その手をはなさないで

おひとりキャラバン隊

その手をはなさないで

 西暦2035年、環境破壊によって人間の住処の半分が荒廃した地球の人々は、2031年に発見された「地球に似た惑星」への移住に向けたプロジェクトを世界中で進行させていた。


 様々なロケットが試験飛行を行い、現在は日本製の100人単位で乗船できる宇宙船が4回の宇宙フライトを成功させていた。


 目指す惑星は「ニューアース」と名付けられた。


 元々は世界の大金持ちから順に移住して、貧乏人の私などは地球に残されるのだろう、なんて事を考えていたが、実際には、大金持ちが快適に移住出来る環境を造る為に、むしろ庶民の中から「開拓民」を募集しているのが現実だった。


 2018年の東京で生まれた私は、今は高校3年生として母と共にアパートで暮らしている。


 母と私の2人暮らしは、貧しいが不幸では無かった。


 母はもう35歳だというのに、娘である私の目にも美人だと分かる。


 その容姿を活かして新宿のホステスとして活躍しているらしく、見た目のきらびやかさ程には稼げないが、私は子供の頃から食事や衣類に困った事は無いし、私を高校に通わせるくらいは「へっちゃらよ」と笑って応えてくれる母のおかげで、自分を「不幸だ」と思う事は無かった。


 しかし社会には不幸な人が増加している様で、その原因は「ファシズム」なんだと歌舞伎町の大人達が言っていた。


「ファシズムって何?」


 と私は母に訊いた事があるが、


「さあ…、何か政治の専門用語なんじゃない? お母さんには難しくて、よく分からないわ」


 と言うだけだったし、私も自分で調べた事も無いから、今もまだ分からないままだった。


 母はこんな感じで、あまり物知りでは無いが、私にとっては自慢の母だ。


 だからという訳でもないけど、少し母の話をさせてもらうわね。


 母は2014年の4月に、私が今通っている高校に入学したそうだ。


 ランクの高い学校では無く、母はあまり勉強が好きでは無かったらしい。


 ただ、その頃から美人だった母は、その少し大人びた容姿も手伝って、学校の先輩達から沢山アプローチを受ける、モテ女だったそうだ。


 そんな中、まだ高校1年生だった当時の母は、2歳年上の、他の学校の男子生徒と恋仲になり、その年にその男子との子供をその身に宿す事になったらしい。


 そのお腹の子というのが、私だ。


 当時16歳だった母は、家族の反対を押し切って、私を産む為に家出をし、山梨の甲府にある実家を出て、男と一緒に東京へやって来たらしい。


 右も左も分からない東京の、名前だけは知っている新宿の駅に到着した私の両親は、ネオンの光の明るい方へと誘われる様に歩いてゆき、やがて「歌舞伎町一番街」と書かれたアーチを潜り、ナケナシのお金を使ってインターネットカフェに泊まったそうだ。


