第61話
「美味しいんですよね、たまに飲む甘いお酒。お料理とも、このくらいなら相性がいいんです」
絃としては甘口のお酒は苦手なのだが、これはフルーティーさがやんわりしており、さわやかなのが飲みやすかった。
お酒の好みまで、いつの間にやら編集長に熟知されてしまっている。
いつかぎゃふんと言わせたいと思う気持ちがあったけれど、それもとっくのとうに消え失せてしまっている。
それよりも、美味しいお酒があったら一緒に楽しんで、そして彼を驚かせてみたいと思うほうが強い。
やっぱり、絃の気持ちはまっすぐ彼に向いているようだ。
「お料理と一緒にワインを持ってきてもらってもいいんですけど……今日は、僕のチョイスにさせてもらいました」
「美味しいです、これなら私でも飲めます」
「でしょう? それから、こちらのパテが絶品でして」
タイミングよく運ばれてきたパテに、編集長が目を細めた。
絃が嬉しそうにしながら頬張る姿を見つめていた編集長が、ほくろのある口元を開いた。
「実は先日、お見合いの話をされまして」
編集長の口から、「お見合い」という言葉が飛び出してきて、絃の心臓がドクンと跳ねる。
とつぜんしゃべり始めることには慣れていたのに、今まで出てこなかったタイプの話題で、心臓が縮まるような衝撃をうけた。
「……編集長が、お見合いですか?」
「ええ、まあ。そういうことです」
絃も、ついこの間、似たようなことを母親に持ち掛けられたばかりだ。近しい人ほど、同じような出来事が起こるのかもしれない。
デジャヴだなと思っていると、編集長はパテを塗り始めた。
「結婚をしていないということは、おさまりが悪いんでしょうね、この国は。じゃあ恋愛をしていればいいのかと言うと、そうでもない。困ったもんです」
編集長は珍しく困ったような顔をして、ブレッドにかじりついた。
「私も似たようなものです。それと、フレンチとなにか関係が?」
絃が首をかしげながら訪ねると、編集長は若干疲れたような顔でにっこりと微笑んだ。
「食事にいってきなさいと、両親から心づけをもらいました。お店はこちらをお勧めされました」
「え!? それはずいぶん強引ですね」
「さすが我が親です。ですが女性と行くようにとだけ言われましたので……」
そこで区切って、編集長は絃を見つめた。
「申し訳ないとは思いましたけれど、絃さんをお誘いしました」
なるほど、と絃は納得した。
「たしかに私は女性です。しっかり、理にかなっています」
絃じゃなくても、編集長のことだから女性の知り合いはたくさんいるに違いない。それでも、なんで自分なんだろうと考えていると、胸中を見透かされたようにふふっと笑い声が聞こえてきた。
「絃さんだからお誘いしたんです。正直、僕は絃さん以外の女性と食事をしたくありません」
「はい……?」
予想外の答えに急にパテの味がわからなくなってしまった。
今まで食べたどのパテよりも美味しかったのに、一瞬で味が消えてしまったように感じる。
「ですから、プライベートでは絃さんとしか食事をしたくないんです、僕は。わがままですかね?」
あまりにもド直球に言われて、絃のほうが混乱した。
すでに、パテのパの字さえわからなくなってしまっている。
「わがままというか……でもそれじゃ、お見合いの話が進まないですよね?」
いいんですよ、と編集長は首を横に振った。
「食の好みが合う人と食事をしたいんです。仕事中はいいですが、プライベートではそんなことしたくありません」
「気持ちはわかります……食事は美味しいものを食べたいです」
でしょう、と編集長は肩の力を抜いた。
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