第27話 『立華一織』

 小学校に上がる頃には、私は自分の容姿の異常さに気が付いていた。


 男子には当たり前のようにドッジボールに誘われ、バレンタインデーには両手に抱えきれない程のチョコレートを女子から貰った。私が『男子』として振舞うようになるのに時間はかからなかったし、特に決心も必要なかった。不思議な事に『男子』を演じていてもそこまで違和感がなかったのだ。


 そうやって過ごしているうちに『女子』の私はどんどん影を潜めていく。演技だったはずの『男子』は徐々に私の中心に居座るようになり、中学生になった私は周囲から『王子様』と呼ばれるようになっていた。


 ────『私』を知る人は誰もいなくなってしまった。


 少なからずショックだったのは、他でもない私自身が、その事を何とも思っていなかった事だ。外に出た事のない『私』より、皆からちやほやされる『ボク』の方が居心地が良かった。大きくなる胸をさらしで押さえつけてボクは『男子』を続けた。



 雀桜高校に入る事にした理由はやはり女子高だというのが大きかった。女子に囲まれていればボクはずっとボクでいられる。


 案の定、入学してからのボクは何不自由ない生活を送る事が出来た。四六時中誰かの視線に晒されるというのは、人によってはストレスなのかもしれないが、ボクにとっては特に気になる事でもなかった。


 入学して一か月が経ったある日、下校のチャイムに合わせて席を立つと、教室に入りきらない程の集団が廊下でボクを待ち受けていた。


「ボクのファンクラブ?」

「ご迷惑でなければ、組織を立ち上げて活動させて頂きたいんです」


 話を聞けばどうやらボクのファンクラブを作りたいらしい。活動内容はまだ決まっていないが、迷惑になるような事はしないとの事だった。


「構わないよ」


 代表者と思しき上級生に微笑みかけると、その生徒は跳び上がって周囲の女子と手を絡ませ合いながら喜んでくれた。とても仲が良さそうだった。


 …………最後に友人と感情を共有したのはいつだったか。全く思い出せない。


「ボクに出来る事があれば何でも言ってくれ。出来る限り協力しよう」


 雀桜に入っても誰かを好きになる事はなかった。それは小学生の頃からずっと同じだ。二人分を抱えているからか知らないが、 『ボク』も『私』も恋を知らぬまま高校生になってしまった。目に涙を浮かべて喜んでいる上級生の気持ちも、本音を言えば分からない。


 ────ボクは皆の気持ちには応えられない。


 だから、それ以外の何かを返そうと思った。


 そんな態度が更に周囲を焚きつけたのか、ファンクラブは爆発的に大きくなっていった。風の噂で聞いた所によるとほぼ全校生徒が入っているらしい。それはもう学校の公的な組織ではないかと思わずツッコみそうになったが何とか踏みとどまった。


 そうやって、極めて順調にボクは二年生になった。



 元々、二年生になったらアルバイトを始めようと思っていた。


 スーパー、コンビニ、ショッピングモール────候補は沢山あったけど、学校近くのファミリーレストランで働く事に決めた。


 決め手はコスチュームがお洒落な事と、一度利用した時にホールで働く男性店員の接客が気持ち良かったから。名前までは見なかったけど、ああいう人がいるならきっと楽しく働けると思った。


 面接の場ですぐに採用が決まり、初出勤の日になった。ほんの少しだけ緊張しながらサイベリア裏口のドアを開けると────まさにその男性店員がいた。


「えっと……山吹夏樹、でいいのかな?」


 年上だと思っていたけど、どうやら同い年らしい。きっとサイベリアの男性用コスチュームには着ている人を大人に見せる効果がある。ボクも今から袖を通せると思うとワクワクした。夏樹の気遣いもあり、ボクは男性用コスチュームで働ける事になった。いい先輩に巡り合えたと思った。



 ボクの接客のせいでサイベリアがパンクしてしまった。店長は「売上が倍増した」と喜んでいたけど、アルバイトの皆の疲労は限界に達していた。


 店に迷惑を掛けるのは本意ではなかったから、ボクは接客態度を改める事に決めた。


 そんな中で、夏樹がボクを庇ってくれた。


「俺は君の教育係だから。立華さんを守ってあげるのが俺の役目だと思うんだ」

「…………そっか」


 私の心臓が、大きな音を立てて跳ねた。

 

 ────初恋だった。



 蒼鷹祭を経て、夏樹への恋心はどんどん強くなっていった。それと同時に、ボクは夏樹にどう接したらいいか分からなくなっていった。


 『ボク』ではダメなんじゃないか。でも、今更『私』なんて出すことなんて出来ない。もし私の存在が皆に知られてしまったら、ボクはどうなってしまうんだろう。


 八方塞がりな世界の中で、ボクは恋心をそっと心の奥にしまい込んだ。


 はずだった。


「嘘じゃない────、女の子だよ?」


 その日の夜、私は酷く後悔した。これで夏樹に変な人だと思われてしまう。そう考えたら怖くて眠れなかった。自分がこんな不安定な気持ちになるなんて思いもしなかった。


 立華一織は『ボク』に任せるのが一番だと再確認した私は、翌日、夏樹に会う為にサイベリアを訪れた。夏樹に「可愛い」と思って貰う事は出来ないかもしれないが、やはりこうするしかないように思えた。夏樹はいつもと同じ態度でボクに接してくれて、凄くホッとした。


「…………昨日の事は、忘れてくれると嬉しい」

「俺は絶対に忘れないから。だから、もし立華さんが俺に話してもいいと思ったらその時に話して欲しい」

 

 無理難題を言うなあとボクは心の中で苦笑いを浮かべた。でも、それ以上に嬉しかった。ほんの少しだけ勇気を貰えた気がしたんだ。


 …………その勇気が、ボクを苦しめる事になるとは思いも寄らなかった。


 頭の中ではずっと夏樹の事を考えていた。そうすると、私が顔を出すのだ。安定していた『立華一織』は、夏樹によってバランスを失いつつあった。雀桜高校ですら、ボクはボクでいられなくなった。


 ────もういっそ、夏樹に全て話してしまおうか。


 何度もそんな言葉が頭をよぎった。でもそれだけは出来なかった。『ボク』で上手くいきすぎていた『私』は、どうしても自分が受け入れられるという自信が持てなかったんだ。夏樹が忘れてくれるように、サイベリアではいつも以上にボクらしく振舞った。


 それなのに、ボクは心のどこかで夏樹が『私』を見つけてくれる事を願っていた。

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