1‐2 初恋の花咲く野外舞踏会
だだだだだ。
王の寝室から二つの控えの間と衛兵の間を一直線に抜け、アークトゥルスは自室に飛びこんだ。
「あら、アークトゥルス様。おかえりなさいませ」
寝台を整えていた侍女が嬉しそうに顔をあげた。
焦げ茶色の髪を三つ編みにし、頬にそばかすの浮いた童顔の少女は、名前をスピカという。
アークトゥルスに忠実に仕えている彼女は半年ぶりに帰還した主人のもとに駆け寄ったが、紙のように白い顔色に気づいて目を丸くした。
「まあ、とってもひどいお顔。お腹が空いておいでですか?」
「ば」
「ば?」
「……っかやろ――!」
アークトゥルスはそばにあった椅子のクッションを殴りつけはじめた。
「遊学のあとは結婚しろだって? もう話はまとまっているだって? 僕の意見なんか一つも聞かずになにもかも決めないでよ、ばか父上――!」
あまり王の悪口を言うと反逆罪……とスピカは心配したものの、アークトゥルスはそれ以上暴言を吐かずにひたすらクッションをいじめている。
同じ扉から、こっそりとシェルダンが顔を出した。なぜか可愛らしい花束を手にしており、顔色はアークトゥルスと似たりよったりだ。
「シェルダン様、おかえりなさいませ。あなたがついていながらアークトゥルス様になにがありましたの」
「縁談があったようです」
「あらっ。どこのどなたと」
「グラスランドの第二王女殿下だそうです」
「僕が結婚できるわけないじゃないか――――!」
アークトゥルスはますます興奮してクッションを振りまわす。
破れた縫い目から羽根が溢れだし、スピカの低い鼻にくっついた。
スピカは小さくくしゃみを洩らす。
シェルダンは花束を沈鬱な面持ちで睨んでいた。
「いよいよ進退きわまったときは、殿下を刺し殺して俺も死にます。それが唯一の名誉を守る方法ですから」
「そうしたらお二人は心中したって不名誉な噂が立ちますわよ」
シェルダンが肩を落とす。
ぺちゃんこになったクッションを抱きしめたアークトゥルスがスピカを振り向き、
「……スピカは魔女だよね?」
「人聞きの悪い。母が腕のいい治療師だっただけですわ」
「だったらお願い、僕を男にする薬をつくって! 苦くたって飲むし、なんでもするからもう――!」
「アークトゥルス様」
べそをかいている王子に近づき、スピカは大真面目に言った。
「なに?」
「無理です。女の子を男の子に変えたりできませんわ」
「……だよねえ」
そばで聞いていたシェルダンが、ますます深く肩を落とす。
アークトゥルスはクッションの残骸を引きずり、羽根だらけの椅子に倒れこんだ。
アークトゥルスはかつて、王女だった。
名前はアストライア。
アークトゥルス王子の一つ年下の妹として、無邪気に幸せに暮らしていた。
すべてが変わってしまったのは十年前だ。
都に流行り病が広がり、王と王妃は幼い子供たちを安全な田舎に避難させるつもりで馬車に乗せた。その途中で、土砂崩れに遭ったのだ。
降りやまない雨のなか、長い捜索を経てようやく見つかった子供は男の子の服装だった。
すぐさま都に『王子殿下ハ無事』の報告が送られたが――実は子供たちは二人とも、道中の安全を期して少年の衣服を着せられていたのである。
同じころ王宮では、病人の看護をしていたカシオペア王妃が倒れ、同時にオリオン王も流行り病に罹患してしまった。
二人が生死の境をさまようなか、続報はだれにも届けられず立ち消えになったらしい――助かったのは王女のほうで、世継ぎの王子は依然として行方不明である、と。
宮廷から王子の捜索を命ぜられていた騎士団長レギュルス――シェルダンの父親だ――は『生き残った王子だけはなんとしてでも守るべし』という命令を受けとり、ある決断を下した――王の危篤も噂されるなか、改めて世継ぎの王子までもが失われたと報告することがなんの益になろうか。
幸い、王子と王女の容貌はそっくりだ。
王女に王子としての振る舞いを叩きこめば、立派に身代わりを務められるだろう――せめて、本物の王子が見つかるまでは。
そのときから、アストライアはアークトゥルスになった。
(それから後も……気落ちして弱ってしまったお母様にほんとうのことは告げられなかったし、お母様が亡くなったあとはお父様が、王妃のあとがまを狙う女性たちを遠ざける言い訳に僕を使っていたから、ずるずるときちゃったんだよね)
