第24話 『王子様』の来店

 サイベリアから帰ってきた俺は、夜ご飯のハンバーグを食べ、宿題をし、お気に入りの配信者の動画を観て、遅めのお風呂に入った。


 その間ずっと頭の中をぐるぐるしていたのは、勿論立華さんの事だった。ハンバーグの味なんて全く分からなかったし、大好きな配信者の動画も今日は全然笑えなかった。


「…………はぁああああ……」


 肩まで湯舟に浸かると、自分でもびっくりするくらい大きな溜息が出た。

 「溜息をつくと幸せが逃げていく」という母の教えから普段はしないように気を付けていたけど、今日は流石に無理だった。溜息をついても幸せになる事もあれば、溜息をつかなくても不幸になる事もあると、高校生になった俺は既に知っている。


 溜息の事はいい。問題は立華さんだ。


 とは言っても、立華さんが女の子なのか男の子なのかという事については俺は考えない事に決めた。身体的な話で言えば間違いなく女の子だろうし、心の話で言えば俺には分からないという結論になったからだ。ただ、立華さんが「女の子だ」と言ったのだから女の子なんだろうな、という妙な確信はあった。


 とすると残りの疑問は、どうしてそれを俺に打ち明けたのかという事だ。こっちについてはまだ考える余地がある気がする。因みに立華さんが俺を揶揄っているという線は真っ先に消した。あれはどう見ても冗談を言っている雰囲気ではなかったからだ。


 打ち明ける、という言葉に連動して思いつくのは「悩み」という単語だ。

 立華さんは自分の性別について悩んでいた。そして、俺に打ち明ける事に決めた。


 なるほど、筋は通っている。そんなデリケートな内容を打ち明けられるほど俺達は仲が良い訳じゃない事を無視すれば、特段おかしな所はない。


「…………いや、悩んでるったってなあ」


 自分で言っておいてなんだが、これは的外れな気がした。そもそも立華さんは悩んでいるようには見えない。あの『王子様』キャラは、どう考えても自らの意思でやっているようにしか思えない。俺に何らかのSOSを発信しているという訳ではない気がする。


 …………そもそもだ。


 立華さんが女の子だというのなら、『王子様』が作られたものだというのなら、どうして立華さんはわざわざそんな事をしているんだろうか。


 確かに冗談かってくらい似合ってはいる。あんなに『王子様』という二つ名が似合う人なんて男子にだっていやしない。 


 でも別に、だからといって男のように振舞う理由にはならない。


 思考がぐるぐると同じ所を巡っていく。もう何度目かも分からない「何故」にぶち当たった所で、俺はふと我に返った。湯舟は既に温くなっている。


「…………考えても仕方ないや」


 結局の所、立華さんの気持ちは立華さんにしか分からない。俺に出来る事なんて立華さんが困っていたら助けてあげる事くらいしかないんだから、俺はその時に備えておけばいい。


 俺は立華さんの教育係なんだから。



「一織様が私に意地悪するのはきっとセンパイのせいですっ」


 昨日は泣きながら帰った古林さんだったが、文句を言えるくらいには元気を取り戻したらしい。俺の顔を見るなりそんな言葉を浴びせかけてきた。


「そうかな?」


 今日は立華さんは休みだ。どうやら雀桜生は立華さんのシフトを把握しているようで、立華さんが休みの日は客足が遠のく傾向にある。それでも店に愛着が湧いて来てくれる子も多いが、今日はまったりとした勤務になりそうだ。


「そうですよ。二人の時はすっごく優しいんですから」

「まあそうだろうね」


 立華さんは女の子に対して物凄く優しい。『王子様』というのはそういうものだろうと深く考えずにここまで来たけど、今となっては色々と考えてしまう。


「センパイ、ダメですからね。昨日の事で勘違いしちゃ」


 古林さんがメイド服にコロコロをかけながら言う。昨日の事というのは、立華さんが俺に寄り掛かってきた事を指しているんだろう。


「一織様は私達の『王子様』なんですから」


 もしかしたら立華さんは孤独なんじゃないか。


 そんな考えが瞬間的に脳裏をよぎった。誰ひとり、立華さんが女の子だなんて考えてもいない。そんな世界で立華さんは生きている。


「…………分からないよ」

「え?」

「皆、おはよう。朝礼を始めるぞ」


 俺がつい余計な事を言ってしまいそうになった所で店長がキッチンからやってきた。時計をみれば16時55分、朝礼の時間だった。


「一織は…………休みか。今日は暇だろうから、その分りりむをビシバシ鍛えてやってくれ」

「ひえっ!?」


 古林さんが青ざめる。まだレジやデシャップがちょっと不安みたいだから、今日はそこを重点的に見てあげるのがいいかもしれないな。



 俺達がキッチンに出ると、丁度来店があった。


「古林さん、案内行ける?」

「頑張ります!」


 古林さんが案内に駆けて行く。俺はその間さっとホール中に視線を巡らせて状況を把握する。今いるのは7組……全員食べ終わりみたいだな。近いうちにバッシングのラッシュが来るかもしれない。


「あっ、一織様っ! 遊びに来てくれたんですか!?」


 古林さんの声に慌てて玄関に視線をやると────そこには制服姿の立華さんが立っていた。

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