第8話 ”マヨイガ”とは

 長ドス。

 忍び刀。


 そんなものまで飛び出る環境で、追い回されたらたまったものではない。


 当て身を食らった腹を撫でながら、ヨウはそんなことを考えた。すぐには、このメレウトという館を脱出する事は、不可能だ。

 少なくとも、レンは現時点ではヨウよりも強い。そのことも、問題だった。

 自分よりも強い相手に無理に逆らって、忍び刀で斬りかかられたらそのときどうするか。即死するかもしれないし、手負いのまま酷い人生を送る事になるかもしれない。

 ヨウが手負いになってでも、何とか脱出したとして、レンに懲罰が与えられるならいいが、何しろカルト犯罪教団の青年だ。精神鑑定を受ける事になって、もしもキ×××無罪となったらどうするのか。


--斬られ損もいいところだ。


 当て身で気絶させられて、相手の実力を知ったヨウは、そういう結論に出て、一回大人しく、相手方の様子見をして言い分を聞いてみる事にした。

 電話もない生活をしているカルト教団内で、いつまで自分の精神が正気でいられるか多少気にはしたが、斬られ損よりはましだと思った。


 ちなみに気絶する勢いで当て身を入れられると、当分はまともな食事が出来ない程度に腹が痛む。

 そういうわけで、ヨウは、今、痛みをこらえて無意識に腹を撫でつつ、牡丹ぼたんから話を聞いているのだった。


「……だから、脱出しようとしても無駄なんだよ」

 何回目かに牡丹ぼたんはそう言った。

「同じ事を試みた人間は多い。だけど皆、このメレウトを囲む迷いの森の中から脱出する事は出来ないんだ。森に入ったまま帰ってこないはずの人間もいたけれど……」

「けれど?」

「かなり悲しい遺体になって発見されている。森をパトロールするレンケイに必ず見つかっちゃうんだよね」


「悲しい遺体……」

「説明はいる?」

「いりません」


 思わずヨウは即答していた。

 確かに、北海道の田舎町の中とはいえ、メレウトの周りを取り囲む森は異様である。

 昨日、夜目に確認したが、メレウトは三階建て以上の小型の城のように見えた。その城の周りを取り囲む、桜並木も含めた広大な庭も大したものだが、その周辺を、ぐるりと、鬱蒼とした森が巡っているのである。

 その森の向こうに何があるのか、ヨウのいる窓からは見えない。それほどの森は厚く垂れ込めて、黒々と巨大に見えた。


 北海道の田舎町。……その真ん中に、何故こんな建物と敷地があったことに、ヨウは気づかなかったのだろうか。ありうるのは、自分が寝ていた公園から、車に乗せられて拉致されて、全然関係ない土地に来ているということだが……そうだとしたら余計に絶望的である。一体、どこに、助けを求める事の出来る電話あるのだろう。


 ヨウは自室のベッドにへたり込むように座りながら、黙って、説教をしに来たらしい牡丹ぼたんを見上げた。


「本当に、君のために念を押して言うけれど、くれぐれも自分勝手に迷いの森に入っていったらだめだよ。この数百年、迷いの森に身勝手で入っていって、脱出出来た人間は一人もいない。必ず、数日のうちに、メレウトの庭に悲しい遺体になって転がるはめになっているから」

「……裏切り者には死あるのみって、ことか?」


 カルト教団を脱会して逃げ出した信者がそういう目に遭うということなのだろうか? と思って、ヨウ牡丹ぼたんにそう尋ねた。


「裏切るというよりも、掟に反すると、必ずそういう事になる。そういう仕組みになっているらしい」

「……らしい?」


 思ったよりは断定してこない牡丹ぼたんの口調に、ヨウは思わず聞き直した。てっきり、自信を持って脱会信者を叩いてくると予想していたのだ。


 無論、ヨウの考えている事は牡丹ぼたんに伝わっていない。牡丹ぼたんは腕を組んで顎をなでながら、ヨウの事を見下ろしていた。

 

