第58話
「お見合いよ、お見合い。流行ってるじゃないの、お見合い結婚」
「流行っているかどうかは知らないけれど……なんで、いきなり?」
「父さんがソワソワしているのよ。私もね、絃がその気があるなら、お見合いもいいんじゃないかなって思ってて」
「待って、そもそも結婚とか今は考えられなくて」
絃は箸を持ったまま、食欲が失せてしまった。しかし母親はくすくすと笑う。
「そんな重たいものじゃないわよ。父さんの知人の息子さんが、絃にちょうどいいんじゃないかって話出ているの」
「はあ……」
絃は首をかしげた。
たしかに、恋愛をすっ飛ばして結婚してしまったほうが、色々な手間が省けるのかもしれない。
「背も高いし、イケメンなのよ。日本から出たことない人だけど、会社でももう係長だし、いいんじゃないかって」
「それを確認しに来たの?」
「だって、当事者の意思は大事でしょう? 勝手にこっちで話進めたら、絃は絶対に嫌がるじゃないの」
それに絃は渋い顔でうなずく。
「悪い話じゃないから、一度会ってみたら? 恋愛とか結婚は、あとからついてくるでしょう」
「そんな簡単な感じでいいの?」
「結婚なんて、タイミングとインスピレーションよ。かたっ苦しくいたら、結ばれる縁も結ばれなくなっちゃうわよ」
そうかもしれないけれど、と絃は言葉を濁した。
まず、笠井からの告白の返事が保留のままだ。
それに、編集長への気持ちも宙ぶらりんだ。
ここでさらにお見合いをしてしまったら、訳がわからなくなることは間違いない。
「恋愛結婚より、お見合い結婚のほうが上手くいくって言うしね。結婚してから恋に落ちるんですって。それだけ聞くとロマンチックよね」
母親は能天気で、絃はなんだか肩の力が抜けてしまった。
「あのね、母さん」
絃はモヤモヤした気持ちに、踏ん切りをつける時が来たのだと思った。
「……私、好きな人がいるの。たぶん……」
母親は予想に反して、いたずらっぽくにやりと笑う。
「この間会社の人に告白されて、今こうしてお見合いの話されて……どっちも、考えられないなって」
いくら笠井のことを考えようとしても、編集長のことばかり思い出されてしまう。
お見合いを持ち出されれば、ピリ辛こんにゃくを引き金にして、編集長の声が耳の奥から聞こえてくる。
(――真白といいます)
白い物を見ると、編集長を思い出す魔法に、ずいぶん前からかかっている。
赤ちょうちんを見ると、会いたい気持ちが騒ぎ出す。
それは、急に白ご飯に生卵と醤油をかけて食べたくなるあの衝動と似ている。
「多分、すごく好き。今認めなかったら、一生認めない気がするから白状するね。お見合いの断り文句としては不合格かもしれないけど、本当の私の気持ちだよ」
母親はいつの間にか箸を置いて、じっと絃を見つめていた。
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