第6話 先輩として

 どうやらあの日の売上は、サイベリアの平日最高記録を達成したらしい。高い客単価で21時くらいまでずっとウェイティングが出ていたらそうなるかという話ではあるんだが、意外にも店長の反応は淡泊だった。


 ────何故なら、その記録はたった一日で破られたからだ。


 立華さん目当てに連日訪れる雀桜生で、サイベリアは過去最高の潤いを見せていた。結果的にこの一週間でサイベリアは最高売上を三度更新した。


 …………そして上がっていく売上に比例するように、スタッフの疲労もピークに達していた。



「店長、流石にそろそろ限界っす。この人数じゃ回らないですって」


 そう言って疲れた様子で項垂れるのは、大学生の三嶋さんだ。いつもは金色の長髪をばっちりセットしてくるカッコいい三嶋さんだったが、ここ二日ほどはセットをサボっている。無論、疲れているからだ。


「……そういう意見は皆から貰っているよ」


 店長は珍しく難しい顔をして、売上が表示されたディスプレイを見つめている。今は高校生のお客様が帰った21時半。俺と立華さんが退勤する時間でもあった。


「夜のスタッフの頑張りは私も理解している。速やかに人員を増やすことを約束しよう……だが、今日明日から今の状況が改善出来る訳ではない」


 店長はそう言うと、俺の隣にいる立華さんに視線を向けた。店長も今日はずっとキッチンに立っていたので顔には疲労が浮かんでいる。


「…………?」


 対照的に立華さんは涼しい表情だった。勿論、立華さんだって疲れているはずだ。


「この混雑の理由──それは一織の王子様接客だ。売上が上がるのは非常にありがたい事だが、このままでは店が保たん。悪いが自重して貰うしかないな」


 店長の言っている事は、ぐうの音も出ないほど的を射ていた。何も間違っていない。


 テーブルの殆どを埋めている雀桜生や噂を聞きつけた女性客は、立華さんの王子様接客を期待してやってきた客だ。立華さんがマニュアル通りの接客をするだけで、きっと混雑はマシになるだろう。


「…………そうか。流石に皆に迷惑はかけられないね。分かった、これからは普通の接客を心掛けるよ」


 だけど……俺は納得出来なかった。それで本当にいいんだろうか。


 隣にいる立華さんの顔が見れない。立華さんはいつものように涼しい顔をしているのかもしれない。でも、俺にはどうしてもそうは思えなかった。


 何故って────この数日の立華さんは凄く楽しそうだったから。


「……待ってください、店長」


 気が付けば口を挟んでいた。


「ん? どうしたんだ夏樹」

「立華さんの接客は今のままで大丈夫です」

「いや、そうは言ってもだな」


 ここは勢いで押すしかない。ワガママかもしれないけどそうするしかなかった。


「やっと今の忙しさでも回せるようになってきたんです。俺がキッチンもフォローするので、立華さんには今のままやらせてあげて欲しいんです。その方がお客様だって喜んでくれるはずですよね?」

「うーん……それはそうかもしれないが……大丈夫なのか夏樹? 負担が大きくなるぞ?」


 お客様の事を出されると店長も強く出られないのか、歯切れが悪くなる。


「大丈夫です。三嶋さんももう少しだけ協力してくれませんか?」


 俺が頭を下げようとすると、三嶋さんがそれを手で制した。


「…………高校生がガッツ出してるのに、大学生の俺が弱音吐く訳にもいかねえし。それに女子高生が沢山来るのは目の保養になるからな。あとちょっとだけ頑張ってやるよ」

「ありがとうございます!」


 結局俺は頭を下げてしまった。それを見て、店長が面白そうに笑う。


「やはり一織を採用して正解だった。まさか夏樹がそんなに燃えるなんてな」

「俺は元々サイベリアの為に頑張る男ですよ」


 お金を頂いている以上、一生懸命やるのは当たり前だと思うんだ。


「サイベリアの為、ねえ。どう思う三嶋ぁ?」

「いやあ、若いっていいっすねえ。あ、俺そろそろキッチン戻りますわ」

「私もちょっとレジ見てくるかな。じゃあ二人ともお疲れ様」


 二人はニヤニヤしながらキッチンに消えていく。途端に静かになるバックヤードには俺と立華さんが残された。速やかに退勤処理を済ませる。


「ごめんね、口を挟んじゃって」


 更衣室に引っ込みながら、立華さんに謝る。


「……どうして謝るんだい?」


 隣の更衣室から声が返ってくる。声色から感情は読めなかった。


「立華さんの気持ちを訊かずに勝手に決めちゃったからさ。もしかしたら迷惑だったかなって」


 立華さんが楽しそうに接客していた、というのはあくまで俺の想像でしかない。内心はこの忙しさに辟易していたかもしれないんだ。


 俺としては立華さんの気持ちが今すぐ聞きたいくらいだった。でも、立華さんはそこで会話を打ち切った。衣擦れ音だけがバックヤードに響いて、俺は徐々に不安になる。やっぱり迷惑だったのかな。


 隣の更衣室のカーテンが開く音がした。立華さんは着替えるのが早い。女子の制服って着るのが簡単なんだろうか。


 ……このまま帰られると、次に顔を合わせる時にちょっと気まずい。


「夏樹、帰りは電車かい?」


 カーテン越しに、声がした。


「そうだけど……どうして?」


 俺達は仕事が終わるとサイベリアで解散するので、俺は立華さんが電車通学なのかすら知らなかった。というか顔と名前と性格以外は何も知らない。俺達の関係はまだ「同じバイト先の人」止まりだ。


「それなら────良かったら駅まで一緒に帰らないか?」


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