 母は父との駆落ちに不安はあれど、期待に胸を膨らませていたのも事実だそうだ。


 しかし、インターネットカフェに泊まるお金も底をつき、深夜の歌舞伎町を彷徨う両親に、歌舞伎町は優しい街では無かった様だ。


 どこからとも無く現れた、高級そうなスーツに身を包む、頬に傷のある男が1人、父に近付き、こう言ったそうだ。


「金を稼ぎたいんだろう? いい仕事を紹介してやるから、付いて来な」


 そこから先の話は詳しく教えて貰えなかったけど、私がまだ小さい時に、母はよくこう言っていたものだ。


「知らない人には絶対に付いて行っちゃ駄目だよ。どんなに優しい言葉で話しかけて来たとしても、絶対だよ」


 こう言う時の母の顔は真剣そのもので、その理由は小さい頃の私には分からなかったけど、今の私には想像がつく。


 母は取り残されたのだ。


 母は、父がどこか恐ろしい組織に連れ去られ、母を残して消えてしまったのを目の当たりにしたに違いない。


 きっと父は母を守ろうとしたのだと思う。


 だけど、その代償として、もう二度と母に会えなくなってしまったのだろう。


 学校の図書室で読んだミステリー小説でも、そんな物語があった。


 私は父の事も嫌いでは無い。


 だけど父親という存在をよく分かってもいない。


 学校のクラスメイトとの雑談の中で、何となく父親の話題があがる度に、


「お父さんのパンツと一緒に私の服を洗濯されるとか、マジ最悪だし!」


 なんて話を聞かされていて、


「私のお父さんは、そんな事しないよ」


 と私が答える度に、クラスメイトが、


「いいな〜」


 なんて羨ましがるのを見て、それが心地よかったからだと思う。


 私は父と会った事が無いから、私の話は嘘では無いけど本当でも無い。


 私が妄想の中で「理想の父」の姿を作り上げて、それをさも実話の様に話してきただけの事だ。


 だけどそれも私が高校に入学してから2ヶ月位の話で、中間テストが終わった6月中旬に、学校集会で校長先生が話した「開拓民の募集制度」の話題で学校中が満たされ、それ以外の話題は消え失せてしまった。


