1‐1 初恋の花咲く野外舞踏会
都の門は花で飾りたてられていた。
「アークトゥルス王子殿下のご帰還だぞ――――!」
城下の民が家々の窓や街路から花びらを振りまく。
大通りを渡っていく騎兵隊はまるで雪のなかを進んでいるようだ。
大陸の華、カンバーランド。
近隣諸国のなかでも随一の発展を遂げているこの国の王太子が十七歳を迎えたこの日、半年間の遊学から帰還したのだった。
騎兵隊はみな同じ帽子と徽章のついた紺の軍服を着ているが、王太子だけは短い青い髪と粋な空色のコートの裾を風になびかせ、気持ちよさそうに花吹雪を見あげていた。
遠くを見据えるような大きな目と、繊細だがくっきりした顔立ち。
十七歳の年齢にしては幼い印象だが、民が誇るに足る凛々しい王子ぶりだ。
「でんか、おたんじょうびおめでとうございます!」
道端に並んだ子供たちが揃って声をあげた。
差しだされた花束を、アークトゥルスは手を伸ばして受けとる。
「ありがとう!」
花に顔をうずめて喜ぶアークトゥルスを、子供たちのなかでもいちばん小さな子がよだれのついた手で指さし、言った。
「きれえなおひめさまでしゅね!」
そばの子供が慌てて幼児を抱きあげた。
「ばか、殿下は王子さまっていうんだぞ」
「ばーたまがおはなししてくれた、おひめさまにそっくりでしゅもの」
「すみません、殿下。妹はまだ小さくて」
「構わないよ。それで僕は、どんなお話のお姫様に似ているのかな?」
興味津津のアークトゥルスの後ろで、騎兵隊の赤毛の騎士が咳払いした。
彼は王子の従者であり、名はシェルダンという。我に返った王子も咳払いをして、
「ええと、お祝いをありがとう。これからも兄妹仲良くするようにね」
「ありがとうございます、殿下。お誕生日おめでとうございました!」
「さよーならー、おひめしゃ……いたっ。うええん、にーちゃんがぶったー!」
騎兵隊は王宮を囲む森に吸いこまれていく。
生まれ育った場所の懐かしい空気に、アークトゥルスは深呼吸した。
花束を手元で揺らしながら香りを楽しんでいると、シェルダンが馬を寄せてくる。
「そちらの花は俺がお預かりしておきましょう」
「いいよ。軽いし邪魔にならないし、いい香りだよ?」
「似合いすぎていて危険です」
シェルダンはアークトゥルスより八つ年上の二十四歳だが、いつも眉間にしわを寄せていて余裕がない。
背が高くて肩幅が広いわりに女顔なので、愛想さえよくなればさぞ女の子にもてるだろうに、当人がそのような意見に聞く耳をもたない生真面目な性格なのでいまのところ独り者だった。
「こうしてみると僕がお姫様に見えるっていうこと? ……あ」
からかうつもりで花を髪にあててみせたら、シェルダンに問答無用で取りあげられた。
「冗談はやめて前を向きなさい。あなたは、この国の王太子なのですから」
「わかっているよ――」
アークトゥルスは馬上で背筋を伸ばした。
先代シリウス王が改築したカンバーランド王宮は巨大で壮麗だった。高い鉄柵の門をくぐり抜けると、巨人の懐に入りこんだような気分になる。
衛兵が整列した前庭をまっすぐに通り抜け、第二の門をくぐると王の前庭だ。左手に厩舎、右手に厨房棟がある。
大理石の敷石の上に、宮廷貴族たちが勢ぞろいしていた。
馬を降りたアークトゥルスに、いちばんに声をかけてきたのはオリオン王の一の廷臣、国務大臣のフェルカド公だった。白髪頭を念入りにカールさせた老公だ。
「遊学を終えての無事のご帰還、なによりでございます。光の女神があなたの前途を照らしてくださいますように」
「ありがとう、フェルカド公。あなたにも光があるように」
「陛下が首を長くしてお待ちでございました」
「ほんとに?」
奥に進むと宮廷貴族の夫人や令嬢たちが道を塞いでいて、ドレスや化粧の色でまるで画家のパレットに迷いこんだようだった。
「おかえりなさいませ、アークトゥルス殿下! 殿下のいらっしゃらない王宮はさみしかったですわ」
「ありがとう。みなさん相変わらずきれいだね」
「あとであたくしたちの部屋にいらしてくださいませね? 殿下にお祝いをしてさしあげたいんですの」
