今日の俺は何と言われようがはなすもんは話すし離す

秋島歪理

今日の俺は何と言われようがはなすもんは話すし手離す!

 どれだけ前だったか。

 俺と彼女の、熱い抱擁のさなかだった。

 鎌田エイミはいった。

「ずっと離さないで」

 俺は言った。

「もちろんだ。一生離すものか」

 彼女のうなじからは、酩酊するほど甘い香りがした。

 だから、俺は。


 いや……やめよう。やめだやめ。こんな思い出を頭の中で反芻しても、まったく気が休まらない。むしろ気分が悪くなる。

 俺のデスクからわずか五メートル先。管理部の机のシマ。

 そこでは経理担当の鎌田エイミが、総務新人の佐山くんと、異常なほど親し気に話している。ボディタッチが激しすぎる。わざと俺の前でやっていやがる。

 ムカつくので、パソコンに必死で集中してる振りをする。が、やはり……見てしまう。

 うっわあ。オイオイなんて露骨な。佐山くんのネクタイを注意するふりして顏を大接近、直してあげている。純粋ボーヤな佐山くんは、もう耳まで真っ赤だ。

 彼はこんな会社に新卒で入ってくれた、奇特で有望なルーキーだぞ。何てことしやがる。

 だが――しかし一方で、安堵している自分もいる――俺には弱みがあるのだ。


 ヤツは……管理部経理係の鎌田エイミは、着服をしている。

 知りたくて知った事実じゃない。当の本人が同棲生活の初夜、寝物語に俺に打ち明けてきた。もう、世間話ぐらいの軽さで。

「あなただから話したの。誰にも話さないでね」

 言葉がなかった。

「それは、流石に、マズいだろう」

 とあえぐように言うのが、俺のやっとだった。

 正直、震えあがった。血の気が引いた。エイミが、何かの化け物にみえた。

 さっきまで、彼女は今日から一緒に暮らす俺の天使なのだァー、とのぼせ上がってたのに。

「大丈夫だよ。ホントにもうすぐ止める。次の契約更新までだから」

「いやいや待て。ということはだ、それまでは続ける気か?」

「今やめると大騒ぎになるからねー」

「じゃ、その契約料金の有効期間はいつまでなんだ?」

 エイミは、かわいく小首をかしげた。

「さあ? 自動更新だから、いつだかわかんない」

 あ。やばい。

 こいつ、すごいナチュラルに破滅してくタイプだ。

 しかし俺は、彼女の悪行を知っていながら黙認してしまった。

 要するに、途方に暮れたり酒に逃げたりウダウダ悩んでるうちに、何カ月かたってしまったのだ。その間も彼女は着服を繰り返していた。

 俺はこの時点で選択を間違えていた。

 いや。悔しいがエイミにはそれだけの魅力があり、俺が未練を断ち切れなかった。彼女と秘密を共有している。そして彼女が身を任せてくれる。

 この秘密があまりに道を外れたものでも。狂気と喜びとをもって、恋人でいられる快楽があった。ダメだ。否定できない。

 法的にどうなるか知らない。が、俺はもう……共犯とみなされて仕方がない。


 そんな急転直下な経緯で、彼女が会社から金を抜いているのを知ったのだ。

 要は、エイミは会社から泥棒している。横領罪だ。立派な犯罪だ。

 手口自体はすごく原始的で、契約書の誤字訂正の機会を利用しただけだった。取引先とウチの契約書に、細工して差額を作ったのである。明細は彼女自身が作る。帳簿上の支払や入金は、彼女が着服する余剰金抜きにしてしまう。

 取引先の社員も丸め込んであり――いやホント、どう丸め込んだのかは想像もしたくない――取引先の〝犯罪ご担当〟にもそれなりに小金をバックする。

 それで、手なづけているらしい。

 しかもだな、この栄光あるイカレたポンコツ弊社、彼女自身に金庫管理を任せている。現金も通帳も契約書原本も金庫の中だ。チェックしろよ。昭和かよ。いくらなんでも昭和がすぎるだろ。

