第2話 ミスカトニックから来た女
菜々美との出会い
ロンドン郊外で起きたトンネルの事件から数週間後、メル・シルヴァバレットの肋の骨がくっついた頃、メルはロンドンにある国際魔法協会英国支部への招集がかかっていた。
国際魔法協会英国支部は、大英図書館の地下7階にある。元は第二次世界大戦にドイツ軍の空襲から魔具を守るために造られた極秘の地下シェルターであったが、現在は支部の事務所として活用されているのだ。
メル・シルヴァバレットはコツコツと、無機質な白色の壁と蛍光灯、一定の間隔で設置された扉で構成された長い廊下を歩いている。そして彼女は紅の魔弾師、シルヴィア・レッドフッドの魂が封印された杖、モーガンズウッドを入れたケースを持っている。
メルはモーガンズウッドと魂の契約を結んでいる。本来魔法使いは魔具を所有するが、安全のため魔具との魂の契約は結ばない。魔具の恐ろしさは契約と契約の不履行による怪物化であり、国際魔法使い協会は強力な魔具を封印している。そのため魔具と契約を結んだメグは、第三者から見るといつ爆発してもおかしくない時限爆弾を抱えているのだ。
つまり、メルはモーガンズウッド(レッドフッド)と魂の契約を結んだことを第三者に看過された場合、最悪死刑になってしまう。
メルはケースを睨み付ける。
「もしモーガンズウッドとの契約がバレれば、私は暴走魔具所持者、悪ければ怪物扱い。その場で即刻処刑だもの。」
小声でメルは悪態をつく。彼女の脳裏にかけ巡るは、先のトンネルの事件で危機的状況だったとは言え一時的にレッドフッドに身体を乗っ取られた事だった。
もしかしてその件がバレたのではないか。段々とメルは嫌な考えが頭に満ちてきて、表情が暗くなってきていた。
少しして、メルは魔具管理室へ着く。
「メル・シルヴァバレット。ただいま到着しました。」
メルは管理室前の扉を叩いて点呼する。
「入り給え。」
扉越しから少しガラガラとした男性の声が聞こえてくる。
メルは失礼しますと言うと、木製の分厚い扉を押してギギと開く。扉の先は先程のような息が詰まってしまうほどの閉鎖的な部屋ではなく、鉄骨とガラスのアーチで出来た開放的な庭園であった。近代的なデザインの鉄骨は無骨ながら勇ましく、ガラスは心地よい青空が見える。庭園の中は様々な鳥が歌を歌い、さんさんと輝く太陽とその光が心地よい香りを放つ花々たちを照らしている。
何故地下にこのような空中庭園があるのか?
それはこの庭園は高度な魔法によって生み出されたものであり、所謂疑似的な空間を地下に形成しているのだ。
一般の人間や見習いの魔法使いなら、この光景に度肝を抜かれるだろう。しかし、見習い魔法使いてまるはずのメルはこの光景を何度も見ているのか、驚くこともなくスタスタと歩いていく。
「こんな大掛かりな魔法を使うってことは、誰か客人でも来ているのか。全く、室長の見栄っ張りにも程がある。」
メルは鳥が飛び交うガラス張りの天井を見つめ、ボソリと誰にも聞こえないような小さな声で愚痴をいう。
メルが歩く先には椅子に座った男女がいた。男はスーツを着たアフリカ系の初老の男性であり、身長は190cmは超えているように見える。ガッシリとしな顔つきで、短く切った髪には白髪が混じっている。
女は男と比べて若く、20代前半のアジア系にみえる。男のスーツと比べて女はラフな格好をしている。身長はメルよりも高く、170くらいはありそうだ。顔は整っており、髪はショートボブでありシットリとした黒髪が、女がもつ上品さをさらに際立たせる。
二人の間には小さなテーブルがあり、それぞれの手前にはひとつの陶磁器のポットとカップが置いてある。そしてテーブルにはもう1人分のカップがあり、近くには椅子がもう一脚ある。
「来たか。紅茶はいかがかな?メル・シルヴァバレット君。」
初老の男、国際魔法協会の魔具の保管に関する権限を持つ役職、魔具管理室長アーサー・シモンズがメルに向けて質問する。
「ええ、いただきます。」
メルはそう言うと席につく。アーサーは唯一メルとレッドフッドの関係性を知っている人物であり、メルの協力者でもある。
