第25話

 日本人のわびさびも大事だとわかっている。がしかし、言葉や態度でしっかり示す諸外国のほうが、ストレートでわかりやすいと感じる。


 良い悪いではなく、おそらく好みの問題だ。生活様式や文化は、今の日本よりも海外のほうが絃の肌に合った。


 でも、それでも、日本食は恋しくて仕方なかった。


 日本食に恋い焦がれる気持ちが、無くなることはこの先一生ないものと思われた。ホームシックに一度もならなかったのに、絃は海外に行ってからずっと日本食シックだった。


 もうどうせなら、全部つるっとまるっと言ってしまおうと、絃は珍しく自分の経歴を話すことにした。


「高校からカナダで生活をして、大学まで行き、就職してヨーロッパにいたんです。帰国するたびに日本食が美味しすぎて、向こうに帰るのをためらっていました」


 その時から、学生時代から日本食の魅力には気付いている。

 お酒を飲めるようになると、日本酒の美味しさにも目覚めてしまった。


「だからずっと前から、お酒とつまみは大好きなんです」

「なるほど。でもたしかに、そうですよね。僕も結局食べたくなったのは、黄色いたくあんとお茶漬け、梅干しとわさび漬けでした」


 それに絃は目をぱちくりさせる。


「……ずいぶんオジサンなチョイスですね。たしか、放浪していたのは若い時だったはずでは?」

「お坊さんとでも言ってください。ヘルシーでいいじゃないですか」


 ヘルシーかもしれないが、お坊さんとは。絃はくすくす笑ってしまった。


「でも、私も味噌汁や納豆、梅クラゲとか食べたくなりましたよ」

「絃さんも人のこと言えませんね」

「好きですからね、お酒」


 日本で働くことになってからは、今まで食べられなかった分を取り戻すかのように和食に傾倒した。


 絃が帰国して三年たつ。


 そろそろ食べ飽きてもいいころなのに、日本の酒とつまみは、死ぬほど旨くてやめられない。むしろ、やめる時は死ぬ時だとすら思うほどわずらっている。


「味噌と納豆はギリギリ手に入りますけど、梅クラゲはちょっと見かけないですね。絃さんも、ずいぶん呑兵衛さんなセレクトです」

「お褒めいただき光栄です」


 ずいぶん話が弾んでいるなと思っていると、いつの間にか景色は山になっている。


 気がついた時には到着だと言われた。あまりにもあっけなくついてしまったように思えて、一時間もしゃべっていたのかと驚いた。


「ここ、古民家を改装してお蕎麦屋さんになっているんです」


 立派な建物に絃が趣を感じていると、中に行きましょうと編集長に袖を引っ張られた。


「僕はお腹ペコペコなんです。美味しいものの話をしていたから」

「いっぱい食べましょう。食べすぎて、眠くなっちゃダメですけど」


 土間になっているところから上がり込み、古い家の匂いをかぎながら席で待つ。

 温かい蕎麦が常套だが、からいというつけだれで食べたいので、絃も編集長を見習ってざる蕎麦にする。


「天ぷらも食べましょう。なにか飲みますか?」

「本当にいいんですか?」

「遠慮するなら、山にぽいってしちゃいますよ」


 絃はぎょっとして、オーダーを取りに来た女性に日本酒を頼む。

 ちらりと編集長を見ると、喜んでいるような顔つきだった。


「編集長はお酒飲めないのに、そんなにニヤニヤして……」

「いいんです。僕は、お酒を飲んで、美味しいものを食べている絃さんを見るのが好きなので。それに今日は、飲みに来たんじゃなくて、お蕎麦を食べに来たんです」


 前半部分の言葉が強烈すぎて、後半部分の声が入ってこなかった。


 薄々思っていたが、編集長は手練れじゃないだろうか。


 きっとそうに違いない。

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