第45話

「いけない、もうこんな時間……編集長、そろそろ夕飯食べます?」


 慌て始めた絃の様子に編集長は一瞬驚いてから、眼鏡の奥の目を細めた。


「僕も、一品つくってもいいですか?」

「もちろんです!」


 嬉しい申し出に、絃はコンロから遠ざかり、湯豆腐を怠の上のガスコンロで作り始める。台所からいい匂いがしてきて、しばらくするとニコニコしている編集長がやってきた。


 彼の手元の皿には、黄色いものが載っている。


「切り干し大根入りの、卵焼きです。お蕎麦と相性ピッタリです」


 味見に一かけら食べ、絃の頬が緩んだ。それからさらに編集長は、きのこ類を細か

く切って酢と塩で炒めたものを作ってくれる。


 見ている限り、非常に手際が良い。絃は安心して台所を彼に任せることができた。豪華な年越しのおつまみたちが、卓上に勢ぞろいする。


 天ぷらをグリルで温め、ゆでた蕎麦を用意する。たっぷりの汁を器によそい入れて居間に運んだ。


「いい時間ですから、そろそろ年越し蕎麦を食べましょう」


 絃が声をかけると、ぐつぐつと揺れる湯豆腐を見た編集長が、これ以上ないほど嬉しそうに目を輝かせた。


「僕もすごくお腹がすきました」

「冬はおこたで食べるのが一番おいしいです……そして、満腹で寝ると風邪をひくんですけどね。よく祖母に起こされました」


 懐かしい思い出とともに、絃もあたたかいこたつの中に足を入れる。編集長はこたつの心地良さに、うっとりとしていた。


「最高です絃さん。こんな年越しを味わえるなんて」

「まだ食べていませんよ。これからです、年越しは」


 いただきますと手を合わせ、今年一年お疲れ様ですとお酒の入った湯呑を合わせた。


 残してあった一升瓶の酒は、劣化するどころか甘みが増したように感じられる。心地よい温かさで、爽やかな味が喉をすり抜けていった。


 まず初めに、絃は編集長が作った卵焼きに箸を伸ばした。


 口に入れると、切り干し大根のやわらかい甘みがじゅんわりと感じられる。いい火加減で作られており、中は半熟でトロトロの卵の食感がたまらない。


「美味しい……切り干し大根って、万能なんですね」

「いろいろな料理に使えますよ。日持ちもするし、重宝します……キノコもすごく美味しいですよ、サッパリしていて」


 酢で炒めたきのこは、箸休めとしてちょうど良い。ごま油の香りが、薄味なのにパンチをきかせてくれている。


 いつか購入した年越し蕎麦は、実に美味しくゆで上がっていた。


 つるつるしこしこで、温かい汁に入れているのに、のびる様な気配がない。いつまでたっても食感が美味しい。


「お蕎麦に合うおかずって、意外とありますね……今日はキノコだけど、葉物系でも美味しそうだし、きんぴらとか、煮つけも美味しそう」


 絃がお酒を飲みほしながら呟くと、編集長も同感とうなずく。


「こってりもさっぱりも合いますね。卵系は特に相性が良いと思いますが、個人的には甘辛い肉巻きおにぎりとかも好きです」


 蕎麦だけだとお腹が減るが、おにぎりが一緒だと満足度が増すだろう。絃はおにぎりが食べたくなってきてしまった。


「さすが編集長。グルメ記事もサイトで掲載すればいいのに」

「そうですね、郷土料理の紹介ページを作る企画が上がってきていますから、そこに力を入れてもいいですね」

「私はレシピが載っていると、ついついじっと見てしまいます」


 自分が知らないおつまみが載っていたら、作り方を覚えようと必死になるものだ。美味しいお酒におつまみは、生活を豊かにする。


「でしたら、絃さんが作りたくなるような内容にしないとですね」

「楽しみにしています。絶対作りますから」


 ちょうどテレビのCMと重なって、居間に笑い声が響いた。画面から手元に視線を戻し、サクサクの天ぷらと蕎麦をすすった。


 編集長は年越しそばのいわれを話し始めている。耳を傾けるために、絃はテレビの音量を限界まで下げた。


「諸説あるんですが、長生きの意味を持つものが多いですかね。日本人は、季節の節目節目で、色々な願掛けを込めた物を食べます」


 日本人の料理に対する気持ちは、特出していると絃も思っている。


「食べることによってこれからの季節を楽しみ乗り切る、一種の境界線みたいになっていて、それで身体のスイッチを切り替えているように感じます」


 季節ごとに食べ物がこんなにも違ってくる、四季のある国に生まれてよかったと編集長は締めくくった。


 非常に満足なうんちくで、絃は小さく拍手を送りながら笑っていた。

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