「政府は今回、16歳以上25歳以下の男女を開拓民として募集するという事で、めでたく本校の生徒からも4名の応募枠を得る事が出来ました!」


 と誇らしく語る校長先生の話は、生徒達には「名誉な事」の様に映った。


 事実、お給料は良いし、地球に残された家族にも安定した生活が約束されるだけの保障があるらしいからだ。


 私はいつも、夕方から早朝まで働き続ける母に、早く楽な生活をしてもらいたいと思っていた。


 だからこの募集に、独断ですぐに応募した。


 それを先生達は喜んだが、帰宅して母に話すと、母はその場で泣き崩れてしまった。


 理由を聞くと、私がその「開拓民」に選ばれたら、私は母と別れて地球を出て行かなければならないらしいからだ。


 知らなかった。


 学校で開拓民に申し込んだ時に色々説明は受けたけど、お金が貰えるという事以外の話はちゃんと聞いていなかった。


 先生達から「他に、何か質問はあるか?」と訊かれた時にも、


「私が開拓民に当選すれば、母は働かなくても生活できる様になりますか?」


 と質問しただけだった。


 先生達は何度も頷いて、


「もちろんだ。お前は栄誉ある仕事が出来るし、お前のお母さんは生活するのに充分なお金が支給されるぞ」


 と言っていたので、私はそれしか理解できていなかったのだと思う。


 母の話では、開拓民になってしまった者は、もう二度と家族には会えないという。


 ・・・そんなのは嫌だ。


 母はすぐに学校に連絡し、私の応募申請を取り下げる旨を伝えてくれたが、学校からは、


「既に政府に申請を提出しておりますので、取り下げを希望するなら東京都庁の方に伝えて頂けますか?」

 と言われた様だった。


 母はオロオロとしながら私の肩を両手で掴むと、


「何でそんな大事な事を一人で勝手に決めてしまったの!?」

 と、聞いた事が無い様な大声で、怒った様に私に言った。


 私は母の両手で揺さぶられる肩の手を振り払い、


「お母さん、毎日お仕事大変でしょ? 私が仕事出来るようになったら、楽になるでしょ? だから・・・」

 とそこまで言って言葉を切り、「でも、お母さんと会えなくなるのは私も嫌だから、東京都庁に行って、応募するの辞めるって話してくるよ」

 と言った。


 私は翌日、学校に行ってその事を先生に話す事にした。


 先生は、「せっかくのチャンスなんだぞ? よく考えてから行動した方がいいぞ?」

 と言って、私が都庁に行く事を嫌がっている様に見えた。


「でも、開拓民になると、私は地球を出て行くんですよね? お母さんに会えなくなるのは嫌です」


 と言うと、先生は目を丸くして動きを止め、そして自分の膝を両手でパチンと打ってから、

「何だ、そんな事を心配していたのか!」

 と笑った。そして「大丈夫だよ。ちゃんとお母さんに会えるから心配するな!」

 と言って、私に都庁に行かない様にと伝えてからその場を去って行ってしまった。


「何だ、心配する事無かったじゃん」


 私は結局、母が心配する様な事など無いのだと知り、先生の言う通り都庁に行くのをやめたのだった。


 私はその日の夕方に母にその事を伝え、母は納得できなかったようだが、ブツブツと文句を言いながらも仕事に出かけて行ってしまった。


 ・・・それから1週間後、自宅に1通の郵便物が届いた。


 宛名は私の名前になっており、差出人の名は「内閣府 開拓民審査センター」だった。


 私が学校から帰った際に自宅の郵便受けに入っているその封筒を見つけたのだが、たまたま母が既に仕事に出かけていた様だったので、その封筒を私が開けてみる事にした。


 中には沢山の書類が入っており、私は難しい書類の事はよく解らなかったけど、それでもあいさつ文が書かれた1枚目の用紙をめくった次のページに大きく書かれた「合格」という文字は、否が応でも私の目に飛び込んできた。


