第3話 王子様の初仕事
何事もやらせてみるのが一番、というのがこの一年サイベリアで働いた俺の持論だった。そんな訳で俺達はいきなりホールにやってきている。
「おお、これがホールか。流石に少し緊張するね」
本当に?
と訊きそうになるくらい立華さんは落ち着いていた。物珍しそうに店内やお客さんに視線をやっていて緊張している様子は全くない。俺が初めてホールに出た時なんて、ちょっと足が震えたのになあ。
「じゃあ一通り案内するね。付いて来てくれるかな」
「ふふ、了解したよ夏樹」
立華さんを連れてホールを一周する。レジやカウンター、テーブル番号などを教えるだけだからそこまで時間は掛からないと思ったんだが──残念ながら俺の見立ては甘かった。
…………いや、こんなの誰が予想出来るんだよ。
立華さんが足を止めた。視線の先には15番テーブル。そこに座っているのはスーツ姿の若い女性が二人、多分OLだ。こちらを見て顔を赤くしている。
…………間違いなく立華さんを見ていた。今の立華さんはサイベリアの男性用制服であるスーツ姿。一見するとただの超絶イケメンにしか見えない。服装の先入観もあるとはいえ、まさか女の子だなんて思いもしないだろう。
「あの子たち、可愛いね」
立華さんは小さくそう呟くと、二人に向かって軽く手を振った。勿論お客様に向かってそんな態度はタブーである…………が。
その瞬間────OL二人組はハジけた。
「…………わお」
二人の間で何らかの感情が爆発したのが分かった。口元を押さえたりテーブルに突っ伏してみたりと激しく感情を爆発させている。それがどういう感情なのかは想像に難くない。こうやって蒼鷹生は冬の時代を過ごす事になったんだろうな。
「ふむ、ウェイトレスはボクの天職かもしれない」
「いやいや、違うから。今のは接客じゃないからね」
「そうなのかい?」
きょとんとした表情で首を傾げる立華さんは、どこまでふざけているのか判断が難しい。顔が整っていると何でも本気で言っているように聞こえる。
「お客様に手を振る事はホールの仕事に入ってないから。それはホストとかそういう夜の職業だと思う」
「ホストか、それもいいね」
やはり本気なのか分からない事を口にする立華さん。そして多分ホストになったらめちゃくちゃ人気が出るんだろうな。
「じゃあ、ホールの仕事を教えてくれるかな?」
「勿論。その為にホールに来たからね。じゃあ早速接客の練習をしてみようか」
気を取り直し、ホールの入り口へと移動する。いくら暇な時間とはいえ他のスタッフさんに一人でホールを任せてしまっているので、ふざけている時間はない。
「まずは案内から。俺がお手本を見せるから、立華さんはお客様として入ってきてくれる?」
「了解した」
立華さんが一度風除室へ行き、そして戻ってくる。
────その瞬間、俺の中でスイッチが切り替わる。自然と笑顔が顔に張り付く。立華さんがイケメンだとか、そういう事は頭の中から飛んでいく。今目の前にいるのは一人の『お客様』だ。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「あ、えっと……二人かな」
「二名様ですね。それではご案内致します」
片手をあげ、窓際の少し小さめのテーブル席へ案内する。足音で立華さんが付いて来ているのが分かった。
「こちらの席でお願い致します。ごゆっくりどうぞ」
自然と下がった頭を上げると、立華さんが不思議そうな目で俺を見ていた。
「夏樹、何だか急に人が変わったね?」
「そうかな?」
確かに仕事モードに切り替えたけど、そこまでの違いはないと思うんだよな。
「うん。笑顔なんか見せちゃってさ」
「笑顔は接客の基本だから。立華さんも笑顔で接客するんだからね」
「それは任せてよ。笑顔は得意分野だからさ」
そう言って微笑を浮かべる立華さん。かっこいいけど何か違う気もした。それはおもてなしの笑顔ではなく、誰かを魅了する時の笑顔なんじゃないだろうか。さっきのOLに見せた日には、きっととんでもない事になる。
◆
正直に言えば、立華さんがちゃんと接客出来るのかかなり不安だった。いきなりお客様に手を振るなんて、そんな事は俺の常識にない。つまり立華さんは俺の常識が通用しない相手という事だ。話し方もちょっと変わっているし、果たしてマニュアル通りにやってくれるかどうか。
と、思っていたのだが。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
人が変わったように女の子らしい笑顔を浮かべる立華さんが俺を出迎えた。服装が男性なので、一瞬頭がこんがらがる。
「っ、三人で」
「三名様ですね。それではご案内致します」
流麗な動作で歩いていく立華さんの背中を、俺は感心しながら見つめていた。
立華さんはどうやら一度俺の接客を見ただけで完璧にマニュアルをマスターしてしまったらしい。それは本当に凄い事だ。普通は言葉を覚えられても、緊張してすらすらとは話せない。
「こちらの席でお願い致します。ごゆっくりどうぞ」
立華さんがぺこりと礼をする。俺は立華さんが顔を上げるのを待ち、拍手を送った。
「凄い、凄いよ立華さん。完璧だ」
「そうかな? それは嬉しいね」
立華さんは王子様モードに戻っていた。つい、言ってしまう。
「まさか普通に接客出来るなんて。てっきり王子様モードでやるのかと思っていたけど」
「ほう?」
俺の言葉に反応して、立華さんは挑発的な目を俺に向けた。肩に手を乗せ、耳元に顔を近付けてくる。
「────これでやっていいなら、そうするけど?」
「っ!?」
耳元がイケボに包まれて咄嗟に後ずさる。多分きっと、俺は顔が赤くなっている。今の立華さんは男にしか見えないのに、何故か顔が見れる気がしなかった。
「そ、それでやっていいのは友達が来た時だけ! あとは普通に今の感じで接客することっ。分かった?」
「はーい。了解したよ、夏樹」
俺がつい言ってしまったその言葉が、まさかあんな事になるなんて────この時の俺は全く予想していなかった。
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