第9話 ”メレウト”の意味

「ゆっくり覚えてもらっていいんだけれど」

 牡丹ぼたんは、ヨウの沈黙の中、思い切ったように切り出した。


「Ladyは電話は嫌いだけれど、便利な世界は好きだから、ここは、令和時代と遜色ない設備が整っている……はずだ」

「令和と?」


 さすがに一番の気がかりに牡丹ぼたんが触れたので、ぼんやりしていたヨウは正気に返った。


「うん。詳しい説明はあとで、館の設備を説明する時にするけれど……そろそろお昼の時間だから、食堂に降りていかないと、当番が怒るかな?」


「当番?」

「ああ。館の家事は全員の当番制なんだ。君にもそのうち参加してもらうからね。とりあえず、昼食に……って」

 腹は減っているが当て身を入れられていた筋肉が痛い。ずっと腹部をなでさすっているヨウの仕草を見て、牡丹ぼたんは苦笑いをした。


「ちょっと見せてくれる? 僕はこう見えても医者なんだ」

「医者って……」

「大昔の医者だけどね。当て身ぐらいなら見る事は出来ると思うよ」


 牡丹ぼたんがやや強引に身を乗り出してきたので、ヨウは渋々、ブレザーとシャツの前をはだけて、レンに殴られたあとを見せた。

 牡丹ぼたんは眼鏡を調整しながらその部分を丁寧に観察し、断りを入れてからそっと触って見せた。

 それだけでも、痛かった。


「痛い? わかった。すぐに鎮痛剤を持ってくるよ。明日からは食べられるようにしてあげよう」

「鎮痛剤って、妙なものを混ぜたりしないだろうな」

「?」

 思わず唸るような声を立てたヨウに、牡丹ぼたんは不思議そうな顔をする。

「なんでそんなことをすると思うんだ?」

「いや……」

 ヨウは言葉を濁して目をそらした。


「僕は、このメレウトの執事役でね」

 不意に、牡丹ぼたんがそう言った。

「全員の健康状態や問題点を把握しておく必要があるんだよ。だから、疑問なんかがあったら、正直に話してくれるのがいいんだけど」

「執事」


 執事と聞いたら、普通は館の執事という意味なのだろうが、ヨウは、それは宗教的に何の意味があるのかと一瞬考えてしまった。

(もしかして羊? 子羊……とかか? いや、明らかに執事って聞こえた)


「そう。北条家の執事とかそういう事でもなくて、君らの時代で言う執事。英語で言うバトラーだね」

「500年前の日本人が、なんで英語を知っているんだよ」

百合ユリから聞いたんだよ。それに、館に縛られているとはいえ、僕たちは全然、地球上の時空と接触がないわけじゃない。そこは色々な試練がある」


「試練って、なんだ?」

 それこそ宗教を感じさせる言葉に、ヨウは食いついた。


「……それはそのときにわかるよ。口で説明するのは、難しい」

「……」

 そんなふうに逃げられると、黙るしかない。


「それなら言うが、なんで、俺をさらったんだ?」

 ヨウはやっとの思いでそれを言った。


 牡丹ぼたんは何度か目を瞬いた。


「さらったって?」

「違うのか? お前達は、何の目的で、公園で昼寝をしていた俺をさらったんだ。何かの目的があるんだろう。身代金っていったって、うちには俺の金を払ってくれる親なんていないぞ」

 威嚇もこめて鋭く言うヨウ


「あー……うん。そういう結論に出たか」

 牡丹ぼたんは痛ましそうな瞳を眼鏡の奥からヨウの方に当ててきた。


「ひとさらいは犯罪行為だ。おまけに電話がない家屋の奥に俺を連れこんで、どうする気なんだ。あんたらは何者で、俺に何がしたいんだ」


「神が君に何をさせたいのかは、僕が知りたいぐらいなんだけど」

 やや疲れた声で牡丹ぼたんはそう答えた。

「神って、やっぱりカルトかよ!」

「いや……そういうわけじゃない」

 牡丹ぼたんはそれこそ英国人のように肩を竦めて腕を振って見せた。


「そういう結論を出してしまうのも、珍しい事ではないけれど、僕らはカルト教団じゃないし、犯罪組織とも違う。そこは誓ってそういうよ。君がここに現れたのは、神のご意志で、僕たちの力の及ぶところじゃない。何か計り知れない考えがあってのことなんだ。僕らは犯罪組織ではないから、君が傷ついていたら手当はするし、人間らしい衣食住は保障する。だけどね?」


 牡丹ぼたんは、いつの間にか、ヨウが布団の中に隠し持っていた刀を握りしめているのに気がついて、その肘を軽く叩いた。

「そういうものを、人に向けようとするのはよくない。そこはよくよく、考えて」


 場合によっては牡丹ぼたんを斬りつけるか、人質にとって……と考えていたヨウは、牡丹ぼたんの素早い動きに驚いて、鞘を握りしめる手に力をこめた。

 レンもだが、牡丹ぼたんは、武道の心得があるようだ。


「僕たちは、このメレウトの中での500年の歴史の中で、様々な地球上の時代と繋がってきた。そこは、必ずしも日本とは限らなかったよ。それで、君の令和時代らしい言葉も理解出来る。……それだけのことだ」

「……メレウトって、どういう意味なんだ?」


 宗教か。犯罪か。その疑いは消えないが、この館の聞き慣れない名称は、それ自体が手がかりになるかもしれない。そう気がついて、ヨウ牡丹ぼたんに聞いて見た。


 牡丹ぼたんはあっさり答えた。


「海岸。もしくは川の岸辺」

「海岸って……マヨイガは、山の中にあるものだろう?」

 意外な言葉に、ヨウは眉をひそめた。すると、牡丹ぼたんはすかさず答えた。

「そう。勿論、そういう意味だけじゃない。メレウトは、古代エジプトの言葉で、”愛”、それに”望み”と言う意味もある。そして岸辺。この場合の岸辺って多分、彼岸に近いと思うんだけど」


「海岸って、彼岸っていう意味での……岸?」

「そう。彼岸と此岸。あの世とこの世。……本当の愛を知らなければ、絶望の日々を送る岸辺にいる僕たちに、ぴったりの名前だろう?」

「なるほどな」

 牡丹ぼたんの言葉にやっと、ヨウは頷いた。古代エジプト人には悪いが、宗教的な意味も犯罪的な意味も微妙に感じられる。


「それじゃ、僕は昼食の時間に遅れるからもういくよ。ゆっくり休んで、腹の調子を戻してくれ」

 まだ険しい顔をしているヨウ牡丹ぼたんはにこやかにそう言って、その場を立ち去った。


 五分と経たずに戻ってきて、錠剤と水のコップをおいていった。

 それは、ヨウも知っている鎮痛剤のカロナールだった。


「……ふざけやがって」

 牡丹ぼたんが立ち去ったあとに、見慣れた錠剤を水で流し込みながら、ヨウは呟いた。何がなんだかわからないが……結局、わかったのは、メレウトの意味ぐらいだが……今は動けない。


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