 やった。


 合格したんだ。


 他の書類にも目を通してみたが、これといって難しい言葉は使われておらず、私にも理解できる内容だった。


 まず、私が開拓民として合格できた事。


 そして、7月25日から8月31日に開拓民として学ぶ為の合宿に参加しなければならないという事。


 そこで訓練を受けたら、9月1日からどこかの部署に配属され、何らかの仕事に従事する事。


 給与は9月分が10月25日に支払われる為、9月中に給与振り込み口座を登録しておく事。


 開拓民が未成年の場合は、政府が指定する住居に、1人以上の保護者と共に移住する事。


 概ねこうした内容だった。


「・・・なんだ。やっぱりお母さんに会えないなんて事無いじゃん」


 最後の一文を読んだ私はそう呟いた。


 学校の先生の言う通りだった。


 母は中卒だし、勉強は苦手だったらしいから、難しい事は分からない事が多い。


 だけど私を育てる為に一生懸命働いている事は知っていたし、母の今の仕事が、今後もずっと続けられる様なものじゃない事は私にも分かる。


 だから、これを機会に母には楽をしてもらい、私がまともな仕事をして生活費を稼げばいい。


 大人になったら、いつか生活力のある男性と結婚をして、ささやかでも幸せな家庭が築ければいい。


 私はそう思い、早速振込口座等の手続きの為の書類を作成しておく事にした。


 明日は土曜日で学校は休みだ。


 明日、母にこの書類の内容を説明して、一緒に引っ越す準備をやらなくちゃ。


 そうして私は、蒸し暑さで汗だくのシャツを脱ぎ、シャワーを浴びて扇風機の風邪に当たりながらベッドの上に寝転んだのだった。


 時刻は22時を過ぎたところだ。


 私は開拓民という仕事がどんな事をするものなのか、空想を膨らませながら、いつしか眠りに落ちていた。


 そうして、2035年6月30日の土曜日の朝を迎える事になるのだった。


 △△△△△△△△△△△△△△


 私の家には、もう映らなくなった小さなテレビが一つある。


 私には使い方が分からないが、母が大切にしているので、きっと貴重なものなんだと思う。


 手の平サイズの厚み5ミリ程度の黒い板状のテレビで、母はそのテレビの事を「スマホ」と呼んでいた。


「スマホ」というのが何だか私には分からないが、私が小学校に入学する時に首筋に注射で埋め込まれたゴマ粒サイズのデバイスと似た機能があるものらしい。


 デバイスは、音声通話やメール機能、インターネット検索などが出来るものだ。


 難しい事はよく解らないが、人間の身体を流れる血液や電解質によって電力を供給されており、人間が生きている限り、半永久的に稼働可能な機械らしい。


 土曜日の朝、私が目覚めると、母はまだ帰宅していない様だった。


 時計を見れば午前7時半。


 いつもなら、とっくに帰宅している時間なのだが、母の姿は見えなかった。


 部屋の隅に寄せたこたつ台の上には、昨日の夜に私が作った開拓民の手続き用の書類がそのまま残されていた。


 私はデバイスを起動して母からメールか何かが来ていないかと確認してみたところ、母からではなく、新宿区の生活課というところから1通のメールが届いていた。


 そのメールの見出しには、【遠藤弘子様の死亡手続きについて】と書かれていた。


 遠藤弘子。


 母の名だ。


 母の死亡手続きについてのメールの様だが、これは一体どういう意味だろうか?


 確かに母はまだ帰宅していない様だが、それと何か関係がある事なのだろうか?


 にわかに不安を感じ、私はメールを開いて本文を読んでみた。


 そこには、母が昨夜、歌舞伎町で起きた酔っ払い同士の乱闘騒ぎに巻き込まれ、頭を強く打って死亡したのだという事が書かれていた。


 そして、役所に提出すべき死亡手続きの手順について、淡々と説明している文章だった。


 ・・・お母さんが、死んだ?


 にわかに信じ難い内容だったが、メールの文章を何度読み返してみても、やはり母が死んだという内容でしか無かった。


 私が途方に暮れていると、デバイスに新たなメールが届いているのが分かった。


 メールの見出しは【遠藤奏多様の開拓民登録について】というものだった。


 奏多かなたとは私の名だ。


 母の事で放心状態に近い私だったが、無意識にそのメールを開き、本文を読み進めていた。


「お母さまの事は大変痛ましい事故で、我々としても心を痛めております。今回は未成年である奏多様の対応についてお知らせいたします」


 メールの文を声に出して読みながら、私は役所の対応がとてもスピーディである事に驚いていた。


奏多かなた様は、政府の開拓民プロジェクトにご応募頂き、審査に合格している事が確認されております。よって、児童養護施設への登録では無く、ニューアース移住の登録とさせて頂く事に致しました。手続きを進めたく存じますので、こちらのメールにご返信の程、お願い致します」


 ・・・分からない。


 突然の事で、何が何だか分からない。


 だけど、母が本当に死んでしまったのだとしたら、未成年の私には生きる方法が2種類しか無い。


 児童養護施設に入所して保護を受けるか、又は開拓民の仕事を行うかだ。


 しかし私は、実際には数秒間迷っただけで、開拓民として働く選択を行った。


 すぐにメールを返信し、「手続きの進め方について教えてください」と書き添えておいた。


 役所からの返信は数分後に届いた。


「ありがとうございます。では、以下のURLから手続きを行ってください」


 そうして記載されたURLから、私は開拓民としての登録を行う事になったのだった。


 △△△△△△△△△△△△△△


 2035年7月25日の水曜日、私は東京駅から徒歩10分くらいの所にある国際フォーラムという建物の中に居た。


 そこには大勢の人々が集っており、エントランスの受付でデバイス情報を確認され、開拓民の業務に関わる説明を受ける会場が知らされている様だ。


 私も受付に並ぶ列の中に居た。


 周囲は20歳前後の男女ばかりで、高校生くらいの者は私しか居ない様にも見えた。


 やがて私の順番がやってきて、受付で私のデバイス情報を確認した受付の女性は、少し驚いた様に私を見たが、それは一瞬の事で、すぐに必要な情報を私のデバイスに送信してくれた。


