第十話 『女神様の卵という意味』
新たな自室になった部屋の窓には、午後を過ぎた時間特有の暖かな快晴の空が広がっている。
そこから下を眺めると、そこは王城の庭園。
美しい木々で装飾された庭園の歩道には沢山の人々が何かの順番を並んでいて、その庭園の歩道の先には噴水広場と呼ばれる大きな開けた空間があった。
中央の美しい噴水の前には即席のテントと、献花台。
それと無数の棺の数々だった。
つい独り言が漏れてしまう。
「はぁ…… やっちゃった……」
庭園に並ぶ、泣いて謝る気も起きない程の、無数の犠牲者。
たとえ私が涙を流して謝罪しても、今更もう取返しのつかない程には数えきれない程の棺が庭園に並んでいる。
あれのすべてが、昨日の私に踏み潰された人々。
昨日、あの軍用ナイフを持ったメイド姿の暗殺者を衛兵に突き出した際、まるで恐ろしい化け物を見るような様子で対応している衛兵の様子を見て、この大きさだから怖がられているのかな、なんて思っていた。
だが、それでも、あまりの怖がり様の衛兵の様子に少し気がかりになり、ふと足元を見たのだ。
そこにあった光景。
それは私が履くハイヒールの無数の足跡と、その中で潰れている無数の死体の数々。
それを見て、私は初めて自身の起こした惨劇を理解した。
小さな虫の様に無残に踏みつぶされた無数の死体をみて、私は「ああ、もう引き返せない事になった」と。
私は大罪人として牢獄に入れられると覚悟したが、待っていたのは普段以上に豪勢なもてなしだった。
大勢の人々が私の機嫌を取りに来る様子は、さながら王女どころか皇帝陛下への謁見と言わんばかり。
沢山の貴族が私の好みを伺い、それを元に大量の調度品を、その日の内に持ってきたのだ。
私は、そんな貴族たちの様子に、本当に意味が分からなかった。
だって、考えてみてほしい。
大量に人を殺した殺人犯を相手に、皆が冷や汗を流しながらニコニコと機嫌を取りに来る姿って、どう考えても意味不明だ。
普通なら牢屋に入れられ、そうして死刑囚としての人生がこれから始まる筈なのに、今の私はルナリア王国の王女どころか、無数の大陸を領土に持つ大帝国の皇帝のような扱い。
溜息をついて窓から離れ、真っ赤なソファーに座る。
そんな私を見計らった様子で、目の前の背の低いテーブルにメイドたちが紅茶と軽い菓子を用意した。
そのメイドたちの表情は、恐ろしいマフィアのボスを前にしているような表情だ。
まるで些細なミスで簡単に殺されると言わんばかりの、そんな使用人たちの表情。
背の低いテーブルに置かれた美しいティーカップの紅茶を持ち、啜る。
本当に、この扱いは何なのだろうか。
心を落ち着ける為に紅茶を啜っていると、この自室にメイド長が入ってきた。
そんなメイド長も例にもれず、恐ろしい存在を前にした様子の表情で私を見ている。
メイド長は私の横に立つと、言う。
「恐れ多くもシルフィーナ様、オルドラ様がお呼びです」
お父さまが私をお呼びらしい。
まあ、理由なんて一つしかないか……
ソファーから立ち上がり、メイド長に「わかりました」と言った。
○○
長い廊下を歩いた先、先導するメイド長に連れてこられたのは、お父さまの執務室。
メイド長が扉をノックし、中からお父さまの「入れ」の言葉が聞こえてきた。
その言葉にメイド長は扉を開け、私はそれに続いて執務室に入る。
執務室には沢山の書類と本棚、そして、お父さまが席についているのは大きな執務机。
そこに座る、お父さまの私を見る瞳は、何処か私を品定めしているような瞳だった。
メイド長が、お父さまに言う。
「恐れ多くも、偉大なるシルフィーナ様をお連れ致しました」
「わかった」
お父様の言葉を聞き、メイド長が一礼して退出する。
パタンと私の背後から扉が閉じる音がし、そうしてお父さまと無言で見つめあう。
しばらく私を見つめていた、お父さま。
