第三四話 『長い旅路はレジャー気分』
エトワールヴィルへの大規模遠征が始まって数日。
快晴の空の下、小高い丘に座り、朝日に照らされながら草原を移動する外交旅団を眺めている。
私と外交旅団では、あまりにも移動速度が違いすぎる故に、今のようにある程度まとまった距離を移動しては外交旅団が追いつくのを待つといった事をしていた。
朝食を食べた後の心地よい日差しに照らされながら、食後の紅茶を嗜む。
「それにしても、ゆったりした旅ね」
個人的には結構な泥臭い旅を想像していたが、ここの所はあまり泥臭さは感じない。
まあ雨が降ったりしたら結構大変だが、別に濡れた所で巨神族として風邪などには罹らないし、この真っ黒なゴシックドレスも信じられない程の対汚れ性能と強度があるので、水にぬれて動きにくいぐらいで特に困る所は無い。
そんなこんなで紅茶を嗜んでいると、不意に足元に何かの感触を感じた。
「なによ?」
足元のハイヒールを見る。
そこには近くの森の木々よりも背丈が高いキマイラが、必死にハイヒールを殴っている姿があった。
キマイラと言えば、まだ十二歳の頃に、当時のゼレノガルスクの森で出会ったっけ。
その時はゼレノガルスクに強い魔物のせいで街道が魔物で溢れ、そのせいで街の全員が貧困にあえぐ事になった。
森に入ってキマイラと出会い、それが強い魔物だと思って逃げたキマイラを追いかけたら、赤いドラゴンと出会ったのだった。
そんな思い出深い魔物が、いま私の足を必死に猫パンチしている。
正直、痛くも痒くもない。
手元の紅茶を横に置き、足元のキマイラを摘まむ。
私の手の中でギャオギャオと情けない声を出して威嚇しているキマイラ。
全く、そんなに怖いなら最初から喧嘩を吹っ掛けなければよかったのに。
そういえば、キマイラの素材は高級品だったっけ。
只の本で読んだ知識でしかないが、キマイラは国宝級の薬の材料になったり、その肉は各国の王族に献上される程の味だとか。
手の中でギャオギャオと騒ぐキマイラの頭を摘まむ。
情けない声で許しを請い始めたが、正直わたしとしてはどうでもいい。
そのキマイラの首を軽くひねってやった。
痙攣して動かなくなるキマイラ。
念のためキマイラの全ての首を捻り、小高い丘から立ち上がって、ちんたらと歩く外交旅団の元へ向かう。
私が向かってくる姿を見てか、外交旅団の中心の一際豪華な馬車が私の下に寄ってきた。
中から初老の男性が出てくる。
たしか、この外交旅団の団長だ。
昔は冒険者ギルドのギルド長だったらしい。
「い、いかがいたしましたかな。メルナ様?」
少し怯えた団長の様子は無視し、私は彼を見やすいように膝をついて座った。
驚いた様子の団長。
全く、この外交旅団の団長をしているのだから、早いところ私に慣れてほしい。
口を開いて驚いた顔の団長に言う。
「さっき珍しい魔物を仕留めたの。 私が持っていても仕方ないから、あなた達に渡すわ」
そう言って、団長の目の前に死んだキマイラを投げ捨てる。
私にとっては小さすぎるキマイラだが、団長たちには巨大な魔物のキマイラ。
地面に落ちた衝撃からか、団長たちは踏ん張っていた。
やがて揺れは収まったのか、目の前に落ちた魔物を見て驚いた様子の団長。
「き、キマイラ……!」
「それ、あなた達の判断で好きにして頂戴」
そう彼に言い、立ち上がって先ほどの小高い丘に行き、再び座った。
先ほど置いた紅茶を手に取り、啜る。
まったくもって、心地の良い朝だ。
○○
目の前の山のような巨大な魔物を見て、この外交旅団の団長であるゲオルグは、自身の赤い瞳を見開き驚いている。
先ほど巨大なメルナから無造作に投げ与えられた、その巨大な魔物、キマイラを見上げてゲオルグは自身の赤い短髪の後頭部で腕を組む。
「すっげぇや……」
ゲオルグがそう言うと、ゲオルグが先ほどまで乗っていた馬車の中から青いロングヘアの少女が下りてきた。
目の前のキマイラを見た青いロングヘアで青い瞳の少女、この外交旅団にエトワールヴィルの使者として同行しているルーシーは、ゲオルグの目の前のキマイラを見て驚きながら聞く。
「ゲオルグ殿、これは……?」
「あー、なんだ。あれだよ。我らが女神メルナ様が、気まぐれで狩ったキマイラだな」
そんな返答をゲオルグから聞き、ルーシーはしばしキマイラを眺めた。
目の前のキマイラはゲオルグやルーシーたちの背丈の三倍はある巨大な魔物で、本来は国の威厳をもって国力を総動員しないと戦う事さえできない存在。
そんな国家の滅亡をかけて戦う魔物さえ、巨大なメルナの手にかかれば簡単に捻り殺される。
その事実を、まざまざと目の前で見せつけられているようだった。
驚き固まる二人に、後ろの騎士が言う。
「団長、どういたしましょう」
「あー…… まあ、この場で解体するしかないだろう。魔術師なら色々知ってそうだから、数人の宮廷魔術師と、解体の腕に自信がある奴を連れてこい。それと、そいつらを護衛する騎士が一小隊だ」
ゲオルグがそう言うと、部下は走り去っていく。
やがて解体に必要な人員が集まり、解体が始まるとゲオルグは馬車に戻った。
解体の様子を茫然と眺めるルーシーにゲオルグが言う。
「さあ、ルーシー嬢。後の事は彼らに任せて進みますぜ。」
「……ええ、わかりました」
「ただでさえ女神メルナ様と比べて我らは足が遅い。あんまり待たせて機嫌を損ねるような事があったら大変だからな」
「っ!? わ、わかってます……」
ゲオルグの言葉に、そう言ってルーシーはゲオルグが待つ馬車に戻った。
ルーシーが乗った事を確認したのちに、馬車は出発し、旅団の中心に戻っていく。
馬車の中の小窓をルーシーは覗き込む。
その窓枠には、巨大なメルナが小高い丘に座り、紅茶を啜る姿があった。
遠くに居る筈なのに、すぐ近くに居るかのような錯覚を覚える程に巨大なメルナの姿。
国の存亡をかけて戦うような魔物さえ簡単に捻り殺す、その圧倒的な存在を、ただルーシーは窓越しに眺めているのだった。
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