第三二話 『祖国を諦めた使者の少女』
エトワールヴィル使節団の代表、ルーシー・エトワールヴィルは困惑していた。
この世の全ての美術と財をつぎ込んだかの様な豪華絢爛な浴室で、その美しい水色のロングヘアを最高品質のシャンプーで洗浄されている今の光景は何なのだろうと、美しい水色の瞳を伏せ、頭の中で疑問が駆け巡る。
昨日、ルーシーは地獄を経験した。
まるで世界の全てを意のままに所有しうる権利を持っていると言わんばかりの、あの圧倒的な女神メルナ。
自分たちが逆立ちしても敵わないであろう、その圧倒的な破壊の女神であられる女神メルナの御前で、ルーシーたちは自分たちの立場を思い知らされた。
自身の非力さ、ひいては人類という種族の無力さを。
あの女神メルナが、その気になればルーシーたちの祖国は、いとも簡単に滅ぼされ、その歴史さえ無かった事にされるであろう。
大陸首脳会議は愚かな判断をしたと、そうルーシーは感じざる負えない。
あんな絶対的な破壊の女神を前にして、大陸首脳会議の諸王国の首脳たちは、本当に正気でいられるのだろうか。
そんな疑問がルーシーの頭に浮かんだ。
あの女神メルナを大陸首脳会議に呼びつける。
それはルーシー自身に課せられた使命だが、本当にそんな事が可能なのかと疑問は尽きない。
もし、それが不可能で、女神メルナは出席を拒否しましたと、そう報告すれば私はどうなってしまうのだろうと、ルーシーは不安を募らせる。
お父様は優しいお方だが、それ以前にルーシーは王族だ。
大陸首脳会議の重要な使命を失敗したとあれば、責任を求められて処刑されるかもしれない。
処刑されなくても、修道女送りなど、ルーシーには耐えられないであろう責任を取らされるであろう事は、ルーシーには目に見えていた。
そんな不安に押しつぶされそうなルーシーに、後ろから髪を洗う、この宮殿の美しいメイドが言う。
「そんなに根を詰めないでください。大陸首脳会議、でしたっけ? メルナ様なら受けますよ」
「なぜ、あなたはそう思うのですか……」
「なんだかんだ特別扱いされているみたいですし」
美しいメイドの言葉の意味に疑問符を浮かべるルーシー。
あの時、ハヴェルの必死の交渉も空しく、それはもう女神メルナは不機嫌を募らせに募らせていた。
それを考えても、女神メルナが考えを変えてくれるとは思えない。
ルーシーはため息をつき、後ろの美しいメイドに言う。
「あれだけお怒りになられていたのに、大陸首脳会議に出席なさるでしょうか……」
「多分ですけど、なされますよ。 なんたって、貴女たちが生きているのが理由です」
「……どういう事よ」
ルーシーたちが生きているから、大陸首脳会議は女神メルナは出席に応じる。
美しいメイドはそう言う。
恐ろしい言葉だが、それと同時に意味ありげな言葉だと、ルーシーは感じた。
ルーシーが美しいメイドに真意を問うと、それは恐ろしくも確かな理由があった。
「メルナ様、あれだけお怒りになったのに、貴女たちは死んでいません。だから、少なくともメルナ様にとっては大事な扱いを受けているって事です」
「まるで、普通なら死んでいると言わんばかりね」
「ええ、それはもう。メルナ様の機嫌を損ねると、私たちなんて、いとも簡単に捻り潰されますから。」
「っ!?」
「むしろ、あれだけメルナ様をお怒りにさせて、貴女たちが生きている事が信じられません。普通なら凄惨に踏み潰されてますよ。ここだけの話、実際に私たちは貴女たちの死体を清掃する準備をしていたぐらいですし」
「……そう」
美しいメイドの言葉にルーシーは言葉を詰まらせた。
女神メルナは、それほどまでに絶対的な支配者として君臨しているという事でもある。
大陸首脳会議の諸王国やルーシーたちは、女神メルナを隷属帝国の元首だと思っていたが、どうやら本質的には違う事を、美しいメイドの話で実感する。
おそらく、女神メルナは国家の元首ではない。
実際は隷属連邦の正式名称の名の通り、この帝国の全てが女神メルナの所有物であり暇つぶしの玩具程度の存在意義なのだろう。
恐ろしい、とルーシーは感じる。
この国では全ての国民の財産どころか、女神メルナの気分次第での生殺与奪の権を握られて生きているという事。
ルーシーは疑問に思う。
なぜ、この帝国の国民は、他国に逃げないのかと。
