第13話 異世界からの来訪者

 目の前の光景を脳が現実だと認識してくれない。『蒼鷹の教室』と『立華さん』という組み合わせは、決して結びつかないものとして俺の中で分類されているからか。


 さっきまで騒がしかった教室が嘘みたいに静まり返っていた。男子校の教室に女子がいるという異常事態を前に、誰も声を出す事が出来ない。クラスメイト全員が息を呑んで立華さんに注目していた。


 立華さんは俺に気が付くと、軽く手を挙げて教室の中に入ってくる。まるで自分の教室みたいな気軽さだった。


「おはよう、夏樹。いてくれて助かったよ」


 立華さんが俺の傍にやってきた。いつでも仄かに汗臭い男臭まみれの空気が、一瞬にして爽やかなミントの香りに変わる。


「えっと……立華さん、どうして……?」


 立華さんは来賓用のカードホルダーを首にかけている。正式な手続きをしてやってきたんだという事がショート寸前の頭でもかろうじて分かった。


「どうして、か。話せば長くなるんだけど……聞きたいかい?」

「うーん……出来れば手短にお願いしたいかな」


 何せ、さっきから空気が痛い。皆の視線が針のように俺の顔を突き刺していた。


 …………親愛なるクラスメイトよ、どうしてそんなドス黒い目で俺を見るんだい。さっきまで俺を命の恩人だと言ってくれていたじゃないか。


「そうか、なら用件だけ伝えるが────夏樹、キミの制服を貸してくれないか?」



「え、どうして?」


 手短にとお願いしたのは俺だったけど、流石に経緯を訊かざるを得ない要求だった。


「これは夏樹にとっても喜ばしい事だと思うんだが、実は雀桜の生徒がチアガールとして参加する事になっていてね」


 立華さんはいつも通りの落ち着いた表情で、とんでもない事を言い出した。

 チアガール────その言葉に教室がざわつく。


「ああ、勿論両学校の許可は取っているよ。ボクが入学する前までは毎年そうしていたらしくてね、話もスムーズだった」


 確かに先輩から見せて貰った写真にはチアガールが映っていた。夢のような光景だったな。


「…………もしかして、立華さんもチアガールを?」

「いや、ボクも興味はあったんだが何故か皆に止められてね。代わりに別のお願いをされたんだ」

「お願い?」


 そこで立華さんは少し困ったような表情を浮かべた。すらっと伸びた細い眉が僅かに歪む。


「蒼鷹祭の日、蒼鷹の制服を着て過ごしてくれ────とね」

「あー……言いそうだね」


 雀桜の立華さんファンはサイベリアで沢山見てきたから、その様子は簡単に想像することが出来た。迷惑をかけないように遠くから眺めるだけの人もいれば、ぐいぐい話しかけてくる人もいる。俺も何度か勤務中の立華さんについて訊かれたっけ。


「普段なら断るんだが、今回はボクのお願いを聞いて貰った立場だからね。一肌脱ぐことにしたんだ」


 俺のせいで立華さんはそんな事をする羽目になってしまったのか。ただただ申し訳ない気持ちになる。


「なんかごめんね、元はと言えば俺のお願いなのに」

「いや、男子の制服にも興味がない訳じゃなかったからね。これはこれでいい機会だと思っているよ」


 確かに立華さんはこの状況を楽しんでいるように見えた。サイベリアで男性用の制服を着用しているのも自分から言い出した事だったし、男装が好きなんだろうか。


 とりあえず、話は大体分かった。


「なるほど、つまりそれで俺の制服を?」

「他に知り合いもいないからね。それに、夏樹なら身長もそう変わらないだろう?」

「まあそうだね、全然着れるとは思う」


 俺と立華さんの身長はほとんど同じだ。俺の方が少し高いが。


「制服を貸すのは構わないよ。いつ着替えるの?」

「出来れば今がいいな。更衣室はないだろうから適当にその辺で着替えてくるよ」

「その辺で!?」

「男子校だし、私の着替に興味がある人は稀だろう。では少し借りるよ」

「え、ちょっ」


 そう言って、立華さんは俺の制服を持ってどこかに消えてしまった。


 …………いくら立華さんが『雀桜の王子様』とはいえ、いくら立華さんが男子顔負けのキザな性格をしているとはいえ、いくら立華さんが男の俺ですらついドキッとしてしまうくらいカッコいいとはいえ、その辺で着替えるのは流石にまずい。


 だって身体は女の子なんだから。


 悶々とする俺をよそに(話を聞いていたクラスメイトも同じ気持ちだろう)、程なくして立華さんは帰ってきた。


 ────正真正銘の、超絶イケメンになって。


「…………おお」


 教室中でざわめきが起こった。俺もつい声を漏らしてしまう。蒼鷹の制服に身を包んだ立華さんは、完全に学園ドラマの主役だった。


「どうだろうか、似合っているかな?」


 そう言って俺にウインクを飛ばす立華さん。分かってやっているんだとしたら相当罪深い。


「正直、言葉が出ないよ。めちゃくちゃびっくりしてる。こんなにカッコいい人は初めて見たかもしれない」


 テレビで見る芸能人を含めても。それくらい似合っていた。


「夏樹にそう言われるのは嬉しいね。雀桜の皆にも喜んで貰えそうだ」


 その言葉に、教室中が凍り付くのが肌で分かった。


 『え……俺達と戦うの……?』────皆の顔にそう書いてあった。我がクラス一番のイケメン日浦ですら、立華さんの前では路傍の石だった。石ころが太陽に勝てる道理はない。


「ふふ、当たり前だけど夏樹の匂いがするね? 何だか変な気分だよ」


 立華さんが袖を顔に近付けて笑う。どうして立華さんはいつも、人がドキッとする仕草をナチュラルにやってのけるんだ。


「では放課後また返しにくるよ。ボクの制服は夏樹の机に置かせてくれ」


 立華さんが教室から去る。女子の制服というドリームアイテムが目の前にあるのにも関わらず、誰もがそれに見向きもせずに立華さんの背中を見送っていた。


 ────静寂が場を支配した頃、誰かがぼそっと呟いた。


「夏樹、まさか俺らに黙って彼女が出来た訳じゃ────ないよな?」

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