第40話
時計はちょうどお昼過ぎで、これからまだお寺の中を見て回るとなると、さすがに腹ごしらえが必要だと感じる。
「食べましょう、私もお腹が空きました」
向かった先のお店で、法隆寺周辺の名物である竜田揚げを食べることにした。〈竜田川〉からもじって、町おこしの一環として竜田揚げを名物にしたのだ。
そんな理由もあり、お寺周辺には竜田揚げのお店がいくつもひしめき合っている。
カリカリに揚げられたきつね色の衣を見るだけで、絃はよだれが盛大に出そうになってしまう。
「あとはやっぱり、定番に柿の葉寿司ですかね……まあ、ここじゃなくても食べられますが」
柿の葉寿司ののぼりを見つけた編集長は、うーんと首をかしげる。絃は彼の手をぎゅうぎゅうと握った。
「柿の葉寿司は大好きです。食べたい」
「そうでしたか。一つ、絃さんの好物を知ることができました」
柿の葉寿司と竜田揚げを購入し、温かい店内で一休みすることにした。
出された料理は、言われなくとも一目で美味しいとわかる。
ここにお酒があればさらに最高だと思っていたのを見透かされたのか、編集長が笑いかけてきた。
「夕飯の時にしましょう、飲むのは」
今は我慢ですよと言われてしまい、制限されればされるほど、お酒が恋しくなってきてしまう。
しかし、言われたとおりに我慢することにした。そうすれば、夜には美味しいお酒が待っている。楽しみが増えるのはいいことだ。
「では、いただきます」
絃はまず先に、柿の葉寿司を食べることにした。選んだのは定番中の定番ともいえるサバとさけだ。
「うーん、やっぱり美味しい!」
柿の葉寿司は美味しいの一言に限る。
これは間違いなく、世の理の一つだと絃は思っている。古都に住む人々は、おそらく柿の葉で巻いた押し寿司が大好きなはずだ。
絶妙な力加減で押されているシャリは、食べ応えがあるのに口の中で程よくほぐれる。
酢のきいた魚たちが、なんとも絶妙な具合で味わいを広げてくれる。口に入れた時の、柿の葉のほのかな香りもたまらない。
これが、まずいわけがないのだ。
「では僕は、竜田揚げからいただきます」
「火傷に気を付けてくださいね」
編集長が揚げ物を食べている姿は珍しい。彼がかじった竜田揚げは、パリッと小気味のいい音を響かせた。
カリカリという音がずっと聞こえてくる。美味しいと言いたいのはわかるが、猫舌のため編集長は目をぎゅっとつぶっていた。
「私も食べたいです」
編集長から渡されたカップを受け取り、絃も竹串に刺さった鶏肉をほおばる。
バリン、という音とともに口の中がはじける音で溢れ、じゅんわりと鶏肉の旨味が噛むたびに押し寄せてきた。
醤油と生姜がきいているきつね色の竜田揚げ。やっぱりお酒が飲みたくなってしまうのは本能的なものかもしれない。
「これは、ビールがすすみますよ、絶対」
「絃さんがビールだなんて珍しい」
「ハイボールでもいいかも……」
完全に、仕事終わりのサラリーマンみたいなことを言ってしまう。もぐもぐ頬張っていると、次第になんだか愉快になってきた。
「レモンハイもありかもですね」
編集長のそれに、絃は大きくうなずく。日本酒でも絶対おいしいが、揚げ物と発泡酒の相性はいい。これは世の中の摂理と言ってもいい。
「美味しいですね、竜田揚げ」
最後の一つを食べ終わって、絃がしんみり呟く。編集長は同意しつつ口を開いた。
「日本人の食事のこだわりはすごいです。なんでも美味しくしてしまう魔法使いみたいなものです」
魔法使いという表現に、絃はほころんだ。
食へのこだわりが強いのは、食べ物から命をもらっているという意識が、日本人に備わっているからだろう。
いただきますは、食事への感謝の祈りだ。日本人に生まれて良かったと、絃はニコッとほほ笑んでいた。
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