不器用な遠藤君
奈那美
第一話
ぼくには三分以内にやらなければならないことがあった。
いや、三分以内でなくたってもよいのだけれど。
たとえば五分だって一分だってかまわない、ただそれだけ急いでやらないといけないというだけなんだ。
ぼくがやるべきこと、それは恋心を告白すること。
ぼくの目の前にはクラスメイトの安藤さんがいる。
笑顔がキュートな……笑顔でなくても可愛いけれど。
──ぼくの片思いの相手だ。
そしてぼくは彼女が、叶う見込みが薄い恋心を抱いていることを知っていた。
知っていたというより気づいていた。
そして、その恋心が潰えたことをたった今知った。
このタイミングだったら……ぼくの恋心を受け入れてもらえるんじゃないかな?
淡い期待が体中を駆け巡った。
ぼくの心臓は、まるで全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのようにドドドドドドドドドド……と激しく脈打っていた。
だから、つい言わなくてもいいことを言ってしまったんだ。
『……ぼく、気がついていたんだ。安藤さんが新川さんのことを好きでいること』って。
安藤さんはびっくりしたような顔をしていた。
そりゃそうだよね。
気づかれているなんて、それもほとんど話したこともないぼくに気づかれているなんて思わなかっただろうから。
だから、意を決してうちあけた。
『ぼく、安藤さんが好きで、ずっと目で追ってたから──だから気がついたんだ』
言ってすぐに後悔した。
ぼくみたいな陰キャ(自分でもわかってるよ)から急に告られるなんて迷惑だったんじゃないか?
というかずっと目で追ってたって……まるでストーカーじゃないか?
結果は……もちろん『ゴメン』だった。
でも彼女はぼくに持っていたチョコレートの箱を差し出して言ってくれたんだ。
『友チョコ、どうぞ召し上がれ』って。
よかった……ストーカー扱いされなくて。
それに少なくとも友だち──クラスメイトの範疇だとしても──と認めてはもらえたんだ。
ひと粒もらったガナッシュチョコは甘くておいしかった。
じゃあ……と帰ろうとした時に、突然担任の森口先生が教室に顔を出してぼくたちに手伝いを頼んだんだ。
先生からの頼みって、なんだか断りづらいんだよね。
だから陰で『先生に取り入るのが上手い点数稼ぎ』だのと言われてるんだけど。
安藤さんはショージキ迷惑そうだった。
このままだと、きっと彼女はひとりで帰ってしまう。
だから先回りして『安藤さんも、大丈夫だよね』って言ったんだ。
ふたりで手伝ったら、もう少し一緒にいられると思ったから。
その判断はぼくにとってラッキーだった。
少しのアンラッキーもあったけれど。
アンラッキーは、安藤さんが片づけの際に木枠にできていたささくれで指をケガしてしまったこと。
ぼくが誘わなかったらケガしなくて済んだのに……。
ラッキーは、常備していた絆創膏を貼ってあげることができたこと。
いつも面倒見ていた甥の陽介に感謝するよ。
しょっちゅう転んで怪我する陽介のために持ち歩いてた絆創膏だから。
そしてもっとラッキーだったのは、学校から駅までの短い距離だけど安藤さんとふたりで帰ることができたこと。
ほとんど話さないまま歩いたけれど、それでも嬉しかった。
きっと……こんなチャンスはもうこないと思うから。
駅について安藤さんに『また明日』って言ったら、彼女も『また明日』って返してくれた。
こ線橋を渡ってぼくが利用するホームについた時には、向かい側の列車は発車した後で、ホームには安藤さんの姿はなかった。
列車に乗り込んでシートに座る。
向かい側の座席に座っているサラリーマン風の男性が読んでいる雑誌の表紙が目に入った。
【住宅の内見にはこれが便利!マストアイテム特集】
住宅の内見というものがどんなことをするのかは知っていた。
でも実家住まいの自分には、当分は関係がない。
だけど……就職したら独り暮らしするかもしれないし、内見を経験する日も来るんだろうな。
就職かぁ。
いつかは結婚することもあるんだろうか?
ふと、安藤さんの顔が頭をよぎった。
(いや、ないないないない……)
「あ……」
ふと、ある考えが頭をよぎった。
安藤さんにとって、あのことはスゴイ秘密にしておきたいことで。
きっと、誰にも話さないでって思っているだろうな。
もちろん誰にも話すつもりはないけれど。
……マンガなんかだと校舎裏に呼び出されて『お願い!あのことは誰にも話さないで!』って拝まれるパターンだな。
そう気がついて、今まで読んだラブコメの色んなパターンを思い出しているうちに駅に着いた。
(そんなマンガみたいな展開、現実にはあるわけないけどね)
翌朝、それでも微かな期待を胸に抱いて登校した。
──もしかしたら、安藤さんが早朝登校して靴箱にメッセージとか入れてくれてるかも。
だけどその期待は、空振りで終わってしまった。
教室について自席に座る。
読みかけの小説を読んでいると、安藤さんがクラスメイトとあいさつを交わす声が聞こえた。
「おはよう、遠藤君。悪いけど、これ飲んでくれる?」
突然の声とともに差し出されたのは、飲料の紙パック……バナナミルク。
密かにぼくのお気に入りなんだけど、どうして安藤さんが?