やがて、お父さまは執務机に両肘をつき、両手を握って静かに言った。
「シルフィーナ…… 君は、まだ俺の知るシルフィーナか?」
その短くも、おそらく深い意味であろう、その問い。
私は…… まだ私はシルフィーナのままなのだろうか……
お父さまの言葉に、自然とうつむいてしまう。
そんな私に、お父さまは何処か安心した様子で溜息を吐いた。
「はあっ…… そうか、安心したよ。どうやらシルフィーナは、まだ俺の知るシルフィーナみたいだ」
そう一人で安心するお父さまに、私はうつむいたまま問いかける。
「こんな私を、なぜそう言ってくださるのですか……」
「……」
私の問いかけに無言のお父さま。
そんなお父さまに、更に言う。
「あれだけの事を起こしたのに、本当に私は、まだお父さまの知るシルフィーナで居られていますか……」
もう、怖くてお父さまの目は見られない。
うつむいたまま、お父さまの目を見る為に顔を上げる行為が出来ない。
そんな私の言葉に、お父さまは静かに答えた。
「その言葉が出るって事は、まだシルフィーナは俺の知るシルフィーナだ」
その言葉に、私は勇気をだして顔を上げる。
お父様の顔は、優しく微笑んでくれていた。
な、なぜ?
なぜ、まだ微笑んでくれるのだろう?
あれだけの人々を殺した私を、何故お父さまは受け入れてくれるのだろうか。
微笑んでいるお父さまに聞く。
「私は沢山の人を殺した大罪人の筈です。なのに何故、私は牢の中に居ないのですか。本来なら牢に入れられ死刑台に登るのが普通の筈なのに、何故みんなして私を煽てて媚びへつらっているのですか」
私の問に、お父さまは満足そうな表情で頷く。
「本当に、俺の知るシルフィーナで良かった」
そう言うと、お父さまは私の疑問に答えた。
「それはね、シルフィーナ。君が女神様の卵だからだよ」
「それは、どういう……」
お父様の答えの意味が分からない。
私が女神族の卵である巨神族だから、何だって言うのだろうか。
疑問で返した私に、お父さまは続ける。
「言葉の通りさ、シルフィーナ。君は自分の立場をあまり理解していないようだね」
そう言った後、少し間をおいて、お父さまは私に諭す様に言い始める。
「シルフィーナ。君は、これからだんだんと女神様に近づいていくんだ。君の気持ちがどうであろうと、それは変わらない。それがどういう事か、今の君には理解できていないようだから言っておく」
お父さまは、そう言うと静かに続けた。
「君は、これから沢山の人たちの命を奪う事になる」
静かに、しかしハッキリした声色で、お父さまの口から出てきた、恐ろしい言葉。
その恐ろしい言葉が私の心の中で反響する。
そんな私を置いて、お父さまは続けた。
「君は巨大化のスキルを持った巨神族だ。どれだけ君が気を付けようとも、これから沢山の人々を意識することも無く殺めていく事になるだろう。そして、それに君はだんだんと慣れていき、きっと何も疑問に思わなくなる」
お父様の言葉は、まるで私が伯爵夫人の授業で知った女神メルナ様の話を聞いているかの様だ。
無意識に数えきれない人々を殺めて涼しい顔をしていたであろう様子が、その女神メルナ様の授業で受けた私の印象だった。
つまり、お父さまは私に「お前も将来は、そうなるんだぞ」と言っているのだろう。
お父様は、続けて言う。
「そんな君を止める事は誰にもできない。どれだけ君が恐ろしくても、周りの人々は君には逆立ちしたって逆らえない。だからこそ、これから君は沢山の人々から畏怖と恐怖の瞳を向けられ、必死に煽てる人々に囲まれるだろう」
お父様は、そう言うと私に静かに、優しく言う。
「だから俺は父親として言うよ、シルフィーナ。その今の気持ちを大事に持っていてくれると嬉しい」
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