落ち着いた様子でメルは女性をチラと見る。I.W.Sの魔法使いリストにはない顔だ。つまりレッドフッドの件ではないと、メルは紅茶に砂糖を3つ入れながら、そう考えていた。
「それで、要件は何ですか室長。」
メルはカップを手に取り、そのまま紅茶をグイと飲みほす。先程まで杖の件を考えて緊張していたせいで、酷く喉が乾いていたからだ。
「まぁそう急ぐな。まだ茶はある。」
アーサーはそう言うと、メルの空いたカップに紅茶を注いだ。
「今日、療養中の君をわざわざ呼んだのには、ちょっと話があってだな。」
「話というと、また魔具関連ですか?」
メルは紅茶を啜りながら言う。
「まぁな。今回君に取り組んで欲しい件は少し厄介でね。エージェント、君一人では無理だと上層部は判断して、専門家とのタッグを組むことが決定した。」
「えっと……。それじゃあ彼女が。」
メルはカップを置くと、女性の方に顔を向ける。
「そう。彼女が今回の件の専門家であるミズ
「はじめまして、メル・シルヴァバレットさん。ミスカトニック大学で魔具学を学んでいます。橘菜々美です。よろしくお願いします。」
菜々美は席を立つとメルに向って深々とお辞儀をした。菜々美の英語はややゆっくりとしたものだがとても流暢であり、それこそネイティブスピーカーであるメルよりも丁寧さを感じさせるほどであった。
(ミスカトニック大学……!あの魔法の名門校の人間が協力者なのか……!)
ミスカトニック大学は、魔具や魔法の研究を最先端に行っている名門大学である。名だたる魔法使いが何人もこの学校出身者であり、アーサーもミスカトニック大学出身者である。
「I.W.Sのエージェント、メル・シルヴァバレットです。捜査へのご協力感謝します。」
メルは菜々美に握手しようと右手を彼女の方に差し出した。すると、菜々美はガシと両手でメルの右手を掴むと機関銃のように語り始めた。
「やはり、貴方がI.W.Sの期待の新星メル・シルヴァバレットなんですね!」
「名前を聞いたときはまさかと思いましたが、やはり本人なのですね!貴方の功績は私の通うミスカトニック大学でも聞いています!まさか私より幼い少女が、烈輝とした魔法使いだとは思いませんでした!」
「魔具の収容・再収容、破壊というベテランでも危険な仕事を何件もこなす!私、貴方は将来、必ず魔弾師レッドフッドや神秘主義のメールズと肩を並べる魔法使いだと、そう思っているんです!」
メルは菜々美の口からレッドフッドという単語が急に出たことで一瞬ビックリする。
「それに貴方のその真っ赤な頭巾、凄く可愛い!赤毛と合わさって、まるで御伽噺の赤ずきんちゃんみたい!」
菜々美は興奮しているのか、先程挨拶したときよりもやや日本語訛の英語になっている。菜々美の目は大きく開いており、まるで子供が親に今日1日何があったのか、親の状況を無視して矢継ぎ早に語るようだった。
「ちょ、ちょっと…!室長、彼女は何なんですか!」
メルはアーサーの方を向いて困った顔で質問する。
「いや…。まぁ…今回の件は本来の協力者は彼女が所属するミスカトニック大学にいる別の人物だったのだが……。」
「ええ!私、無理言って教授から仕事を譲って貰いました!」
菜々美はアーサーの言葉を遮り、メルの片手を掴んだまま、両手をブンブンと大きく振った。
「だってあのメル・シルヴァバレットと一緒に仕事ができるんですよ!そんなの何が何でもやりたいじゃないですか!!」
「えぇ……。」
メルはアーサーの言い淀んだ言い方と菜々美の興奮した言葉を聞き、チラとアーサーの顔を見る。アーサーの表情は申し訳無さそうな顔をしているが、どこか算段をしている、そんな印象を与える程冷静な目であった。
これらの情報を繋ぎ合わせてメルは、元々協会が依頼した人物がメルとモーガンズウッドについて懐疑的な視線を持つ人物(それが菜々美の言う教授)であり、その疑惑を避けるためにアーサーは協力者を菜々美に変更したのだろう、と考えた。
(全く、この爺さんは政争に関してはピカイチの才能があるんだから。)
「と、取り敢えず、分かりました。」
メルはガクガクと大きく縦に揺れながら答える。菜々美はメルが若干迷惑そうな顔をしていることにようやく気がついたのか、すみませんでしたとすぐに手を離して謝罪した。
