第26話 決心

 五月も終わろうかというある日の昼休み、颯汰がスマホ片手に俺の机までやってきた。


「夏樹、今大丈夫か?」


 前の席に逆向きに座りながら颯汰が言う。その席の主である栗林はいつも昼休みギリギリまで帰ってこない。


 なんとなく、長くなりそうだなと感じた。


「いいけど、どうしたの?」

「いやちょっと『雀桜の王子様』について訊きたくてさ」

「立華さん?」


 予想外の名前が出てつい訊き返してしまう。


 立華さんはすっかりいつもの調子を取り戻し、もう一人の立華さんにはあれから一度も会えていない。それが立華さんにとって幸せなのか不幸せなのかは俺には分からなかった。今のところ俺に出来るのは、待つ事だけだ。


「昨日シラタキとルインしてたらお願いされちゃってさ。ちょっと深刻そうな感じなんだよ」


 シラタキ、というのは颯汰が蒼鷹祭で知り合った雀桜の二年生だ。苗字なのか名前なのか、それともニックネームなのかは分からない。蒼鷹祭当日に「連絡先を交換した」と誇らしげな報告を受けてから続報を全く聞いていなかったけど、まだやり取りが続いていたとは。


 …………まさか、付き合っているのか?


「お願いされたって、俺に立華さんについて何かしらを訊いてくれって事?」

「そうそう。夏樹と立華さんが同じバイト先だってのは雀桜でも有名だからさ」

「ほんと、何で有名になっちゃったんだろうね」


 蒼鷹で一番有名な雀桜生は間違いなく立華さんだけど、雀桜で一番有名な蒼鷹生は恐らく俺だろう。そう考えたらサイベリアが凄いお店な気がしてくる。


「まあ諦めろって。それでさ、その立華さんが最近元気ないらしいんだよ。何か知らないか?」

「いや、全然知らないけど」


 そう即答してしまうくらいには身に覚えがなかった。寧ろ、最近の立華さんはいつにも増してキラキラ輝いてる印象すらある。古林さんが業務そっちのけで立華さんの方へ吸い寄せられていくのをこの一週間で何度見た事か。その度に俺はフォローに奔走していた。


「サイベリアだと凄く楽しそうだよ?」

「いや、それなんだよ」


 有力な手掛かりを落としたつもりだったけど、颯汰は知っていたらしい。


「雀桜の皆も不審に思ってサイベリアに見に行ったらしいんだよ。そうしたら、学校と全然雰囲気が違うんだと」


 雀桜生は立華さんの事になると大袈裟になる。だからちょっとした勘違いか何かだろうと高を括っていたけど、そんな簡単な話でもないらしい。


 俺は椅子に深く座り直して背筋を伸ばした。じんわりと瞼の辺りに纏わりついていた昼の眠気が吹き飛んでいく。


「雀桜ではどんな感じなの?」


 俺の問いに反応して颯汰がスマホに視線を落とす。


「えっと……窓の外を見て溜息をついたり、ふらっと一人でどこかに消えたりしてるみたいだ。去年は全然そんな事なかったらしい」

「…………なるほど」


 確かにそれは異常事態だ。立華さんが溜息をついている姿など全く想像出来ない。


 初めて立華さんに会った日の退勤後だったか────疲れてないのかと訊いた俺に対し、立華さんは「疲れているけど、人前ではそれを出さないだけさ」と答えた。そんな立華さんがファンに囲まれた雀桜高校で溜息などつくはずがない。


 だとすれば、考えられる事は一つだ。


 その立華さんは────皆の知る立華さんではない。


「やっぱ夏樹から見てもおかしいよな?」

「そうだね。ちょっと想像出来ないかも」

「俺が思ったのはあれなんだよな────なんか恋する乙女みたいじゃねえか?」

「そうかな?」


 平静を装ったけど内心はドキッとした。「恋する」というのはピンとこないけど、「乙女」という部分は合っていた。


 少し聞いただけの颯汰ですらそう思うのだから、雀桜にもそう考える人がいてもおかしくない。このままでは立華さんの『王子様』キャラが崩れてしまうかもしれない。果たしてそれは立華さんの望む所なんだろうか。


「流石にねえかー。めちゃくちゃイケメンだもんな立華さん。マジで羨ましいわ」


 蒼鷹生も雀桜生も皆そう思っているはずだ。


 だから立華さんは一人で悩んでいるんじゃないか。


 …………どうにか出来るのは俺しかいない気がした。

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