ぼくが口を開く前に、安藤さんが答えを教えてくれた。
「昨日のお礼、と言いたいところだけど。こっち買おうと思ったら間違えて隣のボタン押しちゃったの……前に飲んでるの見たことあったから、よかったら飲んで?」
そう言って手にしたイチゴミルクのパックを見せてくれた。
「あ、ありがとう」
とりあえず、受け取ったバナナミルクをカバンの中に入れる。
安藤さんは、そのまま新川さんたちのところに行っておしゃべりを始めたみたいだった。
何事もなかったようなふりをして小説に目を戻したけれど、正直言って内容はひとつも頭に入ってこなかった。
心臓の音がうるさい。
───リンゴ色になっている
急に安藤さんの声が耳に入った。
声がしたほうを見ると、安藤さんの前で新川さんと高橋さんが真っ赤な顔をしてもじもじしてる。
そういえば新川さんは加藤君に告白してOKもらえたって聞いたけど……だとしたら高橋さんも誰かに告白してOKもらえたのかな?
そのまま見ているわけにもいかないので、視線を元に戻した。
あの三人、仲良しでいつも一緒にいるけど。
三人のうち二人に彼氏ができたら、安藤さんは一人になっちゃうじゃないか?
安藤さんにも彼氏ができたらいいのに……ぼくじゃダメみたいだけど。
昼休みになったので、ぼくはお弁当と読みかけの文庫本を持っていつもの場所に移動した。
いつもの場所──屋上へ続く階段を上りきったところで、ぼくのお気に入りの場所なんだ。
屋上の扉は施錠されているから誰も来ない。
少し寒いのを我慢すれば落ちついて昼休みが過ごせるからね。
床に座って壁にもたれて、母さんが作ってくれたお弁当を食べる。
食べ終わったころ、誰かが、それも複数の人が上がってくる足音がした。
ここまで上がってくるのかな?
そしたら、教室に戻るしかないのかな?
そう考えていたら足音はすぐ下の踊り場で止まった。
ホッと胸をなでおろしたら、声が聞こえてきた。
「うっわ、思ったより寒いね」
新川さんの声、だ。
「ほんとほんと」
高橋さんの声も聞こえる……としたら、安藤さんもいるんじゃ?
このままここにいたら、三人の会話が聞こえてしまう。
わざとじゃないとしても、盗み聞きってことになってしまう。
早くここを出て教室に───そう思って立ち上がろうとした時に安藤さんの声が聞こえた。
「寒いから、サクッと教えてね?昨日のこと。そしたら教室に帰るから」
あ……すぐ済むのかな?
寒いから、きっと早めに話を切り上げて戻ってくれるよね?
それを待った方がいいかも、そう思ったぼくはじっとして息を殺した。
階下からは昨日の放課後の報告がされているらしい。
新川さんだけでなく高橋さんの告白も成功したんだ。
それはそれでいいこと……だと思う。
でもそれって、ぼくが心配していたことが現実になったということじゃないのかな?
三人の会話は思ったよりも長く続いている。
「ホントに好きな人とかいないの?」
新川さんの声だ。
「いないよぉ。チョコ買いに行った時にも、そう言ったじゃない」
安藤さんが答える……彼女の内心を思うと、聞いているぼくの方がつらくなってきた。
「あ……加藤君から。教室に来たけど姿が見えないからって。ゴメン、先に戻るね」
新川さんが去っていく。
校内では極力使用しないこととなっているスマホに連絡が入ったらしい。
確かにこういう時は使用しないとね。
広い校内を探し回るのって時間の無駄だし。
「ごめん。斉木君から呼ばれちゃった……一緒に教室帰る?」
高橋さんもスマホに連絡が来たみたいだ。
安藤さんが何と答えたかはよく聞こえなかったけど、高橋さんが笑いながら階段をおりていく。
「彼氏、ね」
安藤さんがつぶやく声が聞こえた。
「好きな人とか、言えるわけないじゃない」
次の瞬間、ぼくが抱えていた文庫本がすべって床に落ち、カタンと音をたててしまった。
ヤバい!