『2階、215号室 11:00』


 情報はそれだけで、私は2階の215号室に行く以外に出来る事は無かった。


 時刻は10:35。


 少し早いが、館内で迷子になってはいけないと思い、すぐに2階に移動する事にした。


 2階に移動すると、215号室の場所はすぐに分かった。


 そこは小さな部屋で、中に入ると、長机が一つと、パイプ椅子が机を挟む様に2つだけ準備されていた。


 どちらに座れば良いか分からなかったが、長机の奥にガラス窓があり、外の景色が見えていたので、窓の景色が見える、手前側の椅子に座る事にした。


 肩に掛けていた化粧ポーチを膝の上に置いて座り、その場でじっとしている事数分。


 部屋の扉からスーツ姿の男が入って来ると、部屋の扉を閉めて、向かいの席に座った。


 窓から入る逆光で男の顔は分からなかったが、私が眩しそうに目を細めると、男は脇に抱えていた書類をテーブルに置き、窓の端のスイッチを押して、窓のブラインドを閉めて、外の光を遮った。


「よく来てくれましたね」


 と言う男の顔は、おそらく30代半ばといったところか。


 身長は180センチくらいのやせ型の男で、自分の事を「内閣府から来た獅童しどうです」と名乗った。


 男は向かいの椅子に座ってこう言った。


「早速だが、あなたには特別な仕事が用意されているので、これからその説明をさせてもらいます」


 男の話はこうだ。


 私は今回「開拓民」として選定された中では希少な「未成年」であるという事。


 そして、孤児として開拓民になった、唯一の存在であるという事。


 そこで、私は早速「ニューアース」に移住し、政府が準備した「仮の家族」と共に生活し、そこでの生活を毎日記録するのが仕事だというものだった。


 生活の記録といっても日記を書く程度の事で良いらしく、私にも問題なく出来そうな仕事だと私は少し安心できた。


 しかしこれはとても大切な仕事でもあるらしく、どんな細かい事も、正直に記録して欲しいという事を念押しされた。


 私が残した記録が、今後移住する子供達の生活に必要な施設や設備が何なのかを知る為の貴重な情報源になるというのだ。


 なるほど。


 責任重大の様ではあるが、要は細かい日記を正直に書けば良いという事だ。


 バカな私は嘘をつくなんて出来ないし、むしろ正直に記録すれば良いというのは有難い話でしかない。


「分かりました。それで、いつから移住をする事になるんですか?」


 一通りの説明を受けた後に私がそう問うと、男は机の上の書類をパタンと閉じて、真っ直ぐに私を見返しながらこう言った。


「今すぐにでも、ですよ」


 △△△△△△△△△△△△△△


 それからの動きは目まぐるしかった。


 自宅の転出、荷物の整理、母の葬儀、学校の転出、クラスメイトとのお別れ会、開拓民としての訓練、ニューアースの生態系についての勉強。


 そうした事を同時並行的に1週間程度行った。


 これらの作業は、内閣府からの指示があったとかで、新宿区の職員も手伝ってくれた。


「こんな沢山の人に手伝ってもらって、いったいいくら払えばいいんですか?」


 わたしのこんな質問に、新宿の職員は、


「心配しなくてもいいよ。全部、税金で支払われているからね」


 と笑いながら答えてくれた。


 税金の事はよく解らないけど、お金なんて大して持ってない私にとっては助かる話だった。


 そんな怒涛どとうの1週間を過ごした私は、内閣府の獅童しどうさんの迎えによって、茨城県にある宇宙船の基地へと連れて来られた。


 2035年8月10日の金曜日の午前11時丁度。


 私は観光バスくらいの大きさの宇宙船の乗り場の待合室にいた。


 色々な職員が私に宇宙服を着せて、トイレの仕方や空気圧の調整の仕方等を説明してくれた。


 そして、一緒に宇宙船に乗る人を紹介してくれるというので、私はここで待たされている訳だ。