 いやもう探しても、そんなのねえよ。いわば恐竜だよ。ジュラ紀かカンブリアだ。昭和に失礼だよ。

 あいつの上司たる管理部の部長は好々爺で、ニコニコして座ってるだけ。部長っつったって、部下は当の鎌田エイミと新人の佐山くん、あとは補助のパートの方。

 俺自身は、営業課の所属なのでちょっと畑違いだ。

 ああ畜生。こんなだから、いつまでも零細企業なんだ。


 そうだぞ、佐山くんのことも気にかかるんだ。

 すこし無口だが、素直でとても良いヤツなのだ。このままではあの女の毒牙にかかってしまう。つまりは、あの好青年の佐山くんが、エイミと一緒に地獄に落ちる羽目になるかもしれない。あの露骨な誘惑は、彼すらも手ゴマにするためじゃないのか……。

 管理部長は、直々じきじきの部下二人がさらなる裏金作りを始めても、とても気づかないだろう。テンプレートに会社名いれてハンコを押すお仕事で毎日、ご満悦だ。


 さあ。

 このままエイミが俺を捨てて、佐山くんに乗り換えるのをただ見ているのか。

 実はもう、俺はそれでいいと思っている。俺だって考えてる。理性ではだが。いまだに嫉妬に焼かれる自分のココロがムカつくが……。とにかくエイミと切れてもしょうがない。もう、それしかない。それでもいい。

 いいのだが……それでも問題が残る。

 俺が半ば共犯であることは、それでも変わらない。

 知っていて、黙っていた。この事実は消えない。

 この膠着こうちゃく状態をどうする?

 今はあの魔女の悪行をせめて、留めるべきだろうか。佐山くんにこっそり話して、彼だけでも救いたい。

 しかし最悪、俺……? 俺も一緒に責任を問われる?

 ああ、あのときすぐに、何らかの形で告発しておくべきだった。ご立派な企業と違って専用窓口とか、ない。超零細なのだ。

 

 だが。今日の俺は腹をくくっている。

 見てろよエイミ、所詮おまえは事務屋なのだ。営業マンの周到さとフットワークを舐めるなよ。後悔させてやる。

 と決意を固めつつ目を上げると。エイミは、佐山くんの尻ポケットが裏返しにはみ出てたのを、押し込んでいた。キャッキャ言っている。

 あざといの通り越して、もう男子へのセクハラだろ。尻さわってんだぞ。しかし佐山くんもデレデレだ。ま、まぁな、そうなるわな……。

 待ってろ。すぐに目を覚まさせてやるから。佐山くん、君まで魔道に落とさせはしないぞ。


 昼休み終わりのチャイムが鳴った。

「外回り、行ってきまぁっす!」

 俺は事務所内に呼びかけ、上着を羽織る。

 営業車は一台あまってたが、あえて自分の車に乗り込み、まず近くの便利屋さん事務所へ向かった。

 そこで便利屋さんが手配してくれた、引っ越し作業経験者の二名をピックアップ。ガッチリした学生さんだ。頼もしい。

 その場で電話を入れ確認してから、鎌田エイミのアパートへ向かう。そこにはやはり、俺の手配したアカキャップ運輸様の軽トラックと、ドライバーが待機していた。

 いいぞ、すべて予定通りだ。

「よし、積み込みを始めてくれ!」

 キビキビと搬出、荷台に積み付けを始める二名に俺は慎重に指示を出した。あくまで、俺の私物だけを持ち去る。下手に高いものや家電を乗せちゃうと、あの女は地の果てまで追ってきそうだからな。軽トラックで十分だ。

 搬出と積み込みが終わり、俺はドライバーさんへ改めて住所を確認。俺の実家だ。そこにとりあえず私物を搬入する。もたもたと賃貸を借りているとあの女に感づかれかねなかった。なので次善の策だ。

 おふくろは驚いたようだが、親父にはコッソリこういう可能性をほのめかしていたので、ひとまず荷物は収められた。

 こういうとき、男親というのはホントに良いものである。

 ドライバーと学生さん二人にお心づけを渡して、彼らは解散。

 オーケー。移送は終わった。俺はさらに電話をかける。


「もしもし」

 女性の声。社長の奥方かな。

「もしもし。お世話になってます。営業課の平田と申します。社長へお取次ぎを願います」

 ……しばらくして、ほかでもないポンコツ当社の社長が出た。 

 俺は、これから直接うかがう事と夜分になることを詫びてから、アポイントが有効であることを再度、確認した。

 社長はやはり何の用件なのか、いぶかしげだった。

「とにかく、話を聞く。それほどにまずい事態なのだろう。気を付けて来なさい」

 との言質げんちをとった。十分だ。

 

