第21話 立華一織の悩み事

 蒼鷹祭が直接的なきっかけだったのかは分からないが、俺と立華さんは自然と駅まで一緒に帰るようになっていた。


 サイベリアから駅までの道は基本的に薄暗くて、街灯だけが俺達を照らしている。薄っすらと見える立華さんの顔は、ほんの少しだけ、いつもより沈んでいるように見えた。


「立華さん、何か嫌な事でもあった?」

「ん、どうしてそう思うんだい?」


 やはり立華さんからいつもの覇気が感じられない。何というか、顔の周りに浮かんでいるキラキラがいつもより三つくらい少ないような気がする。


「ちょっと表情が暗い気がしてさ。お客様に何か言われたりした?」


 始めてみて分かった事なんだけど、接客業は結構ストレスが多いんだよな。時には八つ当たりのようなクレームを貰う時もある。俺も初めてお客様に怒られた時はショックを受けたっけ。


 諦めたように立華さんは小さく溜息をついた。立華さんでも溜息をつく事があるんだな。こう言ってはなんだけど、少し新鮮だった。


「…………顔には出していないつもりだったんだけどね。参ったな、夏樹にはバレてしまうか」

「もう立華さんは一人前だけど、先輩として今でもちゃんと見ているからね」


 店長がいない時は俺が責任者の代わりをするように言われていた。とは言えそんな事は不可能なので、せめてトラブルが起こらないように細心の注意を払っている。立華さんの動向もしっかりチェックしているんだ。


「…………ボクはもう夏樹の手を離れてしまったのかと思っていたよ」

「親にとってはいくつになっても子供は子供なように、立華さんはいつになっても俺の後輩だから。立華さんが困ったときは俺がフォローするよ」


 ま、立華さんの仕事振りが完璧すぎてそんなタイミングは訪れないような気はしている。それならそれに越した事はないんだけどね。


「話は戻るんだけど、何かあった? 俺に言える事なら聞きたいな」


 この様子だと何かあったのは確定だろう。あとは俺に打ち明けてくれるかどうかだが、正直自信はない。


 バイト先仲間以上、友達未満。


 俺達の関係は端的に言うとそんな所だった。


「何かを言われたとかそういう訳ではないんだ。ただ、申し訳ないなと思ってね」

「申し訳ない?」


 ……誰に?

 ……何を?


 二つの疑問が頭に浮かんだ。打ち明けてくれたのは嬉しいけど、全く心当たりがない。


「夏樹は、蒼鷹祭で彼女が作りたかったんだろう? なのにボクのせいで雀桜生から嫌われる事になってしまった」


 「誰に」も「何を」も予想外で、俺はびっくりして言葉が出なかった。その事については俺達の間で笑い話として消化し終わっているものだとばかり思っていた。


「済まないね、ボクのせいで夏樹の雀鷹カップルの夢が途絶えてしまって」


 立華さんが申し訳なさそうに呟く。こんな立華さんを見るのは初めてで、俺はどうすればいいか分からない。


 だから……とりあえず本音をぶつける事にした。


「俺、全然気にしてないよ。彼女だってそこまで欲しかった訳じゃないし」


 颯汰や日浦などクラスメイトの皆は分からないが、俺は別に雀鷹カップルに執着がある訳ではない。まあ勿論欲しいか欲しくないかで言ったら欲しいけど、そういうのは自然に出来たらいいなと思っている派だ。


「……それにしては気合が入っていたじゃないか」


 問い質すような声色で立華さんは言う。


「それはね、立華さんの声が聞こえたんだ」

「ボクの?」

「立華さん、最後のコーナーで俺の事応援してくれてたでしょ?」


 あの声が聞こえたから、俺はリレーで勝つことが出来た。不思議と力が湧いてきたんだ。


「立華さんの姿を見たら頑張らなきゃって思ってね。約束、守れてよかったよ」


 立華さんにかっこいいと言って貰えた時点で、俺は満足だった。雀桜生に目の敵にされている事など些事に思えるくらいには。


「立華さんのお陰で今年の蒼鷹祭は凄く楽しかった。俺だけじゃなくて、皆そう言ってたよ。だから、ありがとね」


 現金な話かもしれないが、異性が見ているというだけで皆の気合の入りようは凄まじかった。皆が本気だったからこそあそこまで盛り上がったんだと思う。去年は感じられなかった熱が今年の蒼鷹祭にはあった。


 俺の言葉がどれだけ響いてくれたのかは分からないが、立華さんの纏う空気が少し軽くなった気がした。


「夏樹はボクなんかよりずっとかっこいいな」

「そんな事ないよ。蒼鷹の制服を着た立華さん、凄い人気だったじゃん」


 立華さんの周りには終始人だかりが出来ていた。聞いたところによると、昼休みには写真撮影コーナーも設けられていたらしい。果たして何人の生徒がスマホの壁紙を立華さんとのツーショットにしているんだろう。


 蒼鷹と雀桜の交流が細々ながら復活したとはいえ、カップル成立まではまだまだ遠そうだ。


「皆、珍しがっていただけさ。夏樹もボクの制服を着てみるかい? きっと人気が出ると思う」

「それは遠慮しておくよ。絶対似合わないから」


 雀桜の制服を着ている俺など、想像もしたくない。一体どこに需要があるというのか。


 …………何はともあれ、軽口を叩けるくらいには元気になってくれたみたいだ。


「確かにそうかもね。夏樹は蒼鷹の制服が一番似合ってるよ。サイベリアのスーツ姿も捨てがたいけど」

「そうかなあ。立華さんに勝てる気はしないけど」

「そう自分を卑下するものでもないさ。夏樹の制服姿────ボクは好きだよ」


 その言葉に、心臓がドキッと跳ねた。どうして立華さんはこういう言葉をさらっと言えるんだろう。


「そ、そっか……それはありがとう」


 顔が熱かった。幸運だったのは、丁度駅に着いた事だ。俺は逃げるように立華さんと別れて、ホームでほっと一息つく。


 ちょっと今、立華さんの顔が見れる気がしなかった。


「立華さんなあ……一緒にいると心臓に悪いんだよな」


 たちが悪いのが、きっと本人にその気は全くないという事だ。魔性の女、いやこの場合は男になるのか? とは立華さんの為に作られた言葉に違いない。


「…………というか、普通に可愛いのが困る……」


 クラスの皆は「かっこよすぎて恋愛対象にならない」と言っていたが、俺の意見は少し違った。確かに立華さんは誰よりもかっこいいけど、ふとした瞬間に見せる表情や仕草は寧ろ逆というか。


 …………蒼鷹祭の最後に俺に見せたあの表情は、どうみても女の子のものだった。


 それが、俺を惑わせるんだ。

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