「宇宙船の出発が12時丁度だから、あと一時間か・・・」


 私がそう呟いた時、待合室の扉が開き、同じく宇宙服を着こんだ二人の大人がやって来た。


 宇宙服の顔の部分は部屋の光を反射していて表情は分からないが、


「やあ、君が新しい家族になる奏多かなたちゃんだね?」


 と挨拶をしたその声は、優しそうな大人の男の人の声だった。


「はじめまして、奏多ちゃん」

 と言うもう一人は女性の様で、「私は斎藤春香。あなたの新しいお母さんという事になるわね」

 と明るく言う声は、私の母よりも大人びた声に聞こえた。


「こんにちは。遠藤奏多です」


 と私は少し緊張した声でそう挨拶すると、その場でペコリとお辞儀をしたが、宇宙服のおかげでうまく身体が傾けられず、その場で前のめりに転びそうになってしまった。


「おっと!」

 と言って私の身体を支えてくれたのは男の人の方で、「宇宙服は動きにくいから気を付けて」

 と私の身体を元の姿勢に戻してくれた。


「名乗るのを忘れていたな。僕の名前は斎藤健治だ。君の新しいお父さんという事だね」

 と言って少し背を屈めた男は、「春香は僕の本当の妻でね。僕達には子供が居ないのもあって今回のプロジェクトに夫婦で参加したんだが、いきなり高校生の子供が出来て至らない事もあるかも知れないが、親子として一緒に頑張ろうと思うから、困った事があったら何でも言っておくれ」


「分かりました」

 と返事をした私に、二人は「ふふ」「ははは」と軽い笑い声で応えたが、きっとこの夫婦は良い人達なんだろうと私は思った。


 父という存在の事がよく解らない私にとっては、人生で初めての父との生活が始まるのだ。


 私は期待と不安で少し胸の鼓動が早まるのを感じていた。


『斎藤さんご夫妻と奏多ちゃん、船の出発準備に入りますので、5分以内に乗船して下さい』


 突然室内のスピーカーからそう聞こえ、私達は部屋を出て宇宙船の乗り場へと向かったのだった。


 △△△△△△△△△△△△△△


 宇宙船の中には座席が4つある小さな部屋と、何も無い6畳くらいの洋室みたいな空間があった。


 他には宇宙船の操縦席や食糧や水などの保管庫がある様だが、3人の乗組員と私達3人の計6人以外に人は居なかった。


「では、ランチャーが発射準備に入っているので、座席についてシートベルトをしてもらいますよ」

 と、私達の後から宇宙船に乗り込んだ乗組員がそう言い、私達を座席に固定するのを手伝ってくれた。


 そうして固定された私達は、もう身動きできずにじっとしている事しか出来なかった。


 横一列に4つ並んだ座席のうち、一番右に斎藤春香さん、その隣に旦那である健治さん。真ん中の通路を挟んで一つ空席があり、一番左に私が座っていた。


「あと5分で発進します! 衝撃が大きいので、しっかり背もたれに身体を押し付ける様に座っていて下さいね!」


 みな同じ宇宙服を着ているので、どれがどの乗組員かは分からないが、先ほど案内してくれた人と同じ声の乗組員がそう言っていた。


 しばらくして宇宙船の外が騒がしくなり、英語で何かを言っていた。


 そしてカウントダウンが始まりだし、その数字が11、10、9・・・と小さくなってゆき、「3」と言った時にはロケット噴射の音が凄すぎて、その後に続くであろう「2、1、0」の数字は聞き取る事が出来ないまま、もの凄い衝撃と共に、私は気を失っていた。


 ・・・どれくらい気を失っていたかは分からないが、私が目を覚ますと、乗っていた筈の宇宙船の姿は天井が無くなっており、乗組員が慌ただしく言葉を交わしていた。


 私は座席に固定されたままだったが、右側に並ぶ座席に座っていた筈の斎藤さん達が座っていた座席が破壊されており、健治さんが宇宙船から延びるベルトに左腕を絡ませており、右手で宇宙船から投げ出された形になっている春香さんの手を掴んでいた。


 大変だ!