「なに?何の音?」
安藤さんの声が聞こえる。
仕方がない……ここまで彼女が来る前にぼくの方から出て行った方がいい。
ヨイショと小さく掛け声をかけて立ち上がり、手すり越しに踊り場を見下ろした。
「遠……藤君?ずっと、そこにいたの?私たちの話、聞いてたの?」
安藤さんが驚いたように言う。
ぼくはお弁当と文庫本を持って、安藤さんのところまで下りていった。
「ごめん……聞こうと思って聞いてたわけじゃないけれど。──ぼく、いつもあそこで昼休みをすごしてるんだ。そうしたら安藤さんたちが来て。ぼくがいることを伝えるタイミング逃したまま……」
そう言った。
だって、本当のことだったから。
「ううん、遠藤君は悪くない。ちゃんと誰もいないか確認しなかった私たちが悪いんだよ。ごめんね、寒かったでしょ?」
安藤さんは、ぼくが話を聞いてしまったことを怒りもせず、むしろ心配してくれた。
「寒さは大丈夫だけど、なんか聞いてちゃいけない気がして。物音を立てないようにするのが大変だったかな」
そう答えたら、安藤さんはププッと吹きだしてくれた。
つられてぼくも笑っちゃったけど。
「あ~じゃあ、最後のひとりごとも聞かれちゃったわけか。でも、まあいいか。遠藤君は知ってることなんだし」
安藤さんが言った。
あのこと……秘密の恋心。
安藤さん……誰にも言えない想いを抱えて、苦しいのかもしれない。
そう思ったから、つい言ってしまったんだ。
「そのこと、なんだけどさ。もしも、もしもぼくで構わないんだったら、相談に乗るよ?相談というか……愚痴を聞くというか」
言ってすぐに後悔した。
これで二度目じゃないか。
もう少し考えてから言えよ!自分!!
安藤さんも困った顔をしてるじゃないか。
「でも、それは悪いよ。遠藤君の気持ちを利用することなるもん」
え?予想外の反応?
てっきり『それ、さすがにキモいからやめてくれる?』って言われると思ったのに。
予想外の反応に、ぼくは言って後悔第三弾をしてしまった。
「ぼくは、それでもかまわないよ。もちろん、無理に聞こうというんじゃないんだ。もしも、どうしても誰かに言いたくなった時が来たらって思ったから。誰かに言うことでモヤモヤが晴れるならって」
それに対して安藤さんは、こう答えてくれた。
「それは、そういう時が来るかもしれないし。聞いてもらえたらスッキリするかもしれないけど。それって、遠藤君にとってはどうなの?自分をフッた人の恋の悩みを聞くことになるんだよ?」
うん、冷静に考えたらそうだよね。
でも、ぼくは安藤さんが辛い想いをため込む姿を見たくなかったんだ。
だから言ってしまった。
言って後悔第四弾。
「ぼくは、いや、ぼくがそれでいいんだ。安藤さんにはいつも笑顔でいてほしいから。笑顔の安藤さんが好きだから」
安藤さんは困惑した顔で、だけどこう言ってくれた。
「……ありがとう。あまえて、いいのかな?」
安藤さんが、ぼくの申し出を受け入れてくれた!
「もちろん。あ、でも話を聞くなら連絡先……」
ぼくがメールアドレスを書くためのメモを探していると安藤さんが言った。
「今、スマホ持ってる?」
「持ってるけど……え?スマホの連絡先、聞いちゃっていいの?」
びっくりして、ぼくは問い返した。
だって……スマホの連絡先だなんて。
「そりゃ、スマホじゃなかったら何を教えればいいの?家電ではできない話だし」
いや、それはそうなんだけど。
「いや、ほら。タブレットでメールとか」
「メールでもいいけど、文字打つよりしゃべった方が早いときもあるから……はい、このアプリ、いれてあるよね?」
それは一番メジャーなSNSのアプリで、ぼくもインストールはしてあった。
「うん」
ぼくは滅多に使わないそのアプリを立ち上げて、安藤さんがスマホ画面に表示してくれたQRコードを読み込ませた。
ピロン♪
電子音がして、友達追加の表示が出た。
「友申完了。……ありがとう。どうしてもって時は頼らせてもらうね」
安藤さんはにっこり笑って、階段を下りていった。
後姿を見送るぼくの心臓は、またもやバクバクと音を立てていた。
いや、ウソだろ?信じられないことが起こってる?
スマホの画面を見るとちゃんと名前が表示されている──里穂──名前で登録しているんだ。
このまま、変更しないでもいいよね?うん。
連絡……くれることってあるかな?
いや、連絡があるときは彼女が悩みをためている時なんだから来ないにこしたことはないけれど。
──彼女の無色透明な笑顔が曇る姿、見たくないもんな。
うん、とひとつうなづいてぼくは教室に戻るために階段を下りた。
教室に向かって歩いていると向こうから女子がふたり歩いてくる。
あれは確かクラスメイトの松本倫子さんと渡辺みはるさんだ。
こっち側に来るということは、図書室にでも行くのだろうか?
ふたりの会話が聞こえてくる。
「里穂ってさ、案外ノリが悪いよね」
「だよね~。さっきもおカタイ発言だったしね」
「オトコ見る目も結構『お真面目』だったりして……有紀と佳織には彼氏できたけど里穂にはいないんでしょ?」
「うん、いなかったと思う。と、いうかさ、理想とかすごく高そう……どんな人が彼女の『おメガネにかなう』のかな?」
すれ違ったあとでふたりがキャハハハといった笑い声をあげていた。
いいよ、わかってる。
どうせ『今すれ違った遠藤君とか……ありえな~い』って笑ったんだろう──きっと。
いいんだ、それでも。
ぼくには、スマホの中に宝物をもらったから。
ポケットに手を入れる。
(彼女のお守りになれたらいいな)
そう思いながらポケットのスマホを握りしめた。
不器用な遠藤君 奈那美 @mike7691
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