第10話 メレウトの生活(1)

 結局、ヨウが普通に食事をして十分に動けるようになったのは、土曜日からだった。


 百合ユリが作ったメレウト暦では、七曜日がはっきりあり、曜日ごとに当番が決まっているようだった。

 ヨウは、レンから受けた当て身のせいで随分しんどい思いをしていたが、牡丹ぼたん百合ユリの介助で、風呂に入る事は出来たし、トイレも一人ですませることが出来た。


 そうしてわかったのが、本当に、メレウトの設備は令和の日本と遜色がないということであった。むしろ、最新設備ではあるまいか?


 トイレは全ての階に洋式のものがあり、常に清潔に保たれていた。


 風呂は一階に大浴場が一つ。

 三階にLady専用の女風呂が一つ。


 ヨウは女風呂に行く機会は当然なかったが、一階の大浴場に関して言えば、ちょっとした温泉旅館には勝てるんじゃないかという広さと湯の量であった。


 一階には、ケイと出会った広々とした厨房と食堂もついている。それと、洗濯場と彼等が呼んでいる、コインランドリーのように洗濯機と乾燥機が並んでいる部屋。


 二階が、それぞれの個室で、八畳程度の空間に、それぞれベッドや机やタンスなどがしつらえられている。


 三階が、Ladyと呼ばれる女性の個室で、そこに出入りしていいのは牡丹ぼたんぐらいと説明を受けていた。Ladyは日頃は三階の部屋にこもっているらしく、ヨウはあれから彼女を見かけていない。


 電気は全ての階の全ての個室についている。


 それでどうして、ここは時空の狭間のマヨイガだなどと言えるのか、訳がわからない。とりあえず、庭から井戸水をくんでいることと、自家発電であることは、説明を受けたし、井戸の確認もさせてもらえた。


 それなら下水道の先はどうなっているのかと聞いて見ると、

「別の異界を通じて地球の海に流しているはず」

 と、意味不明の言葉が返ってくる。


 台所や風呂のガスはと聞いて見ると

「毎週土曜に業者が来るから、そこに頼んでいる」

 と、ますます意味不明の言葉が返ってくる。


 生活のゴミはどうしているのかと聞いて見ると

「庭で焼く、焼けないものは砕いて土に返す」

 ……昭和の、焚き火が普通だった頃の答えが返ってくる。


 そういう状態で、マヨイガだけに狐につままれたような状態で、ヨウは業者が来るという土曜日がやってきた。


 土曜日の午前中、ヨウは、庭の草むしりの係だったのでそれをしていた。

 メレウトの広大な庭は、家庭菜園にもなっており、ヨウはあまり見慣れない野菜や香草(薬草だと言われた)の世話を、何日かに一回必ずすることになっていた。だが、彼はガーデニングの知識がない。

 そのため、徐々に教えると言われながら、今できるのは草むしり程度なので、牡丹ぼたんから与えられた作務衣を着て、延々と、春の日射しの中、汗水垂らして草むしりを軍手でさせられた。