 私はそう思ったが、どうする事も出来なかった。


「お父さん!」

 と私は声を上げていた。


 何故そう叫んだのかは分からない。


 しかし、無意識にそう叫んでいた。


 健治さんは宇宙服のままこちらを向き、うめき声交じりに言葉を絞り出していた。


「こんな事故に巻き込まれるなんて、僕の人生はロクでも無い事ばかりが起こるよな」


 健治は続けた。


「奏多ちゃん。大きくなったね。僕と弘子の子供がこんなに大きくなっていたなんて、そして最後にここで会えた事に奇跡を感じているよ」


「どういう事?」


 私は混乱した。


 どうして私の母の名を知っているの?


「今まで黙っていてゴメンよ。君が僕と弘子の子だという事は、このプロジェクトで君の名前を見た時から分かっていたんだ」

 そう言う健治さんは、腕がピンと伸びた状態で「うう!」とうめき声を上げている。


 本当のお父さん!


 春香さんを掴む手が引っ張られて苦しそうだ。


 あの手を離せばお父さんは助かるかも知れない。


 だけど春香さんは宇宙空間に投げ出されてしまう!


 私が時々夢に見た本当のお父さんが目の前に居て、知らないうちにお父さんと結婚していた春香さんがその向こうに居る。


 お父さんがその手を離せば、私はお父さんとの生活を手に入れる事が出来るかも知れない。


 母を失ったばかりの私には、やっと出会えたお父さんが必要だ。


 だけど・・・、


「その手を放しちゃ駄目! その手をはなさないで!」


 私は咄嗟に叫んでいた。


 そして自分でシートベルトを外し、それを左手に結び付けると、もう片方の手でお父さんの宇宙服の足を掴み、思い切り引っ張った。


「うう!」

 とお父さんの呻き声が聞こえる。


 春香さんは気絶しているのか、何も聞こえない。


 どうせ気を失っているなら、お父さんを奪ったこの女を助ける義理なんて私には無い。


 だけど、お母さんを失った私だから分かる。


 お父さんにはこの人を失わせちゃいけない!


「絶対に、その手をはなさないで!」


 私はそう叫びながら、全力でお父さんの身体を引き寄せる。


 重力の無い宇宙空間で、停止しているものを動かすのがこんなに大変だとは思わなかった。


 だけど力を振り絞っていると、徐々にお父さんの身体は近づいて来て、一度動き出したお父さんの身体は、みるみる私に近づいてきた。


 そして私が掴んでいる座席にまで到達すると、お父さんは春香さんを座席に縛り付け、自らの身体を自分で座席に固定した。


 そして私の事も宇宙服越しに抱き寄せると、


「ありがとう、そして、本当に済まなかった!」

 という、嗚咽おえつ交じりのお父さんの声が聞こえていた。


 ・・・良かった!


 今の私にはそれしか考えられなかった。


 何かの事故で壊れた宇宙船。


 どこか分からない宇宙空間で慌ただしく動く乗組員。


 壊れた宇宙船の座席にしがみ付くだけで、他に何もできない私達新しい家族。


 ここにこれ以上の未来があるのかどうかは分からない。


 だけど、今ここに居る限りは、私はこの人達の家族であろう。


 父の手を握る私の手。新しいお母さんの手を握るお父さんの手。そして、もう一つの開いた手で、私は新しいお母さんの手を握った。


 私は地球を離れた、何も無い宇宙空間で新しい家族を得た。


 この家族の行く末は、ほんの数分しか残されていないかも知れない。


 だけど、私が死ぬまでに一度は得たかった「家族」を得られた喜びを、このひと時だけは噛みしめたいと思う。


 どこかの神様に感謝を伝えよう。


「ありがとう。夢が叶いました」


 その言葉を言い終えられたかどうか自分でも分からない。


 宇宙服の酸素ボンベが枯渇したという表示が見えている中、私は満面の笑みを浮かべていた筈だ。


 薄れゆく意識の中、私は神様にもう一度願った。


「この手を、二度と引き離さないで下さい・・・」


 その願いが届くかどうかは、私には知る由も無いのだった・・・・・・・・・

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