第28話 男の役目だと思うから
「大学生なんてな、毎日が土日みたいなもんなんだよ」
という嘘か本当か分からない店長の思想によって、サイベリアのシフトは基本的に平日は高校生が頑張り、土日は大学生が頑張るという方針になっている。「高校生は土日まで働く事はない、その時間で青春しろ」と店長は言ってくれたけど、今の所その気遣いは無駄にしてしまっている。
そんな訳で金曜の夜だ。今日を乗り切れば正真正銘の二連休が待っている。
「夏樹、レジお願い出来るかい?」
「おっけ。そのまま向こうのバッシング全部行くからその間デシャップお願いしてもいい?」
「了解したよ」
流れるようなやり取りで忙しいホールを捌いていく。
いつもは雀桜生だらけなサイベリアだけど、金曜の夜だけは少し客層の毛色が変わる。スーツ姿の社会人や緩い私服姿のグループなど、大人が大多数を占めるようになるのだ。うちはアルコール類にも力を入れているので居酒屋代わりになっているんだろう。俺もいつかサイベリアでお酒を飲んでみたいと思っている。
バッシングを終えウェイティングのお客様を全員案内すると、やっと忙しさの波が落ち着いた。時計を見たらもう20時を回っている。忙しい日は冗談みたいに時間が経つのが早い。
…………俺は今日、立華さんに話をするつもりだ。
どう切り出せばいいかなんて全く思いついていない。そもそも俺は立華さんから「打ち明けるに値しない」と思われている人間だ。そんな俺が言い方を工夫した所で意味などないのかもしれない。でも、ここで行動しないと一生後悔する気がした。
「ありがとうございました、またお越し下さいませ!」
どんな結果になったとしても、俺達の関係は確実に変わってしまうだろう。考えれば考える程上手くいく気がしなくなるから忙しいのはありがたかった。少なくともその間だけは後の事を考えずにいられる。
◆
「なんじゃその態度は!?」
ホールに怒号が響き渡った。レジの応対をしながら反射的に視線をやると、白髪の老人が立ち上がって立華さんに絡んでいる。目の前のお客様も何事かと一瞬目を向け、すぐに興味を失ったように視線を戻した。
…………酔っ払いに絡まれるのは金曜の夜にたまにあるトラブルだ。適当に宥めていれば大抵すぐに落ち着く。立華さんもそれを分かっているのか、怯む様子もなく会話を続けているようだった。古林さんだったら心配だけど、立華さんなら大丈夫そうだな。
「お客様のお会計、3986円になります」
「スイカで」
「畏まりました。こちらにタッチお願い致します」
やり取りの間も、老人の声の勢いが収まらない。何があったのか分からないが心配になってくる。レジさえ終われば間に入れるんだが。
目線だけでチラチラと立華さんの方を確認すると、烈火の如き勢いで老人に迫られている立華さんにはまだ少し余裕がありそうだった────
────そんな時。
「……ッ! お客様少しだけお待ちください!」
俺はレジを飛び出した。
ヒートアップした老人が立華さんの肩を押したのだ。立華さんは体勢を崩して床にへたり込む。その様子がスローモーションで俺の目に映った。
「────お客様、いかがなされましたか?」
俺は老人と立華さんの間に身体を滑り込ませた。近付いただけで分かる酒臭さ。これは相当酔っぱらっている。
立華さんが心配だが、まずは目の前のこれを何とかしなければならない。
「なんじゃお前は!?」
老人はあっさりと矛先を俺に変えた。絡めるなら誰でもいいんだろうな。慣れてはいるけど、流石に少しイラっとする。
「山吹と申します。大変申し訳ないのですが、他のお客様のご迷惑になりますのでお静かにして頂いてもよろしいでしょうか? 最悪の場合、警察を呼ぶ事になってしまいますので」
警察、という単語に老人は怯んだ。酔っぱらっていてもそれは分かるのか。
「わ、わしは普通に飲んどるだけじゃぞ!」
「ええ、普通にして頂けたらこれ以上申し上げる事はございませんので。折角の金曜日なんですから、お互い笑顔で過ごしませんか?」
言いながら、背中に庇った立華さんに一瞬視線をやる。立華さんは茫然とした表情で俺を見上げていた。
「テーブル、どちらですか? 一緒に戻りましょう」
俺は立華さんにだけ見えるように片手を背中に回すと、ピースを作った。安心してくれるといいんだけど。
…………老人は気勢をそがれたのか「一人で戻れるわい!」と捨て台詞を残して去っていった。戻った先は遠くの13番テーブル。ああ、あそこ沢山お酒頼んでたな。
お客様を待たせているレジに視線をやるとキッチンのスタッフがフォローしてくれていた。俺は立華さんの傍にしゃがみ込む。
「助けるのが遅れてごめん。丁度レジに入ってて」
「あ、うん……」
立華さんは心ここに在らず、といった様子だった。質の悪い酔っ払いに当たったのが初めてでショックを受けているんだろう。あそこまでのは滅多にいないからこうなるのも無理はない。立華さんは女の子なんだ。
「立てる?」
俺が手を伸ばすと、立華さんがゆっくりと俺の手を握った。
…………立華さんの手は小さく震えていた。
「もう21時過ぎで落ち着いてるし、立華さんは先に上がらせて貰おう?」
立華さんを立ち上がらせて、バックヤードに引っ張っていく。レジに入ってくれた三嶋さんがすれ違いざまに「事情は把握してるぜ、任せとけ」みたいなアイコンタクトを送ってくれた。頼もしすぎる。
◆
バックヤードの椅子に立華さんを座らせると、表情が少し緩んだのが分かった。
「…………済まない。上手く対応出来なかったようだ」
「立華さんは悪くないよ。あれはちょっと酷い客だったね」
お客様、とは言わない。立華さんを怖がらせやがって。
「俺の方こそごめん。もっと早く俺が行ってれば良かった」
…………老人にも腹が立つが、一番腹が立つのは自分自身に対してだ。今回の出来事は、立華さんなら大丈夫だろうと判断した俺の落ち度だ。あれが古林さんだったら俺は間違いなくレジを中断して飛んでいっただろう。何故その判断が立華さんに対して出来なかった。
「いや、嬉しかったよ…………夏樹が来てくれなかったらどうなっていたか」
立華さんの顔にいつもの余裕はまだない。
当然だ。ふつう怖いよな、あんなに怒鳴られたら。
「これからは何かあったらすぐに飛んでいくよ。こんな事はもう起こさせない」
「…………それは、ボクの教育係だから?」
立華さんが小さく呟く。
どうだろうか。
俺は立華さんの教育係だから、立華さんを助けるんだろうか。
いや────多分違う。もっとしっくりくる答えを俺は持っていた。
「女の子を守るのは、男の役目だと思うから」
少しカッコつけ過ぎたかもしれない。でも、これが本心だった。
◆
あの時はすっかり忘れていたけど、俺は今晩、立華さんと話をしようと思っていたんだった。しかし当然ながら立華さんは既に帰っていた。
タイミングを逃してしまったのは仕方ない。今日はそれどころじゃなかったし。また来週勇気を出してみるしかないか。
「お先に失礼します。お疲れ様でした」
従業員用出入り口の鉄扉を開いて外に出ると────横から俺を呼ぶ声がした。
「待ってたよ、夏樹。ちょっと話したい事があるんだけど…………いいかな?」
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