兄王子の捜索はいまも行われているというが、さっぱり音沙汰がない。
ただの身代わりとはいえ、十年も王子の自覚を促されてきたため、アークトゥルス自身にも父王を支えたいという意思が芽生えていた。
「剣も馬も扱えるし、学問だって修めたのに。女だっていうだけで王子になれないのはおかしいと思う……」
常々考えていることを述べると、シェルダンが力強く同意した。
「アークトゥルス殿下はご立派な王子殿下です」
「そうですよ。ただ、女性と結婚できないだけですもの」
それが大問題なのだ。
アークトゥルスは椅子に沈みこんだ。
スピカが手早くお茶を淹れ、湯気の漂うカップをアークトゥルスに差しだす。
カミツレの香りが疲れた心に優しかった。
「それで、縁談にはなんてお返事をなさいましたの?」
「男として自信がないって言った……うー、屈辱だよ。デネボラに笑われるし、父上にはどこか悪いのかって心配されるし」
「殿下はまったくの健康体だと俺が証言しておきました」
シェルダンがきっぱりと言う。あらあら、とスピカが目を丸くして、
「どうしてシェルダン様がそんなことをご存じなのかって、大騒ぎになりませんでした?」
「デネボラの取り巻きが悲鳴をあげていたけれど。なんで?」
アークトゥルスが女の子好きなわりに特定の恋人をつくらない理由を、宮廷の女性たちは王子が従者のシェルダンといい仲だからに違いないと勝手に推測しているわけだが……健康的な王子とお固い騎士の耳にはやはり届いていないらしい。
「なんでもありません」
と、スピカが笑い、アークトゥルスの乱れた髪を撫でつけたとき、外で大きな炸裂音が響いた。
窓枠が震える。アークトゥルスはびっくりして身を起こした。
「なに、なんの音?」
大砲の音のようだが――シェルダンが窓を大きく開けた。
「殿下を祝福しているのですよ。城下の祭りがはじまる合図の、のろしです」
「都を挙げて、アークトゥルス様のお誕生日をお祝いするんですわ。毎年のことではありませんの」
スピカがおかしそうに教えてくれる。
アークトゥルスは首を竦めてお茶をすすった。
「そういえば、城下にたくさん人が出ていたっけ――色とりどりのテントはお祭りのためだったんだね。お祭りって、どんな感じなの?」
「屋台が出ています。非番の兵士も城下にくりだして、飲めや歌えの大騒ぎだとか」
「飲んで歌うだけ? ほかには?」
「オリオン広場で催しがあるんですわ。劇とか、見世物とか……いちばん盛りあがるのは日が暮れてからの舞踏会ですわね。身分関係なしに踊りまくって、恋の花咲くことも多いとか」
「恋の花か……いいな」
いつもは隠している乙女心がわずかに疼いた。お茶の香りが妄想を誘う。
異国の魔術や珍しい動物などが溢れている広場を、着飾った女の子たちが踊るような足取りで進んでいく。身分を隠したアークトゥルスも彼女たちと一緒だ。
だれかに手を取られ、音に導かれて踊る。柔らかなスカートが風をはらんで広がる。くるくる、くるくる……。
(いいなあ……)
できもしない縁談に悩む自分とは、別世界の出来事のようだ。
「……ちょっと、見に行くことはできないかな?」
軽く打診しただけなのに、
「だめです」
「無理です」
声を揃えられてしまった。アークトゥルスは頬を膨らませる。
(わかっているけどさ、今日もこれから午餐とかお茶会とか、いろいろあるし……)
だけど、
(僕の誕生日のお祝いなのに、僕がその場を見たこともないのっておかしくないかな?)
「アークトゥルス様がおいでになるとなったら、警備やお出迎えの騒ぎでお祭りどころではなくなりますもの。庶民の楽しみを邪魔するのは本意ではありませんでしょ?」
スピカがもっともなことを言う。
半年前までならここで引き下がっていただろうが、下手に外の世界を目にしたばかりなものだから無駄に実行力が身についていた。
(警備も出迎えも遠ざけてしまえばいいっていうことだよね。身分がばれなければ危険も少ないだろうし、自分一人の身くらい守れるし)
「どうしようかな……」
思案を巡らせて独りごとを呟くアークトゥルスを、シェルダンは不安そうに、スピカは笑いを含んだ呆れ顔で見守っていた。
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