 この社長の家が、結構遠い。

 高速に乗って走らせていると、夕闇が濃くなってくる。

 時計をみる。すでに定時を過ぎている。けっこう時間がかかってしまったな。

 今日は、客先から直帰した事にしよう。珍しくもない。

 俺が懸念するのは……もぬけの殻になったエイミの部屋だ。といっても俺のモノしか消えてないが。

 さて、単調な高速道路。眠くならないよう注意しなければ。

 などと思っていたが、その心配はなさそうだった。気持ちが高ぶっている。ドラマの夜逃げみたいなことを、実際にしたせいか。

 いや。

 ついにあの女と手を切り、今日までの重荷を社長に洗いざらい吐き出すのだ。ほらね、いくらなんでもトップに汚職を訴えたとなればさ。俺にも酌量の余地があるだろう。すごいあるだろ。

 そして佐山くんも、きっと目が覚めるだろう。


 そろそろ高速を降りなければ。というところで、ケータイが鳴った。どうせエイミだろう。帰宅してる時間だ。無視する。

 鳴りやまない。無視する。

 鳴りやまない。また着信、鳴りやまない。まぁ、出てやるか。

「もしもし? なんだ」

「ねえ! なによこれ? 何で急に消えてるの!」

 んん?

「いや、俺のモンしか持ち出してないぞ」

「そういうことじゃないの」

 俺は下手に笑わないよう必死だった。じつは彼女は彼女で、俺に未練があったのか?

「じゃ、どういうことだ」

「嘘つき。一生離さないって言ったじゃん」

「ま、離さないで、と言われたからな」

「じゃあ嘘だったの?」

「そういうのはな、売り言葉に買い言葉だ。ま、あの男と仲良くな」

「なんで佐山が出てくるのよ! なんのことだかわかんないよ!」

 俺は〝あの男〟とは言った。

 が、佐山くんだとは一文字も言ってないぞ。語るに落ちている。

 いま、振っている振られているのは俺と彼女、どちらなんだろう。そう思いかけた。が、感傷に流されていい状況ではない。

「まあその、なんだ。じゃあ、わからなくていいじゃないか。恋愛なんて理屈じゃない。あばよ」

「ちょっと待っ」

 俺は通話を切った。以後も電話が鳴りまくったがすべて無視した。

 ああ、未来はバラ色。


 俺は職場兼書斎、かつ応接の様なソファーに通された。

 社長にむかって、洗いざらいしゃべった。

 鎌田エイミの着服。取引先担当との癒着。不適正な経理処理と、管理監視体制の不備。そして自分自身が、数カ月それを黙認してしまった自責の念。その謝罪。

 自分で驚くぐらい、冷静かつ着実に舌がまわった。話すごとに背中の重荷が落ちていった。

「そうか……よくわかった。よく話してくれたな。誰も君を責めない。なにかあったら遠慮なく私に言ってくれ」

「社長……。ありがとうございます。本当に」

 零細でも、やはりこの人はトップなのだ。俺はちょっと感動した。

「しかしそのう、このコトはだな。きみからは誰にも話さないでくれないか」

 えっ? 

 今なんつった。

「は、ハイ? ソレハ、ドウイウ」

 俺の返事は、もろに裏返った。

「いやその、鎌田くんはまだ若い。その将来を潰すのは忍びないしな。つまりその……なんだ。こう、キミも男なら分かるだろう」

 いや何をどうわかればいいの。

「ほら私もな、既婚者だし。だからこう、マズいんだ。騒がれて、妻に知られても困るんだ。はは、キミも男ならわかるだろ?」

 俺は眩暈を感じた。景色が一転しそうなほど感じた。

 失神を、なんとか耐えた。

 ああ……あの女。社長とも関係持ってやがったのか。舐めてた。

 あれ? じゃあもう俺の活路、ないような。無い……無いな。

 辞めよ。そうだ、退職届書こ。そうしよ。

 封筒がないや。帰りにコンビニで買おう。

 佐山くん、俺にちゃんと離職票くれるかな?

 アハハ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日の俺は何と言われようがはなすもんは話すし離す 秋島歪理 @firetheft

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