第1話 雀桜の『王子様』
「彼女が出来ねえよぉー……」
そんな慟哭と共に綺麗に清掃されたテーブルに突っ伏したのは、一年生からの友人、佐々木
これをされるとテーブルに顔の脂が付くから出来ればやってほしくない、というのがこのファミレスの店員である俺が真っ先に考えた事だったけど、わざわざ言ったりはしない。弱っている時に辛辣な言葉をかけるのは友達のやる事じゃないからな。
「まあそのうち出来るって。元気だしなよ」
「他人事みたいに言いやがって。そういうお前は欲しくないのかよ
「んー、まぁ欲しいと言えば欲しいけどさ。誰でもいいって訳でもないよ」
他人事みたい────まさにその通りだ。俺はフライドポテトをケチャップの海にくぐらせると口に放り込む。塩気の強いポテトとケチャップの酸味が合わさって、ついつい手が進んでしまう。
「やっぱうちのポテト美味いよなあ」
「分かる。めっちゃ多くしてくれるしな。バイト入ったらお礼言っといてくれ」
「あいよ」
颯汰も起き上がってポテトを食べ始める。三人前はありそうな山盛りのポテトだけど、注文したのは一人前だけだ。俺に気が付いたキッチンの人がサービスしてくれたんだろう。
今日のシフトは誰だったか……このふざけた量はもしかして店長かもしれないな。今日はバイトの面接か何かでこっちの店舗にいるって言ってたし。
「それにしてもさあ」
颯汰が手に付いたケチャップを舐めながら言う。汚いのでナプキンを一枚取って渡してやる。
「まさか二年生になっても彼女が出来ないとは思わなかったよな。それも『
「まあね。正直な話、入学前は俺も簡単に彼女出来るんだろうなって思ってた」
同じ町にある男子校と女子校、蒼鷹高校と雀桜高校。この二校は代々学校ぐるみで仲が良く、カップルが沢山出来る事で有名だ。中学生だった俺も勿論その噂を知ってはいた────が。
「なぁーーーにが『雀桜の王子様』だよぉぉ……こんなの聞いてないって……」
もう一度颯汰がテーブルに突っ伏す。
『雀桜の王子様』────それは蒼鷹生の中で最近噂になっている、とある女子生徒の事だ。どうやらその生徒が雀桜内で絶大な人気を誇っているせいで、我らが蒼鷹は日照りの毎日を送っているらしい。
名前は……何て言ったかな。
「くそお……『
颯汰によって答えがすぐ分かった。そうだ、立華一織だ。
顔も知らないその雀桜生は今、全蒼鷹生の悶々とした負の感情を一方的に向けられているのだった。あえてそれに名前を付けるなら「逆恨み」だ。もしくは「負け犬の遠吠え」かもしれない。本当に可哀想な話なので心の中で同情しておく。
「でもその噂、本当なのかなあ。一人の生徒のせいでここまで何もなくなるなんて」
「そうだけど、実際こうなっちゃってる訳じゃん。俺やだぜ、友達全員童貞のまま卒業するの」
「それは別にいいと思うけど」
他人がどうだろうと関係ないと思うし、別に早く卒業すれば偉いってものでもない気がする。
「あ、俺そろそろ行くわ。悪いけどポテト食べといてくれ」
荷物を持って立ち上がる。そろそろバックヤードに行かないと朝礼に間に合わない時間だった。もうすぐ夕方なのに朝礼。社会人あるあるだ。
「もうそんな時間か。労働頑張ってくれい」
ポテト片手に手を振る颯汰に軽く手をあげ、俺はバイト先を出た。
◆
そしてバイト先にやってきた。その間およそ三十秒。駐車場を通って裏に回るだけだから当然の話ではあるが。
重たい金属の扉を開けると、パソコンを前に難しい顔をしている店長の姿があった。椅子に座っているので、長い黒髪が床に付きそうになっている。
「店長、おはようございます」
「ん? おお夏樹、ポテトは美味かったか?」
そう言ってにやっと笑う店長は、制服を着せたら同年代にしか見えないほど若く見える。でも何歳なのかは誰も知らない。地域密着型のファミリーレストラン『サイベリア』を数店舗経営する社長でもあり、一店舗目でもあるこの店の店長も兼任する年齢不詳の超シゴデキスーパーウーマンだ。
「やっぱり店長でしたか。あれ三人前くらいありましたよ?」
「高校生は沢山食った方が良いんだよ。勿論、食った分は働いて貰うけどな?」
「そりゃもう。ポテトがなくても真面目にやりますけどね」
「流石、次期店長は気合入ってるねえ。私も頼もしいよ」
店長が豪快に笑う。こんな笑い方は十代に出来るはずがないので、やっぱり同年代じゃないのは確定だ。
「だから店長にはなりませんって。俺、進学希望なんですから」
「まあまあまあまあ。返事は焦らなくてもいいからな?」
俺はありがたい事に店長から結構信頼されている。こうやってサイベリアの店長に勧誘されるのも何度目か分からない。まあ半分冗談で言ってるんだとは思うんだけどさ。
「そういや店長、面接はどうだったんですか?」
手洗いを終え、更衣室のカーテンを閉めながら気になっていた事を訊いてみる。
「おっ、なんだ夏樹? 可愛い女の子が入ってくるのか気になるのか?」
「違いますよ。採用するなら多分俺が教育係ですよね? どんな人なのか気になっただけです」
店長の言っている事も、まあちょっとは気になるけど。それはそれ、仕事は仕事だ。
「ははぁん…………喜べ夏樹! 採用、それも同い年の女の子……雀桜の二年生だぞ!」
語気を強める店長とは裏腹に、俺のテンションは上がらない。
「……雀桜、ですか」
「? どうしたんだ夏樹、蒼鷹と雀桜っていえばこの辺じゃ憧れのカップルだろう。私の頃も凄かったんだからな、雀鷹カップルは」
雀桜OBの店長は、俺が淡々としている理由が分からないらしい。カーテンの向こうから困惑したような声が聞こえてくる。
確かに例年なら同じバイト先の雀桜生など「カップル確率100%」だったんだろうが、今は違う。蒼鷹と雀桜は国交断絶、大きな隔たりが生じてしまっていた。
「昔はそうだったのかもしれないですけど、今の蒼鷹と雀桜の間には何もありませんよ。立華……なんとかっていう雀桜生が向こうで『王子様』って言われてて、女子人気は全部そっちにいっちゃってるんですよ」
言ってて少し情けなくなる。それはつまり、一人の女子生徒に全蒼鷹生男子が負けているという事だからだ。
漫画のような俺の話を店長は茶化さなかった。代わりに、変な事を訊いてきた。
「────それって、『立華一織』って名前だったりするか?」
「え、店長知ってるんですか?」
店長の口からまさかの名前が飛び出してきて、流石に驚く。『雀桜の王子様』立華一織の名はそんな所まで轟いていたのか。
「うん。だって────さっき面接した子、その『立華一織』だから」
「は!?」
衝撃的な言葉に、俺は半裸なのも忘れて更衣室のカーテンを弾き開ける。
「良かったな、夏樹?」
履歴書から顔を上げた店長が、俺を見てにやっと口の端を吊り上げた。
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