 激動の五月が終わり六月になった。久しぶりに店にやってきた店長は、真面目な顔で信じられない事を宣言した。


「…………は?」

「ぴ、ぴゃ~……?」

「ほう」


 俺達の反応は様々だ。現実を受け入れられない俺、言葉の意味がまだ分かっていなそうな古林さん、そして全てを受け入れている立華さん。


「実はもうユニフォームも用意していてな。早速今日から導入するぞ」


 店長は袋からメイド服を取り出すと、したり顔で俺に手渡してくる。


「え、いや、冗談ですよね? 俺がメイド服着るんですか!?」

「だからさっきからそうだと言っているだろう。ほれ、りりむのスーツだ」

「わ、何だかかっこいいです! 貰っていいんですか!?」


 古林さんが嬉しそうに跳びはねる。動きに合わせてメイド服のスカートの裾がひらひらと揺れ動いた。


 …………俺があれを着るっていうのか?

 

 客前で?


「嘘だろ……?」


 俺が現実に絶望していると、横では店長が立華さんにユニフォームを手渡している。そういえば立華さんはどうなるんだろう。


「メイド服か、一度着てみたいと思っていたんだ。これは丁度いい機会かもしれないね」


 予想通りというか何というか、立華さんのユニフォームはメイド服だった。最初に逆を選んだせいでここにきて本来のユニフォームに戻った形だ。


「一織様のメイド服姿かあ…………それはそれでアリかも……」


 古林さんが頬に手を当てて想像の世界にトリップしている。メイド服姿の立華さんがいるという事は隣にメイド服姿の俺もいるという事なんだが、その事実にはまだ気付いていないらしい。気付いたら罵倒してくるはずだし。


「ボクは夏樹が一番楽しみだね。想像するだけで笑顔になるよ」


 立華さんは面白がっているのを隠そうともしない嗜虐的な笑みを浮かべて、俺が抱えているメイド服に目を向ける。やめろ、そんな目で俺を見ないでくれ。


「パンチラの事なら心配しなくていいぞ。流石に食事中のお客様に男のパンツを見せる訳にもいかないからな。ちゃんとスパッツも用意してある」

「パンツじゃないから恥ずかしくないもん、という奴だね」


 他人事のように立華さんが呟く。なんでそんな言葉を知っているんだ。


「ええ……本当に俺もやるんですか? 誰も得しないと思うんですけど」

「全社会議で決まった事だからな。残念ながらもう変更は出来ない」

「全社会議って店長が好き勝手喋るだけの奴じゃないですか……」


 数店舗しかないサイベリアに全社も何もない気がするんだが。店長はどうしても俺にメイド服を着せたいようで、俺は半ば無理やり更衣室に押し込まれた。多分今なら裁判で勝てる気がする。


「ふふっ、着方が分からないなら着せてあげようか?」


 渋々着替えていると、隣の更衣室から立華さんの笑い声が聞こえてくる。どうして俺ばっかり笑われないといけないんだ。俺も立華さんのメイド服姿や古林さんのスーツ姿を思いっきり笑ってやるからな。


 と、思っていたのだが。


「────可愛い」


 立華さんのメイド服姿を見た俺はついぽろっと漏らしてしまった。本当は指を差して笑ってやるつもりだったのに、そんな考えは一瞬でどこかに吹き飛んでいた。


 これがギャップ萌えという奴なのか、凛々しい立華さんと可愛いメイド服という組み合わせは驚くほど違和感がなかった。爽やかなショートカットの黒髪も、切れ長の瞳も、スカートの裾から覗く雪のように白い脚も、何もかもが完璧にマッチしている。


「…………そ、そうか。ありがとう、夏樹も似合っているよ」


 俺がつい全身を見回していると、立華さんが顔を赤く染めて口元を隠した。普段から普通に制服のスカートを履いているとはいえ、やはりメイド服ともなると少し恥ずかしいらしい。


 あと、俺は絶対似合ってないと思う。


「一織様可愛い!!! りりむ、変なスイッチ入っちゃいそうです……! センパイは…………うわっ」


 古林さんが軽蔑するような目で俺を見てくる。人によってはご褒美なのかもしれないが俺は普通にショックだった。普段から俺に当たりが厳しい古林さんじゃなかったら心が折れている所だ。


 最後にスーツに着替えた古林さんが更衣室から出てくると、店長が満足そうに呟いた。


「…………ふむ、やはり私の判断は間違っていなかったな。皆似合っているよ」

「本当ですか、店長?」


 すかさず俺がツッコむと、店長は露骨に目を逸らしてぷるぷると頷いた。涙が出る程苦しいならやらなければいいのに。


「たまにはこういうのもいいですねえ。私はこっちの方が動きやすいですし」

「そうだね。新鮮な気持ちで働けそうだよ」


 立華さんはいつの間にかメイド服に慣れてしまったようで、二人は堂々とした態度で談笑を始める。横目でチラッと立華さんを盗み見るとやっぱりめちゃくちゃ可愛くて、俺はすぐに視線を逸らした。

 店長に視線を戻すと、店長は俺にだけ分かるような微妙な笑みを浮かべて意味ありげに頷いた。


 …………俺がメイド服を着る羽目になってしまったのは最悪だけど、これから一か月間、立華さんのメイド服を眺められるのは最高だ。確かにそれだけは認めなければならない。


 そして────サイベリアで立華さんのメイド服姿が見られる、そんな噂が蒼鷹・雀桜両校に流れるのに時間は掛からなかった。

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