第八章 年一夜(としひとよ)の甘酒
第43話
師走とは、師匠が走るほど忙しいから師走なのだと、そんなことを聞いた覚えがある。
実際にはその通りで、師匠はいなくとも時間があっという間に過ぎていく。
みんながみんな忙しいと急くから、地球上の時計が進むのが早くなっているのだろう。そうでなければ、こんなに早く時間が過ぎるはずがない。
そんな忙しい季節も半ばを過ぎると、今度はすぐに聖夜の気配に満ちてゆく。気がつけば、すぐそこまでお正月が来ている。
もういくつ寝ると、お正月。
クリスマスの曲と同時に、お正月の歌までもモールやスーパーのスピーカーが流し出す。
日本人はなにかにつけてイベントが好きな民族だ。季節の変わり目を大事にする節があるのだろう。
宗教のイベントに関係なく、その時その時を楽しめるというのは、日本人独自の感覚に近い。四季を楽しむ、季節の移ろいを感じるといった、優れた感覚を持っているのだ。
心が豊かな民族だなと、絃はしみじみ思っていた。
一方で、年越しはどうしようかと考えながらスーパーの中を歩いていると、ぽろんぽろんと携帯電話の着信音が鳴った。
入り口付近に立っていたのもあって、すぐに身体を壁に寄せると絃は通話ボタンを押す。
『もしもし絃さん、梶浦です。唐突ですが、年末年始はお忙しいでしょうか?』
受話器から聞こえてきた声を聞くだけで、絃の心臓はぴょこんと跳ねる。
嬉しいという気持ちがじわりと広がっていくのを、もれなく絃は自覚し始めていた。
「こんばんは、編集長。忙しくないです。予定をどうしようか悩んでいたところで」
実際絃は、正月をどう過ごそうか本気で悩んでいた。素直に現状を伝えると、携帯電話越しでさらにかすれが目立つ声が笑う気配がする。
『では、年越し蕎麦を一緒に食べましょう。僕は絃さんのお家で、ゆっくりおこたに入りながら来年を迎えたいです。というのは、いかがでしょうか?』
法隆寺からのモツ鍋の時、編集長がすべてのお支払いをしてくれたため、なにかお礼をしたいと直接本人に相談していたのを思い出す。
つまり編集長のこの提案は、お礼におこたに入らせてくれという意味で間違いない。
「おこた……ですか。そんなお礼でよろしければ」
『そんなお礼がよろしいのです』
夕方すぎには絃の住む家に来られるということで、約束をして電話を切る。
日本に戻ってきてから、初めて年越しを誰かと一緒に過ごすことになった。絃は心なしか浮足立って、お正月に合うおつまみを作ろうと考えながら店内に入る。
店内はすでに華やかな雰囲気の食材が勢ぞろいしていた。みんながみんな、お正月を素敵にすごすために買い出しに夢中だ。
鮮魚コーナーまで行き、丸々一匹で売られている鯛の前で立ち止まる。
半身を昆布〆にして、半身を煮つけ、お頭は塩焼きにして余った骨で出汁をとってもいい。
食材にはあますところなんて一つもない。すべて恵みとして、大事にいただくことが、命を繋いでいく行為だとわかっている。
ウキウキしながら、しまい込んだ一升瓶のことも思い出していた。
編集長が置いていったものと、自分用のものと、並んで仲良くお留守番をしている。
お酒たちを引っ張り出さなくては。暴飲暴食をするつもりはないけれど、新年を迎えるにあたって、いつもよりもゆっくりたくさん飲みたい。
小躍りする勢いで食材を買い込み、しかるべき年越しに向けて、少々手料理を用意することにした。
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