 そして昼前に仕事を終わらせ、レンのすすめで、食堂に入る前に大浴場のシャワーで汗を流した。


 大浴場で新しい作務衣に着替えて、隣の洗濯場の洗濯機に汚れた衣類を放り込み、食堂に行くために玄関ホールを横切った。


 腹が減っていたので急ぎ足だった。

 だから、ヨウはそのまま、その光景を、もう少しのところで通り過ぎてしまうところだったのである。


「はあ!?」


 そのまま、通り過ぎようとしたホールに出店が出来ていたので、ヨウは素っ頓狂な声をあげた。

 もっと性格に言うと、フリマの出店のように品々を広げている相手が、巨大な兎の着ぐるみを来ていたので戻ってきて確認した。


 兎の着ぐるみ--に、見える。

 兎、だと思う。

 白や灰色の大きな長耳。

 赤い瞳。

 毛むくじゃらの体。


「…………」


 さらに、齧歯類によほどのこだわりがあるのだろうか。ハムスターもいた。ハムスターの着ぐるみ。

 ハムスターそっくりの着ぐるみを着た人間が、フリマの出店の前で、ちょこんと座ってこちらに向かって手を振っている。


「…………」

「あ、こんにちはー、新しい人ですか? 見かけなかったけど……えーと、牡丹さん?」


 そこで齧歯類の一人が日本語でそう言ったので、放心していると、齧歯類に比べて全然目立たなかった牡丹ぼたんが、品物のカタログから顔をあげてこう言った。


さくら。彼等が会いたがっていた業者だけど? 何か質問があるんだったら、直接してみれば?」

「……業者って、あんた……」

「その方が、納得出来るだろう?」


「…………」

 何が何やらわからないが、それでも興味に惹かれて、ヨウ牡丹ぼたんの方に近づいていった。齧歯類の着ぐるみ達に興味があるのだが、興味をそのまま向けるのは気が引けた。


 フリマの出店のように広げられているのは、食料品や衣料品、日用品だった。それと、牡丹ぼたんの見ているカタログ。


「もしかして、彼等から、一週間分の食料なんかを買っているんですか?」

「ああ。それと、買い取りと両替も彼等の役割だ」

「はい?」


 牡丹ぼたんは、フリマの敷布の上に広げている自分の作った薬の小瓶や粉薬の袋を見せた。あとはヨウも世話をして事のある薬草。

「メレウトで作られた薬や野菜を、この業者に買って貰っているんだ。それで金を稼いだり両替してもらったり。時空から孤立している我々の数少ない接点が彼等、妖怪の行商人だ」


「妖怪……」


 一見かわいらしい兎やハムスターの着ぐるみに見えるが、本人達の前ではっきりと、牡丹ぼたんは妖怪と言い切った。

 妖怪なのだろう。妖怪なのかもしれない。


 そこで、ハムスターの着ぐるみと思わしき妖怪が、かぱっと大きく、その口を開けて見せた。

 ハムスターの口だった。

 多くを語る事は出来ない。着ぐるみだったらそうはいかないだろう。

 明らかに、巨大な齧歯類の口だった。牙も何も本物だった。


 絶句。


 着ぐるみではない。着ぐるみではないなら、人語を解して商売をする齧歯類、ということになる。なるほど、妖怪。そういうのしかないかもしれない。

 現実を見てそう思ったヨウだったが、まだ納得する事が出来ず、愕然と、齧歯類妖怪達の方を見ていた。


「あ、牡丹ぼたん。先に来ていたのか。さすがに早いな」

 そこに、瑠璃ルリが現れた。

 瑠璃ルリは段ボールいっぱいに、家庭菜園でとれたらしいキャベツやアスパラガスを持っていた。土を洗い落とすのに時間がかかったらしく、野菜がまだ水に濡れて光っている。


「こんにちは、瑠璃ルリさん~、いつも通り、段ボールも一緒に売り買いしますよ~」

 兎の妖怪が陽気にそんなことを言っている。


「ああ、そこは頼む。それと、この野菜も買い取ってくれ。……どうしたんだ、さくら。こんにゃくで顔を叩かれたような顔をして」

 それがどんな顔なのかはわからないが、瑠璃ルリが訝しむ程度に変な顔になっていたのだろう。


 メレウトでは、この、人語を解する齧歯類妖怪と商売をして、肉や魚や衣服を買い取って、それで生活を送っていたらしい。

 しかも、自分たちの育てた大切な野菜や薬草、それから出来る薬品なども、販売して金を得ていたらしい。……さすがに、物々交換はしていないようだが。


「あ、はい。その、妖怪……って」

 瑠璃ルリ牡丹ぼたんと齧歯類たちをそれぞれ見比べるヨウでああった。


「はい。妖怪ですよ」

「その口の構造で、どうやって、人間の言葉を発声できるんですか」

 ヨウはいきなりそんなことを本人、というか本妖怪達に尋ねた。


「そりゃ妖怪ですから……あんま気にした事ないですね」

(気にしろ!)


 本来、兎やハムスターがどんな鳴き声なのか、聞いた事がないのでわからないが、とりあえず、齧歯類の口の構造で、どうすれば人とそっくりの声を立てられるのか、まずそこからわからない。


「まあ、魔法のようなもんだ。そう気にするな。それより何か欲しいものはないのか?」

「いえ……」

 欲しいものといっても、そもそも齧歯類に通用する貨幣を自分が持っているかどうかがわからないのだった。

(魔法かよ。そうかよ!)

 そうとしか思えなかった。

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