第25話 立華さんだから

 笑顔の古林さんに案内されて立華さんがテーブルに移動した。道中で目は合わなかった。案内が終わると、古林さんが駆け足で俺の元にやってきた。


「一織様のデシャップは私が行きますからね!」


 元々そのつもりだったので俺は承諾した。今日は古林さんの教育に時間をあてるつもりだ。古林さんがキッチンに引っ込んでいき「四番テーブル、一織様です!」と嬉しそうに報告するのが聞こえた。


 悩んだ末、立華さんと話すことにした。どうせ遅かれ早かれの問題だと思ったからだ。


 四番テーブルに近付くと、立華さんが頭をあげて俺の顔を見た。少なくとも気まずい雰囲気はない。


「やあ、夏樹。今日は暇そうだね」


 立華さんはいつも通りだった。いつも通り過ぎて、俺は内心少し焦った。昨日の事について何かしらアクションがあると思い込んでいた。


「立華さんがいないからね。今日は古林さんの教育をメインでやるつもりなんだ」

「それがいい。ボクの事は練習台にして貰って構わないよ」


 ────『ボク』。


 その言葉が頭の中で何度も響いた。俺のよく知る、いつもの立華さんだ。


「そうさせて貰うね。ダメな所があったらビシバシ言ってくれると助かる」

「了解した」


 そう言って、立華さんは注文用タブレットに手を伸ばした。会話終了の丁度いいタイミングだ。俺の足が勝手に空気を読んで、テーブルから離れようと一歩後ろに踏み出す。


「────夏樹」


 タブレットに視線を落としたまま立華さんが呟く。


「…………昨日の事は、忘れてくれると嬉しい」


 立華さんらしくない気弱な声だった。ショートカットの髪で隠れていて表情は分からない。でも、笑顔ではないだろう。


 俺は小さい頃から「他人には優しくしなさい」と口酸っぱく言われて育った。だから余程の事がない限り、誰かのお願いは聞いてあげたいと思っている。それが立華さんであれば余計にそうだ。心の中の大量の虫が「忘れてあげよう」の方向へ一斉に走り出す。


「嫌だ」


 いつの間にかそう言っていた。よく言った、と心の中で誰かが叫んだ。


「俺は絶対に忘れないから。だから、もし立華さんが俺に話してもいいと思ったらその時に話して欲しい」


 お節介なのは重々承知だった。こう言ってきたという事は、少なくとも立華さんは昨日の事を後悔したんだろう。山吹夏樹は自らの心を打ち明けるに値しない存在だと判断した。もしかしたら、今日はそれを言いにサイベリアに来たのかもしれない。


 だから、俺の行動はきっと余計なお世話という奴だ。


 …………それでも良かった。今の立華さんは、どうにも放っておけなかったんだ。


 立華さんはタブレットに視線を落としたままだ。でも画面に集中していないのは明らかで、いつもの立華さんの面影は全くない。別人みたいな立華さんがそこにいた。


「立華さんが何に悩んでいるのかは分からないけど、力になりたいんだ」


 立華さんの指がピタッと止まった。


「それは…………私の教育係だから?」


 ────『私』。


 また会えた。もう一人の立華さんに。


「立華さんだからだよ。放っておけないんだ」


 古林さんが同じように困っていたら、俺は同じように首を突っ込むだろうか。きっとそうはならない気がする。俺は立華さんだから余計なお世話を焼きたくなるのだった。理由は分からないけど、俺の心はそう出来ていた。


 立華さんの指が迷うようにタブレットの上を滑る。何度か画面を行ったり来たりして、最終的にフライドポテトを注文した。社割が効くので通常400円の所、従業員は100円で食べる事が出来る。その事を伝えた時のクラスメイトの歓喜っぷりは未だに鮮明に思い出せた。


 来店を知らせるベルが鳴った。スーツ姿の女性が二人、風除室に見えた。古林さんの姿を探すもどうやらキッチンにいるようだったので、案内に向かう。


「…………ありがと、夏樹」


 柔らかな声が、背中に沁み込んでいくようだった。



「ふえぇ~……ちかれたぁ……」


 退勤ボタンを押した古林さんがへなへなと店長の椅子にもたれ込んだ。


「お疲れ様。今日はかなり成長したんじゃない?」

「ですねえ~。レジは完璧かもです」


 続いて退勤処理を済ませ、そそくさと更衣室に引っ込む。スーツのボタンを外していると、隣の更衣室に古林さんが入る音がした。


「古林さん、ちょっと訊いていい?」

「何ですか?」

「立華さんってさ、雀桜でどんな感じなの?」

「何ですかぁ、その要領を得ない質問は」


 古林さんは俺に対して容赦がない。でも俺はこれを親愛の裏返しだと思う事にしている。その方が気持ちが楽だからだ。


「どんな感じで過ごしてるのかなって。友達に囲まれてたり?」


 多分違うだろうなと思いながら、俺はそういう聞き方をしてみた。返ってきたのはやはり否定の言葉だった。


「友達だなんて、雀桜でそんな抜け駆けみたいな事したら大変な事になっちゃうと思います。私だって結構言われてるんですから」

「え、大丈夫なの?」

「勿論です! 一織様と一緒に働けるだけで私は幸せですから」


 古林さん、ふわふわした子だと思っていたけど意外と陰では苦労してるのかもしれない。そう言えば前に、店長が「物凄い真剣な表情で採用を頼み込んできた」って言ってたっけ。諸々覚悟の上でサイベリアで働く事を決めたんだろう。


「古林さんみたいな子が近くにいて立華さんは幸せ者だね」

「何を言ってるんですか。幸せ者は私の方ですよ」

「それはそうかも」


 それから俺達は他愛もない雑談をして、サイベリアで別れた。自転車に乗った古林さんの背中が、駅の方向へ小さく消えていく。立華さんの存在が、俺の中でどんどん大きくなっていく。

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