【短編/1話完結】話さないで離して、話して離さないで
茉莉多 真遊人
本編
「離してよ」
機嫌が悪い時の君の最初の言葉はいつもこれだ。顔はどこか別の方向を向いていて、目もどこかを見ていて僕を見ず、そのかわいらしい口をつんと尖らせている。
君のそのお決まりの言葉に、君の機嫌が悪いにも関わらず、僕はどこか安心してしまう。
「そう言わないでよ」
「話さないで」
次に出てくる言葉もまたお決まりの言葉で、お決まりの流れだ。
ちなみに、彼女は僕に何か不機嫌なわけではない。
今日のテーマもおそらく最近よく話題になっている職場の先輩だと思っている。先輩といっても上司というわけじゃないし、直接の指導を受けているわけでもないけど、なにがしかの細々としたお小言を言われてご機嫌がリクライニング気味なのだ。
つまり、ただの八つ当たり。それを自覚もして知っているから、僕をじっと見て怒っているわけではなく、ただただ不機嫌だから、近寄るな、話しかけるな、本当に傷付けちゃうからと警戒して、感情を制御できないなりの優しさから八つ当たり気味になっている。
「……そう言われちゃうと悲しいけどね」
そうして、しばらく不機嫌が続いているのをまじまじと眺めていると、気持ちが落ち着いてきたのか、虚しくなってきたのか、バツが悪くなってきたのか、寂しくなってきたのか、徐々にこちらの方に顔を向けて見つめてくる。
「……離さないで、ぎゅっとして」
先ほどの八つ当たりを謝るわけもなく、君は寂しくなると、近寄ってきて、抱き着いてきて、ぎゅっと抱きしめてほしいと伝えてくる。
「はいはい、いつものわがままさんだね」
これもお決まりの流れ、お決まりの言葉だから、僕もいよいよ慣れたものだ。
「なにか、話してよ」
君は最後に甘えた猫なで声でそう呟いてくる。
ここで大事なのは、僕の話をしてはいけない、というところだ。
この「話してよ」は、訊ねてほしい、質問してほしい、話を聞いてほしい、ということだから。
「今日はどうしたの?」
僕はいつものようにそう訊ねた。
【短編/1話完結】話さないで離して、話して離さないで 茉莉多 真遊人 @Mayuto_Matsurita
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