こんな地獄に生きるぐらいなら、他国に逃げてしまったほうが幸せなのに。
「なぜ、この国の国民は他国に逃げないのですか。普通に考えて、他国に逃げてしまったほうが、自由も安全もあるのに……」
ルーシーの言葉に、美しいメイドは軽く笑う。
「まあ、普通はそう思いますよね。でも、もうこの帝国に住む人は皆知っているんですよ。それがどれほど無意味かを」
「どういう……」
「メルナ様はね、只でさえ巨大であらせられますけど、実は更に巨大な姿になる事ができるんですよ」
「えっと、それはどういう意味ですか?」
あの巨大な女神メルナが、さらに巨大になれる。
どういう事なのか、まったく理解できないルーシー。
そんな彼女に、美しいメイドは説明を始めた。
この隷属帝国が一枚岩になった経緯。
つまり、この帝国の国民全てが経験した、絶望を。
「最初は隷属連邦も一枚岩じゃなかったんですよ? 各国を併合した当初、領地を治める沢山の領主たちが反旗を翻したんです。当然ですよね。よくわからない女神メルナ様とやらの為に全員が奴隷になりますなんて、誰もが嫌がる筈じゃないですか」
「それはそうよ。そんなの、普通は拒絶し戦う筈です」
「ええ、誰もが拒絶し戦う事を選びました。でも、そんな領主たちの街に現れたんです。巨大な、途方もない程に巨大な女神様が」
「……」
「整列した沢山の軍隊が、その女神様の一踏みで消え去りました。そして軍隊が居なくなった都市に圧倒的な力を見せつけて屈服させたのです。今でも覚えていますよ。私が住んでいた都市を丸々踏みつぶせる巨大なハイヒールが、都市の外壁すぐ横に落ちた時の光景を」
「都市を…… 丸々踏みつぶせる……?」
「そんな途方もなく巨大な女神様の圧倒的な力を、私たちの隷属帝国の国民は全員が見たことあるのです。そんな女神様を前に、どんな王国や帝国が敵うというのですか。だから、私たちは何処にも逃げない。むしろ、服従した上で毎日の生存の許しを請うた方が、むしろ長生きできますから」
美しいメイドの話に、ルーシーは一瞬何を言っているのか理解できなかった。
この隷属帝国の所有者である女神メルナは、都市を踏みつぶせる程に巨大になれる。
そんな話、信じられない。
いや、そんな話、信じたくない。
今回の大陸首脳会議の諸王国の首脳たちが、いったい何を会議に呼びつけたのかをルーシーは理解した。
今更ながら事の重大さに気が付く。
諸王国の首脳たちめ、何てことをやってくれたんだ、と。
こうなると、もはやルーシーは自身の命を思っているどころじゃないと、そう決意する。
今回の大陸首脳会議、何としてでも女神メルナが承諾しないように誘導しなくては。
そう決意するルーシーだった。
だが、そんな使命感に燃えるルーシーに、現実は何処までも残酷だった。
シャンプーを洗い流し、浴槽から出たルーシーを待っていたのは、この隷属帝国の執政であるロナウド。
風呂上りのルーシーに彼は告げる。
「ルーシー殿下。たった今、女神メルナ様から正式に大陸首脳会議への出席が承諾されました。これで諸王国の皆様との会合が実現いたしますよ」
たった今風呂から上がったというのに、ルーシーは血の気が引き極寒の気分になる。
もう、今のルーシーには、どうしようもない絶望に打ちひしがれる事しかできなかった。
「は、ははっ…… そんな…… はは……」
都市を踏みつぶせる程の巨大な破壊の女神が、祖国で開催される大陸首脳会議に出席してしまう。
そんな、あまりにも非情な現実にルーシーは、もはや乾いた笑いしか出なかった。
ルーシーは誰にも聞こえない程の小さな声で呟いた。
「ははっ…… は、ははっ…… あぁ…… 祖国よ…… どうか、安らかに……」
――――【あとがき】――――
・本文執筆も少しは感覚を取り戻してきた感じがします。それと、もしかしたらですが、この三章は五万文字を大きく超えるかもしれません。もしかしたらですけどね。
そんなこんなで、この小説を楽しんでいただければ幸いです。
・実は、なんですけど、今の段階で次回作の作成を頭の隅で考えています。なので、興味がある方はユーザーフォローをよろしくお願いします。
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