第44話

 *



 約束した大晦日になると、編集長は絃の思っていた夕方よりも、だいぶ早く家にやってきた。


「いらっしゃい、編集長」

「こんにちは、絃さん。お邪魔します」


 編集長は珍しく小さなバッグを斜め掛けしている。絃がなんだろうと首をかしげると、ぱかっと開いて中を見せる。そこにはパジャマと歯ブラシが入っていた。


「寝るときは、きちんとパジャマを着たい派なんです」

「リラックスできますよね。どうぞどうぞ」

「年越しをご一緒する許可をくださり、ありがとうございます」


 編集長があまりにも嬉しそうに笑うので、絃もつられて微笑んだ。むしろ、嬉しいのは絃のほうかもしれない。


 一人暮らしの女子の家に上がり込んでくるなど破廉恥に思われそうだが、編集長に限っては野獣のやの字も見当たらない。


 美味しいお酒とおこた目当てに来ているのが明確だ。


 だからこそ、絃は編集長が家に来るのを承諾できた。


「編集長、お蕎麦の出汁の味みて下さい」


 荷物を置いて上着を脱いだ編集長に、絃はエプロンを渡しながら伝える。


 快く編集長はうなずいて、エプロンをつけてキッチンまでやって来る。おたまで汁をすくって味見をした。


「さすが絃さん、あの一回で、関東風のお蕎麦の出汁の味を覚えたんですか?」

「インターネットで調べつつ、味を再現できればと試してみました。なかなか難しいですね」


 いつも通りにする予定だったのだが、編集長の出身が関東だったのを思い出して急きょ調べて作ったのだ。


「素晴らしいです、ほんと、お蕎麦の出汁は醤油っぽいほうが好きなもので……気を使ってもらっちゃいましたね」


 すまなそうな口調とは反対に、編集長の笑顔のほっこり具合からして喜んでいるのは確実だった。


「売っていたもので悪いですが、ニシンの代わりに、天ぷらにしてみました。関東では、年越し蕎麦はニシンではないと聞いて。大丈夫ですか?」


 絃が天ぷらを見せると、編集長は拍手し始める。ほっとして、さらに夕食の準備をすすめた。編集長も手伝ってくれ、作業がはかどる。


 美味しものが好きだからか、三千円しか持たずに世界中を放浪していたからか、編集長の料理の手際はなかなか良い。


 サクサクと準備が進んでいき、あっという間に机の上にたくさんの料理が並べられていく。


「いいですよね、ちゃんとした台所。事務所のキッチンで料理するんですが、やっぱりこう、家で料理したいもんです」

「いいですよ、ここに来て作っても。私がもれなく食べます」

「それもいいですね。今度ゆっくりお邪魔して、手料理をお披露目しましょう」


 ちなみに、なんの料理が得意なのかを訊ねてみると、ロールキャベツだという。絃はびっくりして目を丸くしてしまった。


「好きなんですよ、ロールキャベツ。食べるのも、作るのも。料理しているなって気分になります。野菜とお肉が同時に食べられて、バランスもいい。それに、和風にもエスニックにも、洋風にもできる。味変していくと、無限に食べ続けられます」


「まあ、たしかに……美味しいですもんね、ロールキャベツ。おでんに入っているのも、冬に食べたくなります」


 それに編集長は小刻みに首を縦に振った。


「おでんといえば、大根は欠かせません。絶対に外してはいけない具材です」


 そこから二人しておでんの話に花が咲いてしまい、気がつけばとっくに空は暗くなっていた。

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