「いや、全然大丈夫ですよ。」
メルは彼女の謝罪を受け入れる。
そしてすぐに、メルはその小さな背丈でアーサーの肩を掴むと顔を寄せて小声で話す。
「室長、何故彼女は私の名前を知っているんですか?私の功績なんて新聞やネット記事にも書かれはしないのに。」
「そう言うが、一部の一般人は君の活躍を知っている。」
「彼女もその1人で、魔法使いマニアだかららしい。」
アーサーもコソコソとした声でメルに答える。
「魔法使いマニア?」
「まぁ、フットボール選手の追っかけみたいなものさ。それも重症ものらしい。」
メルは菜々美の顔を見つめる。菜々美は2人が何を話しているのか分からないからか、ニコリとする。メルはそれが肉食動物が牙を向くような感覚を感じた。
「な、なるほど……。」
メルはアーサーから肩を離すと、制服の襟を正した後ひとつ咳払いをする。
「それで室長、今度はどんな魔具を退治しないといけないんですか?わざわざ魔具の研究家を呼ぶ必要があるものですか。」
「……メル。君は我々I.W.Sが戦時中に紛失した魔具、ロストアイテムという存在を知っているか?」
アーサーは真剣な表情で話し始める。
ロストアイテム。その歴史は第二次世界大戦まで遡る。第二次世界大戦時、ドイツ軍は当時占領していたフランスから様々な品々を略奪し、本国ドイツに輸送した。そのなかでも、当時のドイツの政権であった
しかし第二次世界大戦末期、米ソ率いる連合軍によるドイツ侵攻の戦火により、強奪された多くの魔具は紛失・消失してしまう。戦後強奪された紛失魔具をI.W.Sは国際指名手配し、それらをロストアイテムと呼んでいる。
「えぇ、知ってますよ。第二次世界大戦時に協会が紛失した魔具たちのことですよね。」
メグが持つ杖、モーガンズウッドも戦時中に紛失した魔具のひとつである。以前、メルはモーガンズウッドの一件でロストアイテムという存在をアーサーから教わっているのだ。
わざわざロストアイテムを聞いてくるあたり、菜々美にアーサーと自分の関係性を察せられないようにしているのかとメルは考えた。
「そうだ。そして今回の件はロストアイテムについてだ。」
アーサーは席を立つと、メルと菜々美の前に書類の束を置く。
「ロストアイテムのひとつが先日、日本で確認された。」
メルと菜々美は書類を読みながらアーサーの言葉を聞く。
「魔具の名前は『グリモア』。17世紀に発見された魔導書であり、ロストアイテムのなかでも絶大的な現実改変能力を発露できるとされる危険極まりない代物だ。」
「現在の所有者は
「彼は偶然にも『グリモア』を所有してしまったらしく、I.W.Sに回収してほしいと直々に連絡があった。」
アーサーは淡々と書類を音読する。魔具を偶然手にしてしまうというケースは多々ある。魔具関連の事件の殆どは偶然手にして使用者が暴走、もしくは怪物化するものである。そのためメルは、間桐とかいう人間は魔具に魅了される前に手放す選択を選んだことに随分ラッキーな人間だなと感じていた。
「なるほど。それで彼女が必要になると。」
「そうだ。菜々美氏は魔具、特に魔導書に関してスペシャリストだ。そのため現場で本物の魔導書かどうか鑑定を行ってもらう。」
メルは魔具を扱う魔法使いである。しかし魔具には魔具の扱い方があるように、魔導書には魔導書の扱い方がある。そのため魔導書への専門的な知識が必要となるため、橘菜々美が今回の任務に参加したということだ。
「そしてメル・シルヴァバレット。君はこの『グリモア』の回収が任務となっている。」
アーサーの説明を聞くなか、メルはふと顔を上げて菜々美の方を見る。
メルは目にする。菜々美が一瞬、どこか思い詰めたような表情をしていたことに。
その菜々美の一瞬の表情から、メルは彼女が自分自身にコンタクトを取ってきたのは、何か重い理由があると察したのだ。
「メル、そしてここからが重要だ。その、間桐氏が提案した『グリモア』の回収場所がなんだが……。」
「日本にある開園前の遊園地、バビロニアパークで確認された。」
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