「徐々に覚えて貰おうと思っていたんだけれど、このメレウトは、マヨイガなんだ」

「マヨイガ」


 それを聞いて、ヨウは益々、意味がわからなくなってきて、恐怖を覚えた。

 何故ここに、マヨイガという単語が出てくるのかがわからない。


 マヨイガとは、北海道の真下、東北地方の民話に現れる幻の家のことでる。

 訪れた者には必ず富貴を授けるという、山の中の不思議な家。伝承の存在なのだ。

 マヨイガを題材に取った小説やアニメ作品などもある。


 そのマヨイガが、何故この文脈で出てくるのかというと……本当にマヨイガだからなのか?

 自分は、マヨイガに迷い込んだということなのだろうか。そういえば、レンが言っていた。ここは日本ではなく「マヨイガ」だと。

 その時は、電波が冗談を言っていると思い込み、相手にしていなかったが、だんだん状況がわかってくると、腹の痛みが激しくなるような、悪寒で背中が痺れるような、そんな感覚になってくる。


「あ、知ってるかな……マヨイガ。そう言えば聞いてなかったね。日本のどこが出身だったっけ? マヨイガという言葉を知っているなら、早い」

 ヨウの表情を読んで、牡丹ぼたんは微笑んだ。


「ここは、神罰を受けた人間の牢獄であると同時に、時空の迷路にはまりこんだマヨイガなんだよ。ここに来た人間は、たった一つのある条件を満たさない限り、この時空の迷路から出る事が絶対に出来ない」

「な、なんだそれは」

「条件のこと?」


 思わず荒ぶる声を立てたヨウに対して、牡丹ぼたんは条件を知りたいのだと早とちりをしたようだった。


「それは、本当の愛を知ること、それだけだ」

「本当の、愛……?」




 口がかゆくなるようなことを繰り返してしまうヨウ。そして、その言葉の羅列を自分の耳で聞いた時、思わず真っ赤になってしまった。本当の愛、などと、なんのてらいもなく人前で言えるような年齢ではない。


「そう。愛」

 牡丹ぼたんは深々と頷いて繰り返した。

「この何百年かの間に、マヨイガであるメレウトに迷い込んで、無事に脱出出来た人間は数人いる。脱出出来なかった人間が、今ここにいる全員だ。脱出出来た人間達は、色々な事があって……中には試練としか言えないような事をクリアした上で、条件を満たした。本当の愛を知った人間は、メレウトから外に出て、元の時空に帰って幸せに暮らしているだろう」

「元の時空で幸せに暮らす……」

 ヨウは思わずその言葉をかみしめたのだった。



「ここで生活する人間の全員の目標がそれだ。本当の愛を知って、元いた自分の世界、自分の人生に帰り、幸せになること」

「待て。今さっき、何百年かの間って言ったけれど。どういうことだそれは。百合ユリが、あんたが何百歳も年上だって言っていた事は、あったけど」

「ああ、うん」


 牡丹ぼたんは鷹揚に頷いた。

百合ユリと話したんだったね。百合ユリは筆まめで細かい事によく気が利いて、何でも書き留める性質だから、彼がメレウト暦を作ったんだよ。その前は、僕が大雑把な暦を作っていたんだけど……」

 牡丹ぼたんは信用してもらえるか、と不安そうに笑いながらヨウに向かって言った。

「メレウトはこの館が存在した時からの、内部の時間では、500年以上の時間を過ごしている。その間に、メレウトに罰を受けに来た人間は多いよ。……それだけ呪われた館だし、愛に呪われる人間は多いんだ」


「……………………」

 ヨウはもう、何を言ったらいいのかわからなかった。どこの時空にも属さずに、500年以上の時を超える?? それが、神の与えた罰でなければなんなのかは、これから知る事になる。

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