「ありがとう、もちろん――」
どんな誘いにも調子よく応じそうなアークトゥルスの後ろで、シェルダンが咳払いした。アークトゥルスは「あとでね」と令嬢たちに手を振る。
ようやく人の群れから抜けだしたところで、貴族たちが一斉に腰を低くした。
王宮正面の扉から緋のコートをまとった人が現れたのだ。
柔らかそうな金髪は、色合いが異なっていてもアークトゥルスの髪質と同じ。
いつも唇に笑みを湛えていて、だれの心も溶かしてしまいそうな穏やかな印象のあるこの青年こそ、カンバーランド十二代の王オリオン――アークトゥルスの父親だった。
アークトゥルスは父親に駆け寄りたい気持ちを堪え、堂々と近づいていく。
そして手を胸の前で組み、ひざまずいて、
「国王陛下。王太子アークトゥルス、ただいま帰還いたしました」
「おかえり、アークトゥルス……十七歳おめでとう!」
オリオンが我慢しきれないように開いた手のなかから、花びらがふわりと広がった。すると前庭に集まっていた貴族や召使までも、いっせいに花びらを振りまく。
アークトゥルスの青い髪も、華奢な肩も花びらに覆われた。
「ありがとうございます、陛下。アークトゥルスはこれからいっそう力を尽くしてカンバーランドと殿下にお仕えいたします」
「頼もしいことだな。ともかく、無事に戻ってくれてよかった」
オリオンが肩に手を置く。ようやく家に帰りついたという安らかな気持ちに満たされたとき、亡霊に似た女性が王のかたわらに寄り添った。
アークトゥルスよりは背の高い、薄墨を溶かしたような肌の色をした美女だ。縮れた黒い髪を痩せた肩に垂らしている。どこもかしこも細いくせに、胸と腰だけは上等である。
(うわあ、いやな女が)
アークトゥルスの笑顔が引きつったのに気づいて、オリオンが振り向いた。
「デネボラ、アークトゥルスはこのとおり、一回り成長して帰ってきてくれた。そなたの勧めどおり、王太子を外に出してやってよかったのかもしれぬな」
「ようございました」
デネボラはフェルカド公の養女であり、公の紹介で王宮にあがった女性だ。
侯爵夫人の称号を与えられているが、要はオリオン王の愛人である。アークトゥルスの母親は亡くなっているため、いま現在王宮の女主人といえば彼女のことだった。
デネボラは毛皮のついた扇で口元を隠しながら笑う。
「ほんとうにご立派になられて。亡き王妃様も喜んでいらっしゃることでしょう」
「……ありがとう」
「十七歳ともなれば、男の子は親の手を離れる年頃ですもの。陛下のとっておきの贈りものが誕生日に間にあったことは女神の采配ですわ、ね?」
デネボラにつつかれたオリオンが、「ああ、そうだった」と笑う。
「私と一緒に来てくれるかな、アークトゥルス。大事な話があるからね」
「かしこまりました」
しぶしぶお辞儀すると、頭に積もった花びらがひらひらと舞い落ちる。
父王はあくまでもにこやかだが、遊学のときもこの調子でいきなり王宮を出されたため、かえって警戒心が湧いた。
また、デネボラがアークトゥルスを遠ざけるためになにか企んでいるのか――不安な気持ちで横を向くと、すぐ後ろにいたシェルダンにぶつかりそうになった。
「あ、ごめん」
「いいえ――」
すっとシェルダンが手を伸ばしたので、アークトゥルスは首を竦めた。
シェルダンはアークトゥルスの髪についた花びらをつまみあげ、それを唇の先で吹きとばして、渋い顔をしてみせる。
「こんな小さな花びらでさえ、あなたにくっつきたがる。まったく、護衛は気が気ではありません」
「だけどシェルダンがいるから、僕は安心して王子をやっていられるよ」
アークトゥルスが王子になったときから、シェルダンはそばにいて支えてくれた。彼が背中を守ってくれているから、アークトゥルスは王子として生きていられる。
だから、どんな困難にだって立ち向かえる――そんな前向きな気持ちで父王の背中を追いかけたのだが、直後に与えられた困難は想像以上のものだった。
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