第31話
プリンは甘くてとろんとしていて、すぐに舌先で溶けてなくなっていく。カラメルはビターなくせに甘すぎて、地獄割りで悔い改める必要がある罪深さだ。
お酒で甘みを流し込んだあとは、またもやプリンに手を伸ばしてしまう。そして地獄割りで悔い改めるということを繰り返す。
もうそろそろあがりで極楽に行ってもいいくらい、二人ともどっぷり飲んだ。
意外に相性が良かったプリンと日本酒のコーラ割りのおかげで、気がつけば、とっくに夕方は過ぎていて夜のとばりがおりている。
お腹がいっぱいというわけではないのだが、もう満足でこれ以上はなにもいらない気分だ。
「そろそろ帰りましょうか。今日は遠出しましたし、絃さんも疲れたでしょう。ゆっくりお家で休んでください。送っていきますよ」
「一人で大丈夫です」
「そうはいきません。僕が誘ったんだから、最後まで」
有無を言わない声音だったため、絃は頷いた。事務所の外に出ると、季節は冬になってしまったように感じた。
「そういえば、明日は紺暖簾のお店の日でしたね。絃さんは明日も飲みますか?」
「明日はやめて……いえ、飲みます」
じゃあ僕も、と言われて、結局会うことがすんなり決まる。
飲みすぎてしまったのだろうか。明日会わなければ、二度と会えないような気持になってしまって心細かった。
「僕は今、ずいぶんおセンチな気分です」
「私もです、編集長」
顔を見合わせると、どちらからともなく手を繋いで歩き始めた。
絃の手は外に出てからだんだんと冷えてきていたため、編集長の手に包み込まれるとあたたかくて心地好かった。
「地獄割りがイケナイんです。編集長があんなものをすすめるから、ちょっぴり寂しい気持ちになりました」
「申し訳ありません。あれは今後、この世に飽きた時にしましょう。地獄に落ちちゃいますからね」
くすくすと二人で笑いあいながら、寒くて薄暗い夜道を歩いた。
歩きながら、帰る家のことをぼうっと考えていた。あまりにもぼうっとしていたので、独り言のようにつぶやきが漏れた。
「今私が住んでいる家は、祖母の家でした。法律上の手続きをして、私が貰い受けたんです」
一人暮らしするにしては大きく、昭和の香りが残る家である。編集長はなるほど、とうなずいた。
「祖母がいた時は、温かくて大きくて居心地が良かったんですが」
絃は、一度だけホームシックになったことがある。
それは祖母の容体が悪いと知らされた時だ。海外での地位も名誉もステータスも棒に振って、すぐさま帰国した。
それからはずっと、日本で暮らしている。
海外で仕事をして生活し続けようと思っていた絃を、日本に引き寄せて縛りつけたのは、大好きな祖母の死だった。
そして祖母の残したものと彼女との思い出が絃を日本に留めている。
「ホテル暮らしの僕からしたら、羨ましいですよ。畳もあるでしょう?」
「あります」
「僕は畳で寝たいと思うことが多々あります。今の生活は縛りつけるものがなくて気楽でいいですが、碇のない船が、嵐で流されてしまうような感覚を持っています」
上陸する丘を求めているけれど、見つけたと思ったら流される。目と鼻の先に見える時があるのに、そこには踏み入れられない。そうして、気がついたら船の上で一人ぼっちで、海を渡っているのです。
編集長がぽつぽつと話す声は、絃の耳に心地よい響きとなって届いてくる。
話を聞いているうちに、ふうらふうらと、波の間を流される小舟の映像が絃の脳裏に浮かんだ。
「絃さんは縛りつけられていると感じているかもしれませんが、あなたは自由だ。少なくとも、僕よりずっと」
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